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***
“BLENDA”へ初出社当日の朝。
わたしは雨城さんが運転する車に乗っていた。
「そういえば、賢司さんが雫さんの就職祝いをしようって言ってましたよ。」
信号待ちで車が停止しているタイミングで雨城さんが言った。
「えっ、本当ですか?」
「はい。お店の閉店後にお祝いすると言ってました。今日は早めに21時で閉めるみたいなので、その時間くらいに行きましょう。3人でお祝いです。」
そう言うと、雨城さんは微かに微笑みを浮かべ、青信号で車を発進させた。
雨城さんはいつの間にか賢司さんにわたしの就職が決まった事を伝えてくれていたようだ。
あれから、わたしは”SEVENS BAL”には顔を出していない。
しかしそういえば、賢司さんは雨城さんのお隣さんだと言っていた事を思い出した。
お世話になっておきながら、賢司さんに報告し忘れていた自分に反省する。
(今日賢司さんに会ったら、ちゃんとお礼を言わなきゃ。)
そう思いながら、わたしは「ありがとうございます。賢司さんにもお礼を言わなきゃですね。」と言い、膝の上に置くバッグを握り締める手に力を込めた
“BLENDA”本社の駐車場に着くと、雨城さんは車の中でわたしに社員証を手渡してくれた。
そこには『販促課 芽吹』と書かれており、それを見たわたしは”BLENDA”に入社した事をじんわりと実感していった。
“BLENDA”の社員の人たちは、交通機関での通勤がほとんどらしく、雨城さんのように車通勤の人は珍しいようだ。
その為、”BLENDA”本社の専用駐車場には、それほど車が停まっていなかった。
「それでは、行きましょうか。」
「はい。」
そしてわたしは、雨城さんから受け取った社員証を首から下げると、雨城さんと共に車から降りた。
そこから、駐車場のすぐ横に堂々と聳え立つ”BLENDA”本社ビルをわたしは見上げる。
(今日から、ここで頑張ろう。)
そう意気込んだわたしは、歩き出す雨城さんに続き、”BLENDA”本社ビルの中へと向かって歩き出した。
その日は、出社初日という事もあり、午前中は業務というよりも主に業務内容の説明や取引先についてなどの話を聞いた。
わたしの教育係りを担当してくれるのは、見学時に最初に挨拶をした戸田主任だ。
戸田主任は、最初の印象こそ表情があまりなく少し恐かったが、話してみると”単に表情に出づらい人”という事が分かり、わたしの緊張も少しずつ解けていった。
それから、販促課は5人ずつチームに分かれて仕事をしており、わたしは篠原さんという32歳の男性がリーダーを務めるチームに入る事になった。
「どうも、篠原です。宜しくお願いします!」
明るくハキハキと喋る篠原さんは、少し嗄れたハスキーボイスが特徴的な短髪の男性で、その他のチームの方は島屋さん、藤枝さん、沼田さんという女性だった。
午後になると、販促物のデザインについての説明と、実際に体験をさせてもらった。
デザインを学んだ事はないし、このような制作をした事はないが、やってみると楽しくて細かいところまでこだわりたくなってしまう自分がいた。
そうこうしている内に、あっという間に定時になってしまい、今日の就業時間は終了となった。
帰りは雨城さんと一緒に帰る事になっていた為、帰る支度をしながら、上の階から雨城さんが来るのを待っていたのだが、その時にわたしに近付いてくる一人の女性がいた。
「あなたが、新人さん?」
そう話し掛けて来たのは、違うチームの『販促課 畑山』さんという女性だった。
30代前半くらいの胸元が広く開いた洋服にタイトなスカートを穿いた、ボブヘアーで眼鏡をかけた涼しい目元が印象的な女性だ。
「あっ、はい。芽吹です。宜しくお願いします。」
わたしがそう言い一礼すると、畑山さんはその涼やかな瞳でわたしを下から上までを観察しているように見えた。
そして、「あなた、雨城課長の知り合いなの?」と、表情無く低めなトーンでわたしに言った。
「えっと、知り合いといいますか······」
雨城さんを”知り合い”と言っていいものなのか···――――
わたしが答えに迷っていると、そこに「雫さん、お待たせしました。」と雨城さんがやって来た。
すると、今の今まで表情無く低いトーンで話していた畑山さんは、雨城さんが来た瞬間に笑顔を浮かべると「雨城課長、お疲れ様です。」とにこやかに一礼しながら言っていた。
畑山さんのその豹変に驚くわたしは、(あぁ、そういうタイプの人かぁ······)とある事を悟ったのだった。
「あっ、畑山さん。お疲れ様です。」
誰に対しても丁寧に接する雨城さんは、畑山さんにも穏やかな口調で挨拶をした。
すると畑山さんはまるで胸元を強調するかのように、腕を中央に寄せ「雨城課長、今日このあとお食事ご一緒しませんか?」と誘っていた。
しかし、雨城課長は「あぁ、実はこの後、大事な用事がありまして。申し訳ありません。」と申し訳無さそうに丁寧にお断りしていた。
この後は、一度帰宅してから、賢司さんのお店でわたしの就職祝いをしてくれる事になっている。
