テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
45
#茜
💎星乃葵@ペア画中.ᐟ💎
1,178
りおりんご🍎
2,407
今中希美
28
会場は、にぎやかだった。
プロジェクトの合同の忘年会。
製薬会社、開発ベンダー、大学病院の医局から、二十人ほどが集まっている。
勇斗は、ウーロン茶のグラスを持って、若手のエンジニアに絡まれていた。
「勇斗さん、本当に飲まないんですか」
「車だからな」
「じゃあ、帰りは、誰か乗せてくれるってことですか」
「それは、あとで考える」
笑って、かわす。
視界の端で、窓際の席を確かめた。
仁人が、小さなグラスをゆっくり傾けている。頬が、ほんのわずかに赤かった。
見ていることに、気づかれないようにした。
遅れて、柔太朗が来た。外来のあとで、そのまま来たのだろう。
舜太が、誰よりも早く立ち上がって迎えに行った。
その動きの速さに、勇斗は、自分の部下の素直さを見た。
気づいていないのは、本人だけかもしれない、と。
柔太朗は、勧められた一杯を飲み、少し箸をつけただけで、時計を見た。
「今日は顔だけ見せに来ました。申し訳ないのですが、そろそろ失礼します。明日、朝から外来で」
席を立つ柔太朗に、舜太もすぐに立った。
「玄関まで、送ります」
店の玄関は、少し寒かった。
外の空気が、酒で熱くなった頬に気持ちよかった。
柔太朗が、コートを羽織る。その手つきを、舜太は、なんとなく見てしまった。
「送りたかったんですけど」
舜太は、言った。
「今日は、飲んでしまって。車、置いてきたんです」
「ええ。忘年会ですから」
柔太朗は、少しだけ笑った。
「顔、少し赤いですよ」
「え、ほんまですか」
「楽しそうで、よかったです」
その言い方が、いつもより柔らかかった。
舜太は、赤い頬を自分の手の甲で、慌てて押さえた。
「……次は、飲まん日に、送りますね」
「次の機会に」
柔太朗は、頷いた。
「約束、ですね」
「約束です」
言ってから、舜太は、自分が思っていたより、はっきり言ったことに気づいた。
柔太朗は、何も言わずに、目元で笑っていた。
「気をつけて」
「舜太さんも。……水、飲んでくださいね」
柔太朗は、軽く会釈をして、夜の中へ歩いていった。
舜太は、背中が見えなくなるまで、玄関に立っていた。
冷たい空気が、頬を、少しずつ冷ましていく。冷めていくのが、少し惜しかった。
宴会が終わったのは、十一時前だった。
「駅まで送る人、いる?」
勇斗の声が、店の前の歩道に響いた。
若手のエンジニアが、三人、手を挙げる。それから、そのうちの一人が、仁人に向かって言った。
「仁人さんも駅まで行きますよね、一緒に乗せてもらいましょう」
仁人は、一瞬、答えに迷った。
けれど、若手たちの勢いの中では、理由が見つからなかった。
「……お願いします」
店の裏の駐車場に、勇斗の車が停まっていた。
仁人は、その車を見て足が止まった。
深い色の低い車体。
見覚えのある形。
当時と、同じ車だった。
夜になると、この車に乗った。
行き先を決めずに、走り出す。
海沿いの道。山の上の展望台。朝まで開いている店の、小さな駐車場。
どこかで止まって、また走った。ただ、走るためだけの夜が、何度もあった。
仁人は、助手席のドアを開けた。
革の匂いが、記憶の底の、柔らかい部分に触れた。
ハンドルを握りながら、勇斗は、助手席の仁人を横目で見た。
窓に額を、ほんの少し寄せている。
街灯が、一つずつ、その横顔を通り過ぎる。
昔も、そうだった。この人は、助手席で、あまり喋らない。
窓の外を見ていて、時々、ぽつりと何かを言う。
その「何か」を聞くために、勇斗は走っていた。
