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華やかな園遊会の喧騒から、無理やり切り離された王宮の一室。
そこは豪奢な会場とは対照的に、冷たい石造りの壁に囲まれた、窓一つない殺風景な待機室だった。
拘束こそされていないものの、事実上の監禁状態に置かれたカシウスとマリアは、そこへ連行された。
私とジェイド様は、法官の特別な計らいによって
隣室の潜り戸の隙間から、その室内の様子をつぶさに観察することにした。
密閉された空間で、逃げ場を失ったネズミたちがどう振る舞うのか───その結末を見届けるために。
「……何よ、あの金額は! あなた、私に『金ならいくらでもある』って、大見得を切って言ったじゃない!」
静寂を切り裂いたのは、マリアのけたたましい金切り声だった。
さっきまでカシウスの腕にしなだれかかり
甘ったるい声を出し続けていた女の顔は、今や恐怖と怒りで醜く歪み
獲物を呪い殺そうとする魔女のように凄まじい形相をしていた。
「うるさい、黙れ! 俺の計算では、ロゼッタの持参金と屋敷の資産を切り崩せば、当面は十分賄えるはずだったんだ! それを、君が俺に内緒であちこちの店で勝手に宝石だのドレスだの、分不相応に買い漁るから……!」
カシウスもまた、余裕の仮面をかなぐり捨て、剥き出しの怒りをぶつける。
「私のせいだって言うの!? お門違いも甚だしいわ!そもそも、あなたが実家から正式に除籍されるなんて、一言も聞いてないわよ!」
「爵位どころか資産もない男なんて、ただの無能じゃない! 私の『運命の相手』は、若くて将来有望な貴族のカシウス様だったのよ!」
「なっ!?君だって、ジェイドに飽きたから金回りの良さそうな俺に乗り換えたんだろうが!この毒婦め!」
「なんですって!?こんなので真実の愛を見つけたなんてよく言えたわね?!女の金を当てにする甲斐性なしの男の分際で!」
さっきまで「真実の愛」だの「運命」だのと称え合っていた甘い言葉はどこへやら。
今や相手の急所を的確に切り裂くための、卑劣で汚らわしい罵詈雑言へと成り下がっていた。
狭い室内で、今にも取っ組み合いの喧嘩でも始めんばかりの勢いで罵り合う二人。
愛が憎悪に変わるのは、こうも一瞬で、そしてこれほどまでに無様なものなのか。
私は冷え切った心地で、潜り戸の隙間からその凄惨な光景を眺めていた。
不思議なことに、あんなに私の胸を締め付けていた悲しみすら、もう微塵も湧いてこない。
ただ、泥沼の中で互いの足を引っ張り合い
醜く喚き散らす二匹の飢えた獣を見ているような、底知れない深い侮蔑だけがそこにあった。
「……行きましょう、ジェイド様。これ以上、彼らの騒音で耳を汚す必要はありませんわ」
「そうですね。次は……あなたの、本来あるべき場所を取り戻しに行かなければ」
ジェイド様は、彼らの虚しい怒号を完全に遮断するように、静かに、けれど力強く扉を閉めた。
翌朝────…
地を這うような冷たい霧が白く立ち込める中
私はジェイド様と共に、かつての我が家……カシウスに追い出されたあのお屋敷へと向かった。
そこには
王宮での一晩にわたる厳しい取り調べを終え、一時的な帰宅を許されたばかりのカシウスとマリアが
一睡もできなかったのか疲れ果てた様子で戻っていた。
けれど、彼らが震える手で玄関の鍵を開けようとするよりも早く
ジェイド様が同行させた厳格な執行官が、冷徹な宣告を下した。
「カシウス・ルミエール殿。およびマリア・アシュフォード。この屋敷、ならびに備え付けの内装品一切は、多額の債務不履行による差し押さえ───」
「は?いきなりやってきてなに言って…」
「正当な権利者であるロゼッタ・ルミエール様への即時返還が決定しました。貴殿らには、一分一秒たりともここに留まる法的権利はありません」
「なっ……!? 何を言っている!ここは俺の家で俺の城だ!」
カシウスが血走った目で、縋るように叫ぶ。
しかし、ジェイド様が守護騎士のように私の前に立ちはだかり、彼を冷たく射抜いた。
「いいえ。あなたがロゼッタさんの財産を私物化して使い込み、あまつさえ税を滞納した時点で、この屋敷は公的に差し押さえ対象となった」
「そして、競りに出される前に正当な価格で買い取ったのは、この僕だ。……そして僕は今、この屋敷の全権利を、ロゼッタさんに無償で譲渡した」
「……は? 嘘……そんな馬鹿な…デタラメ言わないでよ!!」
マリアが絶望に染まった顔で呆然と口を開ける中、私は一歩、凛として前へ出た。
「見苦しいわよ、カシウス。マリア。……あなたたちの今着ているその服さえ、法的にはもう私やジェイド様のものなの。本来なら、今この場でその汚らわしい布切れをすべて脱いでもらいたいくらいだけれど」
私は、あの日。
夫を信じてケーキの材料を抱えて帰ってきた私に
彼らが全裸で嘲笑いながら突きつけたあの仕打ちを鮮明に思い出し、冷たく言い放った。
「その汚らわしい足で、私の屋敷の敷居を二度と跨がないで。……衛兵さん、この不法占拠者たちを外へ」
「待って、待ってよロゼッタ! 私たち、親友でしょ?!今までのことも謝るしこんな男返却するから許してちょうだい!」
「今更親友だなんて、どの口が言ってるの?」
「行くところがないの!お願いだから助けてよ!」
マリアがなりふり構わず縋り付こうとするが、私もジェイド様も無慈悲にその細い身体を引き剥がす。
「ロ、ロゼッタ…た、頼む、!俺が悪かったからやり直そう?!」
「真実の愛を見つけたんじゃなくって?今更復縁を求められても無理ですから」
「こ、後悔してるんだ!やっぱり君が1番だと気づいたんだ!!だから!な?!」
「後悔してももう遅い。あなたとは終わったのよ」
私の態度と言葉にカシウスもまた、抗う力もなく地面に膝をつく。
「分かったら消えてちょうだい。あなたたちが選んだ、その泥まみれの『真実の愛』とやらと一緒にね」
まるで不要な荷物のように引きずられて、二人は門の外へと放り出された。
ガシャン、という重厚な鉄門の閉まる音が、静かな朝の空気に響き渡った。
門の向こう側で、泥にまみれたドレスの端を掴んで泣き叫ぶマリアと
魂が抜けたように呆然と地面を見つめるカシウスの姿が、格子越しに小さく遠ざかっていく。
静寂が戻った美しい庭園で、私は深く長く、胸に溜まっていた毒を吐き出すように息を吸い込んだ。
心の中にこびりついていた重く黒い澱が、朝日の光を浴びて、さらさらと溶け出していくような感覚だった。
「……終わりましたね、ロゼッタさん」
隣に立つジェイド様が、慈しむようにそっと私の肩に手を置いた。
厚い手のひらの温もりだけが、今の私にとって唯一の、そして最高の確かな現実だった。
「はい。……本当に、ありがとうございました」
私は彼を見上げ、あの日以来初めて、仮面ではない心の底からの微笑みを浮かべた。
奪われた屋敷も名誉も戻ってきた。
けれど、それ以上に価値のある自分自身の誇りを、私はこの戦いの中で取り戻したのだと確信していた。