それを雨城さんは”大事な用事”と言ってくれた事に、わたしの胸はトクンと小さく跳ね、音を立てた。
「そうでしたか、残念です。じゃあ、またの機会にお願いします。」
そう言い、雨城さんには愛想良く振る舞う畑山さんは「では、お疲れ様でした。」と言うと、クルリと背を向け帰って行った。
そんな畑山さんの様子から(やっぱり、雨城さんに好意があるんだろうなぁ。)と感じ取ったわたしだが、”就職祝い”で畑山さんの邪魔をしてしまった事に申し訳無さは感じなかった。
彼女は今後、何かとわたしに突っ掛かってくるだろう。
そんな気がしたからだ。
「それじゃあ、一度帰宅して、着替えてから賢司さんのお店に行きましょうか。」
そう言う雨城さんの言葉に、わたしは「はい。」と返事をすると、雨城さんと共に退社した。
賢司さんと会うのは数日ぶりだが、何だかもう一ヵ月近く会っていないような感覚だった。
それだけ、この数日がわたしの中で濃く印象深くなっていたのかもしれない。
(賢司さんのご飯、楽しみだなぁ。)
そんな事を考え、楽しみから高鳴る胸を抑えながら、わたしは雨城さんが運転する車で一時帰宅したのだった。
そして帰宅してから、仕事着ではなく滅多に着る事のないワンピースに袖を通したわたしは、メイクも直し、いつでも家を出られるように準備を済ませた。
それから部屋を出てリビングに向かうと、そこには白いシャツに黒のパンツ、黒いジャケットを羽織る雨城さんがソファーに座っていた。
シンプルなのに不思議とお洒落に見えてしまう雨城さんの服装に、わたしはきっと雨城さんには人の目を惹くオーラがあるからだろうと感じた。
「雨城さん。」
わたしがそう声を掛けると、雨城さんはふとこちらを向いた。
そしてわたしの姿を見た雨城さんは「可愛らしいですね。」と言い、優しい微笑みを浮かべた。
「···ありがとうございます。」
雨城さんに”可愛らしい”と言われると、ついついわたしは照れてしまう。
普段なら(どうせお世辞だろうなぁ。)なんて思い、素直に喜べないのだが、雨城さんの言葉には素直に喜んでしまっている自分がいた。
ゆっくりと雨城さんに歩み寄って行くわたしは、雨城さんに「あのぉ、一つお願いがあるんですけど、いいですか?」と尋ねた。
雨城さんはわたしの言葉に「何ですか?」と優しく訊いてくれる。
わたしは少しくすぐったい気持ちを抑えながら「賢司さんのお店に行ったら、また雨城さんの弾く”最後の雨”が聴きたいです。」と言った。
「もちろん、いいですよ。」
そう答えてくれた雨城さんは、ソファーから立ち上がると、壁掛け時計で時刻を確認し「そろそろ行きましょうか。」と言って穏やかな表情を浮かべた。
そして再び車に乗り、賢司さんのお店である”SEVENS BAL”に向かうわたしたち。
駅近のビル内にある”SEVENS BAL”はいつもであれば23時まで営業しているのだが、今日は特別に21時で閉店しており、重厚感がある扉には”Closed”の札が掛かっていた。
その扉を体重を掛けながら開ける雨城さんに続き、わたしも中へと入って行く。
カランカランと鳴る扉の内側に付いているベルが、わたしたちの来店を賢司さんに知らせてくれた。
「あ〜ら!いらっしゃい!待ってたわよ!」
そう言って、わたしたちを迎えてくれた賢司さんは、カウンター内で準備中のようだった。
店内には、料理の良い香りが漂っており、その匂いだけでお腹が空いてきてしまったわたしは、密かにグゥとお腹を鳴らせていた。
「お邪魔します。」
「もう準備終わるから、座って待っててね!」
賢司さんの言葉でカウンター席につく雨城さんとわたしは、前回座った場所と同じ場所に座った。
「賢司さん、わざわざお店を閉めてまでお祝いしてくださるなんて、ありがとうございます。」
わたしがそう言うと、賢司さんは「なぁに言ってんのよ!めでたいんだから、当たり前じゃない!」と言って、にこやかにわたしに向けてピースをして見せた。
「でも本当に良かったわよ!無事に仕事が決まって!慧仁くんのとこなら安心だし!あとはお家だけね!」
そう言いながら準備を進めて行く賢司さんは、雨城さんとわたしの前にお洒落なグラスを置くと、そこに綺麗にシュワシュワと泡を立てるシャンパンを注いだ。
「これノンアルだから大丈夫よ!」
それは車で来ている事を把握している賢司さんの気遣いだ。
そして、賢司さんも小指を立てながらグラスを持つと「さて!乾杯しましょ!」と言い、わたしの就職祝いが始まった。
「乾杯!」
そう言ってぶつかり合ったグラスの華奢な音が響いた。
賢司さんが注いでくれたノンアルコールのシャンパンは、甘口で爽やかなシャルドネの香りが鼻を通り、飲みやすかった。
そして目の前に運び出されてきたのは、どれも美味しそうな賢司さんの料理たち。
グリルチキンにアヒージョ、牛肉のピラフにタラのバターソテーなど、色鮮やかでどれも主役になれるような料理ばかりだ。
「そういえば、家の方は?良いとこ見つかりそう?」
シャンパングラスを持ちながら、賢司さんが言う。