仁人は、今も、同じ姿勢で窓を見ている。
時間が、遡ったような錯覚があった。
錯覚だと分かっていた。
後部座席で、若手三人が、うとうとしている。
ターミナルになる大きな駅は、店から、車で十分ほどだった。
終電が少し遅い。
若手が、そこから、それぞれの方向へ帰る。
駅前のロータリーに、車を停める。若手が、眠そうに降りていく。
「ありがとうございました」
「お疲れさまでした」
仁人も、シートベルトを外した。
「俺も、ここから電車で」
「待て」
勇斗は、仁人の腕を、つかみかけて止めた。
手が、袖の少し手前で止まった。
「家まで、送る」
「え」
「送る」
仁人が、何か言おうとしたとき、ロータリーに降りたばかりの若手の一人が、振り返った。
「え、仁人さんだけ、送ってもらえるんですか。ずるい」
聞こえていた。
「ずるくない。仁人は、方向が逆なんだよ。お前ら、そこから電車乗れるだろ」
「えー」
「えーじゃない。終電、逃すぞ」
適当にごまかして、勇斗は、手を払った。
若手は、不満そうな顔のまま笑って、改札のほうへ歩いていった。
ロータリーに、二人きりが残った。
車のエンジンの音だけが、低く、続く。
「……悪い」
勇斗は、前を向いたまま言った。
何が悪いのか、自分でもわからなかった。
止めたことか。強引に送ると言ったことか。
それとも、もっと、前のことか。
仁人は、すぐには、答えなかった。
しばらくして、小さな声で言った。
「……家、覚えてるんですか」
勇斗は、苦笑した。
「覚えてるよ」
それ以上、言葉は続かなかった。
勇斗は、ギアを入れた。
車が、走り出した。
仁人は、窓の外を見ていた。街の灯りが、流れていく。
この道を、勇斗は、迷わずに進んでいる。
覚えてるよ。
その一言が、胸の中で、何度も反響した。
『明日、早いんだろ』
不意に、あの夜の声がよみがえった。言ったのは、自分だった。
『ああ』
と、勇斗は答えた。それが、最後の夜の言葉だった。
その続きを、あの夜は、どちらも話さなかった。
今も話さない。今じゃない。
窓の外の景色が、見覚えのあるものに変わっていく。
マンションの前に、車が停まった。エンジンの音が静かになる。
仁人は、シートベルトを外して言った。
「……ありがとう」
勇斗が、こちらを向いた。
何かを、言いかけた。唇が、わずかに動いた。
けれど、そのまま飲み込んだ。
仁人は、それを見ていた。見ていて、何も言わなかった。
「……お疲れ」
「お疲れさまです」
仁人は、ドアを開けて降りた。夜の空気が、頬に触れる。
車は、すぐには動かなかった。
仁人が、マンションの入口に向かうまで、待っているのが分かった。
入口の前で、仁人は足を止めた。
振り返った。
車が、ゆっくり動き出す。テールランプが、小さくなっていく。
角を曲がって、見えなくなるまで、仁人は立って、見送った。
何度も、こうして見送った。
部屋に戻って、窓から、まだそこに車が見えないか、確かめた夜もあった。
いろんなことを、思い出してしまいそうだった。
思い出す前に、仁人は、入口の扉を開けた。
コメント
3件
2人の過去が少しずつ出てきてドキドキします!
うわっ、この静かな重み……刺さるわ。 忘年会の喧騒の中で、誰にも言えない距離感がそれぞれにあって。特に車中、勇斗が「覚えてるよ」って言ったときの一瞬の間とか、もう言葉にならない感情が詰まってた。仁人が「思い出す前に」扉を開けるところ、分かるよ、その感覚。 るりさんの描写、細かい手の動きとか窓の外の見方ひとつで何年分の時間を感じさせるのが本当に上手い。舜太と柔太朗の約束のシーンも可愛くて、こっちは素直に進んでほしいなって思った。 今年最後にこのエピソード読めてよかったわ。来年も楽しみにしてる🔥