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「なぜ、カルドが……」
王は目を細めた。
血煙の向こう。
一直線に迫る影。
あの男は、利で動くはずだった。
そう聞かされていた。
――ならば、なぜ来る。
この無謀とも言える突撃を。
軍師の言葉が、頭をよぎる。
奴は利で動きます。
(違ったのか……?)
理解が、追いつかない。
「陛下、下がりますぞ」
エスカミオの声は、低く、しかし強かった。
王はわずかに視線を落とす。
「……また、逃げるのか」
その言葉に、わずかな苦味が混じる。
だがエスカミオは即座に返した。
「軍師は、逃げて帝国に二度、一泡吹かせました」
間を置かず、続ける。
「逃げは敗北ではありません。
勝つための位置取りです」
剣を握る手に、力がこもる。
「我らも逃げ、最後に勝ちましょう」
王は沈黙した。
迫る足音。
近衛の叫び。
崩れる戦場。
すべてが、今この瞬間に収束している。
それでも――
王は、小さく息を吐いた。
「……そうだな」
そして、笑った。
それは逃げる者の顔ではない。
勝ちを見据えた者の笑みだった。
「ならば、逃げよう。
勝つために」
エスカミオは深くうなずく。
「御意」
「近衛、殿を務めよ! 王を下がらせる!」
叫びとともに、壁が作られる。
その向こうから――
血煙を裂いて、カルドが迫る。
王は振り返らない。
ただ前を向いて歩き出す。
その背は、決して軽くはない。
だが、揺らぎもなかった。
――逃げる。
だがそれは、終わりではない。
この戦を、最後に勝つための一手。
そのことを、誰よりも理解していたから。
エスカミオは、わずかに足を止めた。
(……誤ったか)
王をカルデル城へ入れた判断。
それは最善のはずだった。
王を守り、戦を継続するための一手。
だが――
カルドは来た。
利で動くはずの男が、
命を捨てるように、ここまで突っ込んできた。
(読み違えたか……軍師)
一瞬の逡巡。
だが、それは一瞬で終わる。
エスカミオは顔を上げた。
その眼に、迷いはなかった。
「……いいだろう」
低く、吐き捨てるように言う。
「カルド」
剣を抜く。
血と煙の中、静かに構える。
「ここで貴様の息を止めてやる」
近衛たちが一歩引く。
その背で、王が遠ざかっていく気配。
守るべきものは、もう後ろにある。
ならば――
前に立つ理由は、一つだ。
「姿を見せろ」
声は大きくない。
だが、不思議と戦場の喧騒の中で、はっきりと響いた。
次の瞬間。
煙が、揺れた。
血の匂いをまとった風が、こちらへ吹き抜ける。
そして――
「……探すまでもねえよ」
低い声。
前方の兵が、横に弾き飛ばされる。
その向こうから現れたのは、
血に濡れた剣を下げた、一人の男。
カルド。
「最短で来たら、ここだろうが」
ゆっくりと歩み寄る。
足取りは重くない。
まるで、散歩でもしているかのように。
だがその一歩ごとに、空気が沈む。
エスカミオは動かない。
ただ、剣を構えたまま、見据える。
「王はもういない」
「……知ってる」
カルドは肩をすくめた。
「だからお前が残ったんだろ」
その言葉に、わずかに笑みが混じる。
「いい判断だ。嫌いじゃねえ」
一歩。
距離が縮まる。
「だがな――」
カルドの目が、わずかに細くなる。
「ここでお前を斬れば、結局同じことだ」
沈黙。
二人の間に、風が通る。
背後では、まだ戦いが続いている。
だがここだけは、別の空間のようだった。
エスカミオが、静かに言う。
「来い」
カルドは、口元を歪めた。
「言われなくても」
次の瞬間。
地面を蹴る音が、同時に響いた。
その少し前、
エスカミオは、王の背を守りながら進んでいた。
戦場は崩れている。
叫びと血と煙が、あらゆる方向から押し寄せてくる。
だが、その中で。
彼の意識は、ただ一つに向いていた。
(……カルド)
あの男との決着。
王を守ること。
敵を斬ること。
その二つは、本当に別のものなのか。
「……同じ、かもしれんな」
小さく呟く。
王となるも、王を守るも。
結局は――何かを背負うということ。
野望か。
誇りか。
どちらが上かなど、もはや意味はない。
ならば――
「剣に聞いてみるか」
その時。
「……探すまでもねえよ」
声が、前方から届いた。
空気が、変わる。
煙の向こう。
兵が、左右に弾き飛ばされる。
その奥から現れたのは――
修羅。
血に濡れた剣を提げ、
まっすぐこちらへ歩いてくる男。
カルド。
その目には、もはや迷いはなかった。
ただ、辿り着くためだけの光。
エスカミオは足を止める。
王の前に、一歩出る。
「……来たか」
静かに剣を構える。
背後では、王が遠ざかっていく気配。