わたしは口に入っていたタラのバターソテーを飲み込んだ後で「はい、通いやすそうなところに良い物件があって、そこにしようと思ってます。」と答えた。
「そう!良かったわぁ!」
「本当に賢司さんと雨城さんのお陰です。ありがとうございます。」
わたしはそう言うと、改めてお二人に感謝を述べた。
それから食事を始めて少し落ち着いたところで、雨城さんが「賢司さん、ピアノお借りしてもいいですか?」と言った。
賢司さんは「いいわよ〜!」と言いながら、口の周りをおしぼりで拭いていた。
スッと立ち上がる雨城さんは、わたしにアイコンタクトを取るように微笑み、わたしは「宜しくお願いします。」と軽く会釈した。
そして店内にあるグランドピアノの方へ歩み寄って行く雨城さんは、上着のジャケットを脱ぎ、それを近くのテーブルに置くと、ピアノの椅子を引き、そこへゆっくりと腰を掛ける。
わたしは、いよいよ始まる雨城さんの演奏に胸を高鳴らせながら、握り締める手を膝に置いた。
雨城さんは鍵盤蓋を上げると、一度こちらを向き、「では、雫さんのリクエストにお応えして。”最後の雨”です。お聴きください。」と言い、その綺麗な手を鍵盤に添えた。
それから雨城さんは、わたしの聞き惚れた”最後の雨”の演奏を始めた。
前奏から始まる切なく綺麗な音色に、わたしは雨城さんから目を離す事が出来なかった。
雨城さんの”最後の雨”を聴いていると、その歌詞の情景が思い浮かんでくる。
「さようなら」と告げて、雨が降る中の恋人たちの別れ。
その恋人たちの切なさを表すような、雨に光り霞がかったように見える街並み。
別れを告げられても、忘れる事が出来ず、残るのは後悔ばかり。
本気で愛していたからこそ流れる涙。
いずれ誰かのものになるのなら、抱き締めて壊してしまいたいと思う程、本気の恋だった。
そんな切ない歌詞の情景を思い浮かばせる、雨城さんが奏でる音色は、やはりわたしの涙を誘った。
雨城さんがピアノを弾き終えると、賢司さんとわたしは涙を潤ませながら拍手を送った。
「ありがとうございました。」
雨城さんは立ち上がり、身体をこちらに向けると、そう言って一礼をした。
「はぁ〜、やっぱり慧仁くんの”最後の雨”は最高ね。」
溜息混じりに賢司さんがそう言った。
そして涙を流すわたしにティッシュを差し出す賢司さんは、「もう雫ちゃんたらっ!」と言って「あははは!」と笑っていた。
「何度聴いても泣けちゃいます。」
わたしがそう言いティッシュを受け取ると、賢司さんは「わかるわぁ〜!」と共感してくれた。
そして、こちらに戻って来た雨城さんに賢司さんとわたしは再び拍手を送る。
雨城さんは少し恥ずかしそうに「ありがとうございます。」と言うと、わたしの隣の椅子に腰を掛けた。
すると、賢司さんが「あら、雫ちゃん。涙でお化粧が崩れてるわよ!」と言い、指で化粧崩れしている箇所を教えてくれた。
「えっ!本当ですか?」
わたしはそう言い立ち上がると、「ちょっと、化粧直して来ますね。」と言い、カウンター横にある化粧室へと向かった。
化粧室に入り、鏡の前に立つわたしは、顔を鏡に近付けながら化粧を直していく。
どうやら、涙でマスカラが落ちてしまったようだ。
黒くなってしまった部分を拭き、ファンデーションも塗り直して、最後にリップを塗っていく。
(よしっ、こんな感じで大丈夫かな?)
鏡を見ながらそう思っていると、カウンターで話している雨城さんと賢司さんの会話が微かに聞こえてきた。
化粧室は、カウンターのすぐ横にある為、微かではあるが声が聞こえてくるのだ。
普段であれば、他のお客さんたちも居るため会話が気になる事はないのだが、今日はわたしたち3人しか居ない為、その声がやけにハッキリと聞こえてくるように感じた。
すると、賢司さんの話し声が聞こえてきた。
「それにしても、あと2ヵ月だなんて······」
切なげな賢司さんの声に(2ヵ月?)とわたしは何気に思った。
「慧仁くん、あの子はまだ29よ?何とかならないのかしら。」
(あの子?29?わたしの事?何の話だろう。)
聞くつもりはなかった雨城さんと賢司さんの会話につい耳を傾けてしまう。
そして、そろそろ化粧室を出ようとした、その時だった。
「余命が2ヵ月だなんて、雫ちゃんが可哀想すぎるわよ。」
(えっ······)
賢司さんの言葉に、わたしの身体が硬直する。
(今、何て······?)
すると、今度は雨城さんの声が聞こえてきた。
「僕も何とかならないかと、色々考えてみてはいるんですが···」
二人の会話の意味が分からず、わたしはただその場で混乱しているしかなかった。
――――余命が2ヵ月
――――何とかならないか、色々考えてる
雨城さんと賢司さんは、どうしてわたしの余命が2ヵ月だと思ったのだろう。
「それって、絶対なの?」
「はい、掟なので。」
「その掟を破ると、どうなるの?」
「それは、僕にも分かりません。失敗をして、クビなった死神は知っていますが、掟を破った者は僕が知る限りでは居ないので。」
雨城さんの言葉に、わたしの混乱が増していく。
(死神···?何の話をしてるの?)
