彼女は皆から好かれている。
誰からも。
転校生。存在の不思議さにこそばよく感じる人が居れば、異物のように感じ警戒を抱く人もいる。
“伊藤空”は数ヶ月前にこの学校にやって来た。
容姿やスタイルは誰もが見入ってしまう程に整っていた。肩あたりで丁寧に切り揃えられた黒髪。背筋はしゃんと伸び、目はきらきらと覇気を持っていて、私の知ることのない未来を常に見ていた。
繰り返される日常に突如と現れた彼女に対し、もちろん、この学年は大騒ぎしていた。廊下では知らない人だかり。空気を濁すのはざわつき。扉や窓から首を出す者も多くいた。どんな気持ちでかは知らないが、そんな伊藤空を元気に庇う女子も何人かいた。私を無視したことのあるあの野郎も含め。
私はこの空気感に大いに辟易し、机に突っ伏す。
特に話をしたこともない
人柄も知らない
なのに
嫌い…
伊藤空が嫌い…
どうしてこのクラスに来たの
ただでさえ心がいっぱいなのに、これ以上私に負の感情を与えないでよ
帰れよ…
「さようなら」
声を揃えてさようなら。
すると同時に、教室はどっ。と再び騒がしさを取り戻す。
私は一息ついてリュックを背負う。肩にかけるのはテニスのラケット。
楽しげな友達同士の会話がやけに聞こえてくるな。
帰りの集団ビッグウェーブが始まる前に私はすかさず廊下に出て靴箱へと向かう。
口を真一文字に結び。私はエネルギーを蓄える。今日は部活だ。皆に合う。
私は…
にこにこ笑顔のオンパレード
あははと笑いを続け
天然のオンパレードを届ける
外に出るとたちまち私は笑顔になる。悲しいも苦しいも何もない。自分がどこにいるかなんて関係なかった。皆が笑っているのならそれでいい。傷つけていないのならそれでいい。
楓果ちゃんはさ…
きもいっていったら喜ぶよね
うざいっていったら喜ぶよね
死ねっていったら喜ぶよね
めっちゃ嬉しそうやん
まじできもい笑
(嬉しいよ。だってそんなことを言い合える関係って友達じゃん)
これは一種の洗脳にかかっていたように思う。自身の認識の異常さに気づけないでいたのだ。
きもい
うざい
死ね
ニーブラ!
これは私の間で交わされる日常挨拶であった。一日に何度もその挨拶を一方的に浴びせられる。
相手に悪気はない。だからいじめじゃない。私もこれでいて普通の日常だった。因みにニーブラとは、相手を自身の身体に引き寄せ頭を固定する術である。これを私に行うことで私が話をするのを妨げることができるのだ。
私が話せないようにね…知ってるよそれぐらい
私の会話はどうしてか皆とは違って上手く成り立たなかった。仲良くしたいその一心でどうにか言葉を繋ぎ合わせて試みているが…成り立たない。とはいえ、私自身、いつも何を話したいのか分かってない。どうして皆普通に話せるの?私はその普通の基準を知らない。
ああ、皆こんな私にいつも付き合ってくれる。部活帰りは道が同じだからいつも一緒に帰ってくれる…(皆私といて疲れるだろうから)私は1人で帰ると言った。しかし、なんだかんだで止められた。止められたのは嬉しかった。
中途半端に仲がいい私達。友達同士だと信じていいのか分からない。それが現状であった。
いつも申し訳ない。何をされても受けいれるよ。私は恵まれている。そうだろう?
優しい人たちなんだ。あの人たちは何も悪くない。
悪いのは、ろくに会話も出来ない私だ。他とは違って異常なんだ私は。
なんで私はいつもへらへら笑ってるんだろう。
あれは私じゃないのに。
見ないで。
あ。自分が気持ち悪い。
ああ。早く死にたい。
いつも楽しそうね。と言われる神代楓果は、毎日自分に嘘をついて過ごしていた。そのうち、自分を見失っていた。消えていた。ただ、口に入り込む水に咳込み、溺れないようにもがくので必死だった。
皆からすればただ笑いものだったかもしれない。
私は、ニーブラ!と。視界を固定される。友達の腕と身体に挟まれ、中腰のまま移動する。しばらくこのまま。ルーティン制で押さえつけ係が変わるシステム。
頭上では明るく行き交う声たち、夕焼けに照らされる黒い影。そして、私の茶色く汚れた白い運動靴。汚れた砂の匂い。
笑顔を保ちながら、私はじっとりと思い出す。このテニスの登下校友達に集団無視をされたことがあるんだよな。
しかし、翌日私はケロリといつも通り過ごした。傷ついてないから大丈夫…だって思いを込めて。また自分の気持ちを誤魔化した。知ってるよ…この人たちは本当に優しい人だから何も悪くないんだよ。課題を抱える私に対してだけだからこれをするのは。仕方ないことなんだ。
何故か涙がほどけそうだった。
「神代さん。」
ぴたりと時間が止まる。カミシロサン?…って私のことか。聞き覚えのある声だ。驚きつつ、頭を辛うじて左に回す。
「今日…一緒に帰えろっ…」
慣れない台詞でも言っているかのようにぎこちなかった。私を真っ直ぐに見据え、両手を拳にし、お祈りでもするかのように胸元に寄せている。ああ…私がいじめられてるとかって勘違いしたのかな?”伊藤空さん”。
「おっ!空ちゃんさんやんー!」
私の首をぱっと放し、ぴょんぴょこと跳ねながら手を振りにその子のもとへと進む。
「こんな時間まで何してたん?」
「先生に今日の数学について質問しに行ってたの」
「本当に尊敬するわ、転校したてのときなんかびっくりするぐらい全然勉強出来へんかったのにもうあんなとこまで分かるようになったんやな」
「凄いでしょ。ふふ。また皆で勉強会しようね。次は私が教えてあげるよ」
皆仲いいんだ…。凄いなこの子のコミュ力は。私もそれぐらいの他愛もない会話だけでいいからさ、皆とできればそれだけで十分なのに。心がぎゅっと縮こまる。
「空ちゃん聞いてよ、前…」
伊藤空はこちらに歩みより突然左手首を握った。
「今日は神代さんに急ぎの用事があって2人で帰る予定なの。じゃあまたね!」
私は腕を引っ張られた。
どこに連れてくの。
いつもの景色があっという間に遠ざかって行く。
手首を伝う温もりに僅かな期待感を感じてしまった。
コメント
7件
人と上手く話せなくなったり、周りの人が羨ましくなっまたり、凄くよく分かります。切ない感じが良いです!
執筆お疲れ様です。 伊藤さんの登場により、物語がどう展開するのか楽しみです。 続き楽しみに待っています🤗✨