守るべきものは、もう後ろにある。
ならば――
前に立つ理由は、ただ一つ。
カルドが、わずかに笑う。
「逃がしたと思ったか?」
一歩、また一歩と近づく。
その歩みには、一切の迷いがない。
エスカミオは動かない。
ただ、見据える。
「いいや」
短く答える。
「来ると思っていた」
その言葉に、カルドの口元が歪む。
「そいつは光栄だ」
距離が縮まる。
あと十歩。
五歩。
三歩――
風が止まる。
音が消える。
二人の間にあるのは、ただ一つ。
「……決めようか」
エスカミオの声。
カルドは剣を持ち上げた。
「望むところだ」
次の瞬間。
地を蹴る音が、同時に響いた。カルドが踏み込んだ。
速い。
だが、重い。
振り下ろされた一撃を、エスカミオは半歩で外す。
刃がかすめ、火花が散る。
「ちっ――!」
そのまま返す。
横薙ぎ。
カルドは剣で受ける。
金属がぶつかり、鈍い音が響く。
力で押す。
押し切る。
だが――動かない。
「……硬えな」
カルドが笑う。
エスカミオは答えない。
ただ、押し返す。
二人の剣が、ぎり、と軋んだ。
次の瞬間、同時に弾ける。
距離が開く。
間髪入れず、カルドが踏み込む。
連撃。
一、二、三。
速さではない。
“止まらない”剣。
エスカミオはそれを、すべて受ける。
弾き、流し、いなす。
「なんだよ、その守りは」
カルドが吐き捨てる。
「王様の盾ってか?」
エスカミオの剣が、一瞬だけ止まる。
「……そうだ」
短い答え。
次の瞬間。
踏み込む。
今度は、エスカミオから。
重い一撃。
受けたカルドの足が、わずかに沈む。
「ッ――!」
さらに一歩。
押す。
押す。
「守るだけじゃねえな……!」
カルドが笑う。
そのまま剣を滑らせ、体を捻る。
死角からの一閃。
エスカミオは体を引き、紙一重で避ける。
頬に、浅い傷。
血が一筋、流れた。
「いいな、その顔」
カルドの目が細くなる。
「王のために戦ってる顔だ」
エスカミオは答えない。
ただ構える。
ぶれない。
「……やっぱ気に入らねえ」
カルドが低く言う。
「なんであいつなんだよ」
踏み込む。
剣が交差する。
火花。
「俺じゃねえのかよ!」
振り下ろす。
重い一撃。
エスカミオは受ける。
だが今度は、受け切らない。
力を流す。
そのまま――
踏み込む。
懐へ。
「――!」
カルドの目が見開く。
近い。
近すぎる距離。
エスカミオの剣が、静かに動く。
最短の軌道。
無駄のない一閃。
カルドの剣が弾かれる。
体勢が崩れる。
そのまま――
喉元に、刃が止まった。
静止。
一瞬前までの激しさが、嘘のように消える。
風の音だけが、通り抜けた。
金属がぶつかる音が、最後に一度だけ響いた。
そのあと――
静寂。
エスカミオの剣先が、カルドの喉元に止まっていた。
わずかに血が滲む。
あと一歩で、終わる距離。
カルドは、ゆっくりと息を吐いた。
そして――
手にしていた剣を、放り投げた。
乾いた音を立てて、地面に転がる。
「……負けた、負けた」
肩をすくめる。
その顔に、悔しさはなかった。
「あんたにゃ、かなわなかった」
エスカミオは動かない。
ただ、その言葉を受け止める。
風が、二人の間を抜けた。
遠くで、まだ戦の音が続いている。
だがここだけは、別の場所のようだった。
やがてエスカミオが、静かに言う。
「あんたは来るって、思ってたよ」
カルドの眉が、わずかに動く。
「あの時――王さんを見た時」
一拍。
「嫉妬したんだろ」
沈黙。
カルドは、ふっと笑った。
否定はしない。
エスカミオは続ける。
「俺も同じだから、わかる」
その言葉に、ほんの少しだけ重みが乗る。
カルドは顔を上げた。
どこか、吹っ切れたような目だった。
「……そうかい」
そして、軽く息を吐く。
「じゃあ、なおさら勝てねえわけだ」
肩の力が抜ける。
戦う理由は、もう残っていない。
カルドは周囲を見渡した。
崩れた戦場。
倒れた兵。
まだ戦い続けている者たち。
そして――
「なあ」
軽い調子で言う。
「身代金は払う」
エスカミオはわずかに目を細めた。
カルドは続ける。
「俺に従って、生き延びたやつ全員分だ」
指で、後方を示す。
「……そこの、ボブってガキもな」
名を出された少年兵が、びくりと震える。
カルドは苦笑した。
「俺のわがままな夢に、付き合わせちまった」
視線が、遠くを見る。
「だから――全部、払う」
静かに、しかしはっきりと言い切る。
「必ずな」
エスカミオは、しばらく何も言わなかった。
ただ、目の前の男を見る。
この男は敗者だ。
だが――
軽蔑はできなかった。
ゆっくりと、剣を引く。
「……いいだろう」
短く答える。
その一言で、すべてが決まった。