「失敗でクビなら、掟を破ったら、どうなるのかしら······」
困り果てたような賢司さんの声色。
わたしは雨城さんの賢司さんの話の内容に全くついて行けず、ただ立ち尽くしている事しか出来なかった。
しかし、もしかしたら「雫ちゃん」と聞こえたのは、聞き間違いかもしれない。
「死神」と聞こえたのも、何かの間違いかもしれない。
ノンアルコールを飲んでいるつもりだったが、もしかしたらノンアルコールは雨城さんだけで、わたしは普通のシャンパンだったのかもしれない。
(そうだよ、わたし、きっと酔ってるんだ。そうに違いない。)
わたしは自分にそう言い聞かせると、意を決して雨城さんと賢司さんの元へ戻る事にした。
化粧室の扉を開け歩き出すと、カウンター席が見えて、雨城さんと賢司さんの視線がわたしに向けられた。
しかし、わたしは何も聞いていなかったフリをした。
「戻りましたぁ〜」
そう言ってわたしが戻ると、賢司さんは何事も無かったかのように「あら、おかえり。綺麗に直してきたわね。」と言い、笑顔で迎えてくれた。
しかし、そんな賢司さんの表情はどこか無理に笑顔を作っているように感じ、わたしの気になる気持ちが消え去る事はなかった。
「さて、もう一本シャンパン開けちゃいましょう!」
そう言うと、賢司さんはまるで何かを誤魔化すかのように新しいシャンパンを取りにカウンター裏へと姿を消して行ったのだった。
その後もわたしは何も聞いていなかったように雨城さんと賢司さんに普通に接していた。
しかし、「余命2ヵ月」と「死神」の言葉は、わたしの中にチラつき続けていた。
あの会話は何だったのか···――――
いくら考えても、わたしの中で答えが出る筈もなかったのだ。
そして、帰宅したのはもうすぐ日付が変わる頃。
自宅に着くと、雨城さんは「美味しかったですね。」と言いながら、わたしに微笑みかけた。
「そうですね、美味しかったですね。」
無難なごく普通の返答しか出来ないわたしは、出来るだけ普通に返事をした。
そして、自然な流れでソファーに腰を下ろす雨城さんとわたしだったが、そこで雨城さんはわたしの異変に気付いたかのように「雫さん、どうしたんですか?」と尋ねてきた。
「えっ?」
「何というか、どこか上の空な感じがして。」
雨城さんの言葉にドクンと胸の奥が苦しくなる。
本当に雨城さんは少しの違いにも察する能力があると思った。
「···何でも無いですよ。少し眠たくなってきたせいかな?」
そう言って、わたしは笑って誤魔化した。
しかし、そんな嘘に誤魔化される雨城さんではなかった。
「もしかして···、聞いてましたか?」
「えっ?」
「そのぉ···、賢司さんと、僕の会話を······」
雨城さんの問いに、視線を落とすわたしは、雨城さんを直視する事が出来なくなってしまった。
(何て答えればいいんだろ······)
わたしは返答に困った。
素直に言っていいのか、聞いていなかったフリを続けた方が良いのか···――――
しかし、このまま何も知らずに普通に過ごしていける自信が無かったわたしは、そっと雨城さんの方に視線を戻すと「聞くつもりは無かったんですけど···」と言葉を濁した。
すると雨城さんは「そうでしたか···」と言い、複雑な表情を浮かべた後、「申し訳ありません。」と言い、瞳を固く閉じた。
「···あの、でも···、あまり意味がよく分かっていなくて。」
「どのあたりから聞いていましたか?」
「賢司さんが”余命2ヵ月”と言ったあたりです。」
わたしがそう答えると「そうですか···」と言い、雨城さんは何と説明しようか迷っているように見えた。
「あの、あれは誰の話だったんですか?わたしの話、ですか···?」
ストレートにそう問うわたしに、目を合わせずらそうにする雨城さんだったが、こちらを向くと「雫さんは、どんな話でも···聞きたいですか?」と言った。
わたしはその雨城さんの言葉に、ゆっくりと深く頷いた。
「···実は、雫さんの余命は、あと約2ヵ月なんです。」
雨城さんの言葉に(やっぱり、わたしだったんだ···)とわたしは肩を落とした。
(あと、2ヵ月って···、わたし30歳を迎える前に、死ぬって事?)
わたしはそう思いながら、「あと2ヵ月···、でも、どうしてそう思ったんですか?雨城さんが、元お医者さんとか?」と雨城さんに尋ねた。
しかし、雨城さんは「いえ。」と否定した上で「···ここから話す事は、雫さんを少し戸惑わせてしまうかもしれません。信じるかどうかは、雫さん次第です。」と言い、わたしは「分かりました。」と自分を落ち着かせながら答えた。
「なぜ、そう思ったかについてですが···、それは、僕が···死神だからです。」
真剣な眼差しで、非現実な事を口にする雨城さんは、少しも冗談めいてなどいなくて、その事にわたしは困惑した。
少しでも雨城さんがふざけている様子でもあれば、「何言ってるんですか!」と笑い飛ばせたのに···――――
そんな事が出来るような雰囲気ではなかったのだ。
「僕は、こう見えて人間ではありません。いや、人間ではあるのですが、正確には人間の肉体を借りた死神なんです。」
(雨城さんが···死神?死神って、骸骨のような容姿に鎌を持ってるのが、死神なんじゃないの?)
わたしはそう困惑しながら、「雨城さんが、死神···?」と呟いた。
「はい。死神は、天からの指令により、寿命がきた人間を死界へ導くのが役割となります。人間の寿命が尽きる約2ヵ月前に指令がくるんですが、それが今回···雫さんへの指令が届いたんです。」
あまりにも現実離れした内容に、わたしは何と反応すれば良いのか分からなかった。
そんな話はテレビでしか聞いた事が無かったからだ。
それがこんな身近に、そして自分の身に降りかかるだなんて、思いもしなかった。
「えっと···、雨城さんが死神で、天からわたしの寿命があと2ヵ月だと、知らせがきたって、事ですか?」
恐る恐るわたしがそう訊くと、雨城さんは静かに頷き「はい。」と返事をした。
「ってことは、雨城さんに指令がきたという事は···、わたしは、雨城さんに···、えっと、言い方が悪いですけど、殺されるという···事ですか?」
わたしがそう訊くと、雨城さんは視線を落とし、何も言わずにただ頷くだけだった。
その瞬間、何だか何もかもが馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。
前の会社に酷い扱いをされ、元恋人には裏切られ···――――
生活を立て直そうと、新しい仕事も見つけて、家も決めて、これからまた新しい自分の人生を進んでいこうとしてる時だというのに···―――余命2ヵ月?
しかも、助けてくれたと思って感謝していた雨城さんに、殺される?
やっぱり神様なんて、いなかったのかもしれない。
わたしは、そう思った。
「本当に、申し訳ありません······」
そう言って、わたしに向かい深く頭を下げる雨城さんの姿に、わたしは胸が痛くなった。
でも、よく考えてみれば、雨城さんは何も悪くない。
ただ指令が来て、それを遂行しなければならない立場なのだ。
わたしは一瞬、雨城さんの事さえ敵に見えてしまったが、それは違うと思った。
(雨城さんは、何も悪くないよね。)
「ちょっと、質問いいですか?」
わたしはそう言い、雨城さんに純粋に疑問に思った事を訊いてみる事にした。
雨城さんは申し訳なさそうな表情を崩す事なく「はい。」と答えてくれた。
「わたし、死神って、骸骨が黒いマントを着てて、鎌を持ってるイメージがあったんですけど、それは違うんですか?」
「そうですね、基本的には骸骨ではなく、どの死神も人間と同じような姿をしています。ただ、任務を遂行する時だけ鎌は使いますね。」
雨城さんの話を聞き、現実味の無い話ではあるが、「へぇ〜」とどこか楽しくなってきている自分がいた。
どうしてだろう。
自分の余命を知らされたばかりなのに、怖くない。
「死神は、みんな人間の姿をして、この世界で暮らしているんですか?」
「いえ、僕のように人間として暮らしている死神は稀です。ほとんどの死神は、任務の時だけ天から降りてきて、遂行してから戻って行きます。」
「へぇ···、でもどうして人間に扮してる死神と、そうじゃない死神がいるんですか?」
わたしは何だか”死神”に興味が湧いてきて、雨城さんに質問攻めしてしまう形となっていた。
それでも雨城さんは、嫌な顔せずに丁寧にわたしの質問や疑問に答えてくれた。
「ある一定の霊格まで上がると、人間界の情報を集める任務も与えられるので、人間に扮しながら生活をして情報回収をしながら、指令がきた時に任務を遂行しています。」
「って事は、雨城さんは霊格が高いって事ですか?」
わたしがそう訊くと、雨城さんは少し照れくさそうに「まぁ、そういう事になりますかね。」と答えていた。
「何か、わたしの知らない世界があるだなんて···、そういう話はあまり聞いた事がなかったので、不思議です。」
「そうですよね。」
「あっ、それじゃあ、どうして賢司さんとその話をしてたんですか?もしかして、賢司さんも死神って事ですか?」
わたしがハッとしながらそう訊くと、雨城さんは首を横に振り「いえ、賢司さんは普通の人間ですよ。ただ、かなり霊格の高い人間なので、普通の人では視えないものが視えてしまうタイプの方のようです。」と、話してくれた。
それはつまり、簡単に言うと”霊感がある”人間という事のようだ。
その後もわたしは雨城さんに質問攻めをし続けた。
死神は大人の姿だけではなく、子どもの姿をした死神も居る事。
天から死神に指令が届く日は、雨が降る事。
人間の寿命は、生まれてくる前から決まっており、いつ何処でどんな風にと詳細に決めれている事。
指令通りに任務が遂行出来なかった死神には、罰則が与えられる事。
雨城さんは、わたしが納得いくまでどんな質問にも答えてくれた。
それにより、わたしは自分の定められた運命を受け入れられるような気持ちになってきていた。
まだ実感は湧かないし、信じきれていない部分もあるが、雨城さんが嘘をつくような人だとは思えない。
その事だけが、わたし自身を受け入れる心を奮い立たせている気がしていたのだった。
「それじゃあ、わたしが何月何日に何処でどんな風に死ぬのかも、決まってるんですよね?」
「はい、そうですね。」
「それを教えていただく事は、出来ますか?」
わたしがそう訊くと、雨城さんはわたしが聞き逃さないように、ゆっくりと答えてくれた。
「8月28日、仕事帰りの帰宅途中に、髄膜炎で亡くなると報告を受けています。」
――――8月28日
――――帰宅途中に、髄膜炎で···
あまりにもリアルな回答に、つい納得してしまっている自分がいた。
何故か分からないのだが、それが想像出来てしまったのだ。
「じゃあ、その時に雨城さんが······」
わたしがそう呟き、宙を見上げると、雨城さんは静かに「はい。」とだけ返事をした。
「でも、どうやって?雨城さんは人間の姿をしているから···見られちゃったら、ヤバくないですか?」
わたしが眉間にシワを寄せながらそう訊くと、雨城さんは穏やかな口調で「それは心配いりませんよ。」と言った。
「僕は、普通の死神と違って、遠隔で任務を遂行する事が出来るんです。」
「へぇ、凄いですね!見られちゃヤバいですもんね。」
「見られたら、こちらの世界では逮捕されてしまいますからね。」
わたしはそれを聞き「確かに。」と笑ってしまった。
笑うような話でもないのだが、わたしの心はなぜか穏やかになっていた。
すると、雨城さんが「雫さん。」とわたしの名を呼んだ。
そこでわたしは雨城さんの方を向き、「はい。」と返事をする。
雨城さんは優しい瞳でわたしの事を見つめていた。
「何かやりたい事はありませんか?僕にお手伝い出来る事があれば、何でもやりますよ。」
雨城さんの言葉から「やりたい事······?」と呟くわたし。
やりたい事···――――
わたしがやりたい事って、何だろう···――――
そう思いながら、わたしは思い浮かんだ事を口にした。
「やっぱり仕事は、ギリギリまで精一杯頑張りたいですね。それから···、最期くらいは、誰かに愛されたいです。愛を感じてから、逝きたいですね。」
わたしはそう言うと、雨城さんに照れ笑いをして見せた。
わたしは今、きっと恥ずかしい事を言っている。
しかし、それがわたしの本音だ。
最期くらいは、誰かに愛されたい···――――
何もおかしくはないよね?