カルドは小さく笑った。
「助かる」
そして、空を見上げる。
戦は、まだ終わっていない。
だが――
自分の戦いは、ここで終わった。
ククルースのもとに、伝令が駆け込んできた。
「報告! カルド様――」
言い淀む。
その一瞬で、ククルースは察した。
「……捕まった…」
声は静かだった。
伝令がうなずく。
周囲の兵がざわつく。
誰かが舌打ちし、誰かが天を仰ぐ。
あの男が。
負けるはずのない男が。
ククルースは、しばし何も言わなかった。
血の匂いがまだ濃く残る戦場。
遠くで続く戦の音。
そのすべてが、急に遠く感じられる。
(……やられたな、親分)
だが――
次の瞬間には、顔を上げていた。
迷いはない。
「聞け」
低い声で言う。
ざわめきが止まる。
「この場は解散だ」
兵たちが目を見開く。
「各自、小隊ごとに散れ。
追撃を受ける前に離脱しろ」
「ですが――!」
「命令だ」
短く、切る。
それ以上の言葉は必要ない。
ククルースは周囲を見渡す。
生き残った顔。
疲れ切った目。
それでも、まだ動ける兵たち。
「生き延びろ」
それだけ言った。
「……ふむ」
小さく息を吐く。
「とりあえず身を隠して、様子を見るか」
軽い口調。
だが、その実――
すでに次を考えている目だった。
カルドがいない戦。
その中で、何ができるか。
何をすべきか。
風が吹く。
煙が流れ、戦場の形が変わっていく。
ククルースは、その流れをじっと見ていた。
(……さて)
唇の端が、わずかに上がる。
(ここからどう転ぶかね)
「国王陛下、おおかた終わりました」
エスカミオの報告は、簡潔だった。
だがその一言の裏に、どれほどの血が流れたか――
ここにいる誰もが理解している。
ユシュア王は、しばし沈黙した。
戦場から少し離れた陣。
遠くには、まだ煙が上がっている。
「……そうか」
短く応じる。
そして、視線を落とした。
(カルド……)
あの男の姿が、頭から離れない。
血に濡れながらも、まっすぐにこちらへ来た男。
王を前にしてなお、揺るがなかった眼。
敵である。
だが――
「どうされますか?」
エスカミオが静かに問う。
王は顔を上げた。
わずかに、迷いがあった。
会うべきか。
会わぬべきか。
敵将を前にすれば、情が移るかもしれない。
だが、あの男は――
「……会おうか」
ぽつりと漏れる。
それは、命令というよりも、独り言に近かった。
すぐに、軽く首を振る。
「いや……」
息を吐く。
「まずは伝えてくれ」
エスカミオの目を見る。
「身の安全は保障すると」
一拍置いて、付け加える。
「丁重に、な」
「御意」
エスカミオはうなずき、踵を返す。
その背を見送りながら、王は小さく笑った。
「……どうも憎めないんだよね」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「敵なのにね」
風が吹く。
戦の匂いを、少しずつ運び去っていく。
だが王の胸の中には、まだ残っていた。
あの男の――
真っ直ぐすぎる、在り方が。
結局――
ヨシュア王は、再びカルドと対面していた。
血と煙の匂いが、まだ薄く残る陣中。
だがそこには、もはや戦の気配はない。
「これからカルデル城への同行をお願いします」
王は穏やかに言った。
カルドは肩をすくめる。
「……承知した」
軽い調子。
だが、拒む気配はない。
「この戦が終われば、無事本国へお送りいたします」
その言葉に、カルドは一瞬だけ沈黙した。
そして、ぽつりと呟く。
「……俺は、勘違いしてた」
視線は遠く。
戦場の向こうを見るように。
「もし天が、この大陸の運命を誰かに委ねるとしたら――」
一拍。
「金か、力か、宗教か……
そんなもんだろうって、勝手に思ってた」
苦笑する。
「でも」
ゆっくりと顔を上げる。
「ひょっとしたら、どれでもねえのかもしれねえ」
その言葉を、ヨシュア王は静かに受け止める。
すぐには答えない。
ただ、少し考えるように目を細めた。
「……そうですね」
やがて、穏やかに言った。
「我々はただ――」
空を仰ぐ。
「その“天”に抗おうとしている、
ちっぽけな存在なのかもしれません」
カルドは、しばらく黙っていた。
それから、ふっと笑う。
「……あんた、いい王様だよ」
まっすぐな言葉だった。
ヨシュア王は、わずかに首を振る。
「いいえ」
静かに、しかし確かに言う。
「あなたこそ――」
カルドを見る。
「私の持たぬものを、すべて持っている王だ」
風が吹く。
戦の残り香を、ゆっくりと運び去っていく。
二人の間に、もう剣はない。
だが――
「王とは、生まれるものか、なるものか」
それでもなお、どこかで対峙しているような空気が残っていた。