「でも、あと2ヵ月しかないのに、新しい恋人を作るには時間が足りません。それに、仮に出来たとしても、余命短いわたしと恋をするのは、相手には残酷でしかありません。だから···、雨城さん―――」
わたしはそう言うと、雨城さんを見上げた。
雨城さんはこれからわたしが言おうとしている事を悟っているかのように、穏やかに「はい。」と返事をした。
「わたしの、恋人になってもらえませんか?わたしの命が尽きる、その日まで······」
自分でも、何を言っているんだろう、と呆れてしまうような願い。
でも、最期くらい我儘を言っても許されるような気がしてしまった。
雨城さんはわたしの願いに驚く事なく、「僕でいいんですか?」と言った。
「雨城さんにしか、お願い出来ません。期間限定の恋人です。わたしを心から愛して欲しいとは思っていません。ただ···フリをしてくれるだけでいいんです。」
わたしがそう言うと、雨城さんは一呼吸置いてから「分かりました。」と承諾をしてくれた。
こうして、雨城さんとの口約束の契約を結んだわけだが、期間限定の恋人は、何をするものなのだろう。
自分から無理な願いを言っておきながら、(そんな疑問を抱くなんて、本当に馬鹿だなぁ。)と自分にほとほと呆れてしまった。
すると、雨城さんは自分に呆れ返っているわたしに、こんな提案をし始めた。
「じゃあ、新しい家は必要ありませんね。最期の日まで、この家に居ればいいですよ。それから、僕たちは恋人関係になるわけですから、同じ部屋で、同じベッドで眠りましょう。」
あまりの雨城さんの呑み込みの早さと、大胆な提案に、自分が願った事にも関わらず戸惑ってしまう。
しかし、ここで否定してしまうと、雨城さんには失礼になってしまうと思い、わたしは「宜しくお願いします。」と何だか少し的外れな返答をしてしまった。
(今の返事じゃ、その先の何かを期待してるみたいじゃない?)
そう思いながらも、口に出してしまった言葉を撤回出来る筈もなく、わたしは少し照れ笑いを浮かべながら誤魔化したのだった。
「それじゃあ、もう夜も更けてきましたし、そろそろ寝ましょうか。」
雨城さんはそう言うと、わたしを雨城さんの寝室に案内してくれた。
雨城さんの寝室は、リビングにあるドアの先にあった。
8畳程ある広さの寝室には、正面の壁寄りの中央にダブルベッドが置いてあり、左側には街並みを眺められる窓が見えた。
あとはスタンドライトに、正面の壁には大樹の大きな絵画が飾られていた。
(寝室もお洒落だなぁ······)
そう思いながらわたしが寝室を見渡していると、「今日から雫さんの寝室でもありますよ。」と雨城さんは言った。
その言葉に少し照れてしまったわたしは、「そう、ですよね。」と間抜けな返答をしながら、つい中央のダブルベッドに目がいってしまうのだった。
(あ、あのベッドで、今日から···雨城さんと、寝るの?)
そう考えて、自分の顔が火照り出すのが分かった。
しかし、自分から言い出した事だ。
恋人が同じベッドで寝る事は不思議な事ではなく、むしろ自然な事。
後悔はしていないものの、後先考えずに言ってしまった自分の大胆な発言に今更ながら穴があれば入りたい気持ちで一杯になってしまう。
それからわたしは、元々使わせて頂いていた部屋に着替えに入った。
パジャマ代わりに着ているキャラクターがついたTシャツにスウェット姿。
我ながら、何と色気の無い服装なんだろうか。
(でも、別に雨城さんを誘惑したいわけじゃないし···、いいよね?)
そう思いながら、わたしは着替えが終わると、雨城さんの寝室へ戻った。
「失礼します。」
そう言って寝室を覗くと、そこにはベッドに入り、本を読む雨城さんの姿があった。
寝室に入り、ゆっくりドアを閉めると、わたしは一歩一歩雨城さんのベッドへと歩み寄って行く。
すると雨城さんは、左側にズレてわたしが入りやすいように布団をめくってくれた。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
そしてわたしはベッドへと上がり、布団の中へと脚を入れた。
「何の本ですか?」
照れ隠しの為にわたしは、興味があるわけでもない事を問う。
雨城さんは一度本を閉じると、その表紙をわたしの方に向け、見せてくれた。
「”どうして空は泣くのか”という本です。」
「雨城さん、よく本を読まれるんですか?」
「夜、寝る前に少し読むくらいですね。」
雨城さんはそう言って、本をサイドテーブルの上に置いた。
「今日は眠れそうですか?」
雨城さんの問いに「んー···」と唸るわたしは、「どうでしょう。」と曖昧に答えて笑って見せた。
こんなにも雨城さんとの距離を近く感じた事はない。
その事に胸の鼓動が聞こえてしまいそうな程に音を立てて、わたしはそれが雨城さんに聞こえてしまわないか心配になる程だった。
「それじゃあ、眠れるまで何か話しましょうか。」
雨城さんの提案に「いいですね。」と答えるわたしは、雨城さんと共にベッドに横になり、雨城さんの方へ身体を向けた。
雨城さんも腕枕をしながら、わたしの方に身体を向け、お互いに布団の中で向き合う形となった。
「じゃあ、短い間ですが、恋人同士になるわけですから、お互いの事を話しましょうか。」
「そうですね。」
「じゃあ、まず僕から。」
雨城さんは、そう言うと自分の事をわたしに話し始めてくれた。
「僕が人間の肉体を与えられて、この人間界で暮らし始めたのは、35年前になります。なので、人間でいうと35歳になりますかね。」
雨城さんの何だか不思議な話に、わたしの胸がワクワクする。
それは、聞いた事のない昔話を聞いているような感覚に近かった。
「人間の肉体を与えられるまでになるには、高い霊格とかなりの信頼度が必要になります。信頼度は、どれだけ正確に死を迎える人間を死界へ導けるかで決まります。」
「死を迎える人間をどうやって死界へ導くんですか?」
わたしがふと疑問に思った事を口にすると、雨城さんは微かに嬉しそうな笑みを浮かべ「良い質問ですね。」と言った。
「まず、人間の決まった寿命の時間になると、死神は鎌を使い、肉体と魂を切り離します。そこで魂を死界へ送るわけですが、現世に未練がある魂は死界へ行くのを嫌がり、逃げてしまう事があるんです。」
雨城さんがそう言ったところで、わたしは「そういう人が浮遊霊になったりするって事ですか?」と訊くと、雨城さんは人差し指を立てて見せ「その通りです。」と言った。
「そこで魂を説得出来るかによって、信頼度も変わってきます。納得しなかった魂はそのまま現世に残り、納得した魂は光の道へと導き、死界へと送ります。」
「納得しない魂って、どんな魂なんですか?」
「そうですね···、例えば不慮の事故だったり、自死を選んだ魂が多いかもしれませんね。不慮の事故だと何の心の準備も出来ないまま、肉体と切離されてしまうので、自分が置かれた状況に混乱してしまうんです。自死の場合は、周りの声が聞こえなくなっている事がほとんどなので、いくら説得しようとしてもこちらの声が届かないんですよね。」
雨城さんの話から、視えない世界の複雑さを知り、わたしは少し胸が苦しくなった。
亡くなったら、みんな同じ方向に向かうものだと思っていたけれど、亡くなり方によっても違うのだと知り、わたしは勉強になる話だと思った。
「納得して光の道へ進めた魂は、三途の川を渡り、天へ上る事が出来ます。一度天へ上れた魂は、好きな時に現世へ下りて、大切な人たちに会いに行く事が出来るんです。」
雨城さんの口から出てくる話は、どんな話も興味深く、わたしの学びとなった。
わたしには、まだまだ知らない世界があるのだと思い知らされるのと同時に不思議な気持ちになり、自分がその立場になった時、わたしはどんな気持ちでどうなるのだろうと想像してしまうのだった。
「三途の川って、本当にあるんですね。」
雨城さんの話からわたしがふと感じた事をそのままに言うと、雨城さんは「はい、ありますよ。」とストレートに答えた。
三途の川って、どんな感じなのだろう。
本当に川みたいな感じなのだろうか。
綺麗なのか、それとも薄暗く怖い雰囲気なのか···――――
わたしもいずれは通るであろうその川が気になり、わたしは「三途の川って、どんな感じなんですか?」と雨城さんに尋ねてみた。
すると雨城さんは”三途の川”を思い出すかのように宙を仰ぎ、「底が見えない綺麗な川が流れていて、そこに長い橋が架かっています。周りは草木が生えていて、所々に蛍に似た光が散りばめられている感じですね。」と答えてくれた。
それを聞き、わたしは何となくホッとする。
(怖い感じじゃなさそうで良かった。)
しかし、もし仮に怖い場所だったとしても、雨城さんが一緒に居てくれるなら、わたしは大丈夫な気がした。
わたしを死界へ導いてくれる死神が雨城さんで良かったと、そう思ったのだ。
「それじゃあ次は、雫さんの話を聞かせてもらえませんか?」
そう言う雨城さんの言葉から、次にわたしのターンに切り替わる。
わたしは、「わたしの事ですか···」と言いながら、何を話そうかと迷ったが、自分には特別話せるような話題がある訳でもない為、幼い頃の話をする事にした。
「わたしは、父に育てられました。母は物心つく頃には居なくて、父子家庭で育ったんです。父からは、お母さんは事故で亡くなったと聞いていたんですけど、でも···本当は違ったみたいで、本当は好きになった男の人の所へ行ったみたいです。夜遅くに父と祖母が話してるところを聞いて、その事を知りました。」
わたしがそう話すと、雨城さんは複雑ながらも悲しい顔は見せず、わたしの話に耳を傾けてくれていた。
「父は優しい人でした。だから、わたしにそう嘘をついていたんだと思います。母親が自分より男を選んだなんて知ったら、傷付くと思ったんでしょうね。」
わたしはそう話しながら、父の顔を思い出していた。
いつもにこやかで、怒鳴ったり怖い顔をした父の姿が思い浮かばない程、いつもわたしに優しい父だった。
「そんな父がいつも聴いていたのが、”最後の雨”だったんです。わたしは、いつも父の隣でその曲を聴いていました。”最後の雨”は、わたしにとっても大切な曲なんです。だから、雨城さんが”最後の雨”を弾いていた時、凄く嬉しかったんです。」
「そうだったんですね。」
わたしの言葉に穏やかな口調でそう言う雨城さんは、切ない眼差しでわたしを見つめていた。
「お父様は、お元気になさってるんですか?」
その雨城さんの問いに、わたしは視線を落とすと首を横に振った。
そして静かに「わたしが19の時に事故で。」と答えた。
「すみません、悲しい事を思い出させてしまいましたね。」
「いえ、大丈夫です。」
「···でも、もう一つだけ、お聞きしていいですか?」
申し訳なさそうな表情を浮かべ、雨城さんはわたしにそう訊く。
わたしはそんな雨城さんが気にならないように、出来るだけ明るく「どうぞ。」と返事をした。
「間違っていたら申し訳ないのですが、雫さんのお父様の名前って···芽吹信一さんではないですか?」
雨城さんの口から出る名前にわたしは「えっ······」と驚きを零す。
それは、わたしの父の名前と同じだったからだ。
「どうして、父の名前を?」
「やはりそうでしたか······」
「父をご存知なんですか?」
わたしが前のめりになりながらそう訊くと、雨城さんは言葉を詰まらせた。
しかし、返事を待つ姿勢のわたしに向け、そっと静かに「···はい、知っています」と答えたのだ。
「芽吹信一さんは、僕が担当した方なので·····」
雨城さんのその言葉から、わたしは察した。
要するに父を死へ導いたのが、雨城さんという事だ。
雨城さんは申し訳なさそうにしているが、一方のわたしはどこか安堵し、ホッとしてしまっていた。
わたしはそれだけ、雨城さんに信頼をおいているという証だと思った。
「良かった······」
「えっ?」
「父の担当が、雨城さんで良かったです。」
わたしがそう言うと、雨城さんは狐にでもつままれたように呆然とした表情でわたしを真っ直ぐに見つめていた。
「父は、ちゃんとあちらの世界へ行けましたか?」
父が無事に成仏出来ているのかが気になったわたしは、雨城さんにそう尋ねた。
雨城さんはわたしの問いに「はい。」と短く返事をして、それから「最期まで娘さんの心配をなさっていました。」と答えた。
「父が?わたしを?」
「はい。···あの日は、雨が降っていました。お父様はトラックに乗り、これから帰宅する途中でした。その車内には、”最後の雨”が流れていたんです。僕が”最後の雨”を知ったきっかけは、雫さんのお父様だったんですよ。」
その事実を知り、何と不思議で偶然な繋がりなんだろうと思った。
わたしの父が聴いていた曲を雨城さんが聞いて、それから雨城さんがその曲を弾くようになり、それをわたしが聴いて感動していた···――――
それは偶然ではなく、必然だったのかもしれないと感じた。
「雫さんがご存知か分かりませんが、お父様はトラックの車内に雫さんが幼い頃の写真を飾られていました。そして、最期の瞬間まで、雫さんの事を想っていました。」
雨城さんのその言葉を聞いた瞬間、視界がじんわりと滲んでいくのが分かった。
鼻の奥がツンとして、視界を滲ませる涙が零れ落ち、頬を伝っていく。
確かに祖母から聞いた事があった。
父がわたしの写真を持ち歩いていると···――――
わたしは父からの愛を感じてはいたが、それを聞き再確認出来たような気がした。
時には喧嘩もした。存在を鬱陶しく思う事もあった。
それでもわたしは父が大好きで、ちゃんと愛されていたのだ。
堪えきれず零れ落ちる涙と声を殺し、わたしは左手で口を抑えた。
そんなわたしに身体を寄せ、右腕でわたしを包み込んでくれる雨城さんは、「僕の胸で宜しければお貸ししますよ。」と言ってくれた。
その言葉に甘え、わたしは雨城さんの胸に額をつけると、涙を零し続けた。
雨城さんの胸は広く、腕の中は温かかった。
まさに雨城さんは、包容力そのものだった。
ずっと独りで抱え込んでいた独りの寂しさが、どっと溢れ出すかのように涙が止め処なく流れ落ちていく。
これはただの悲しい涙なんかじゃない。嬉し涙だ。
父の愛を知れた、喜びの温かい涙だ。
わたしは、それを教えてくれた雨城さんに心から感謝した。
そして、父が無事に成仏出来ている事を知った上で(わたしももう少しで、そっちに行くからね。)と心の中で父に呼び掛けた。
そうしている内にわたしは泣き疲れて眠ってしまっていた。
いつ眠ったのかは記憶に無いが、雨城さんに抱き締めてもらいながら、安堵の中での眠りだった。
こんなに安心して眠れたのは、いつぶりだろうか。
いつもであれば、怖い夢だったり、何かに追いかけられる夢だったり、責められるような夢をみるのだが、その日は何の夢もみる事はなかった。
ただ心地良く温かい、それだけだった···――――
コメント
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いやぁ、第4話も良かったわ…!雨城さんのピアノ演奏シーン、めっちゃ沁みた。あの“最後の雨”の描写でまた涙腺緩んだわ。で、最後の賢司さんと雨城さんの会話…「余命2ヵ月」って何!?死神とか掟って、まさか雫ちゃんに何か秘密があるの?一気にミステリータッチになってきて、続きが気になりすぎる🔥 冴木さん、この展開は反則だわ…次の話、マジで待ってる!