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「おじいちゃんが入院した!?」 その衝撃的な電話を椿美冬は社長室で受けたのだ。
椿美冬は服飾ブランド『ミルヴェイユ』の社長である。
さらさらの長い栗色の髪がふわりと舞って、大きな黒目がちの瞳がさらに大きく見開かれる。
綺麗なフェイスラインと完璧な配置の唇がきゅっと結ばれた。大きな瞳と小さな唇。
そしてとても整った顔立ちながら表情豊かなのが椿美冬だ。
美冬としてはもっと大人っぽい顔立ちだったらよかったのに、と思うが一般的に見ても美冬の顔立ちは愛らしい。
『ミルヴェイユ』は美冬の祖父が立ち上げた会社で、もうすぐ創立50周年になろうかという歴史を誇る会社だ。
高度成長期には子供服から紳士服、婦人服を扱うアパレルメーカーだった。
しかしバブル崩壊時、祖父は一気に採算が悪くなった紳士服、今後少子化では子供服の売上は見込めないと、紳士服と子供服の生産をやめた。
そして婦人服1本に経営を絞り『ミルヴェイユ』を婦人服ブランドにした。
それまでは大衆向けの服を作っていたのだが、その頃から方向転換し、やや高級感のあるスタイルに変えていく。
メイドインジャパンの高級婦人服はそれなりに固定客がいて『ミルヴェイユ』はデパートでの店舗展開と、本店だけは路面店での店舗展開をしているのが現状だ。
経営状態は決して悪くはない。
けれども伸びてもいない。
むしろ、ゆっくりと右肩下がりなのが、美冬には気にかかっていた。
祖父は今も元気で健在であり、経営権は一切手放してはいないので、美冬はいわゆる雇われ社長という立場である。
地元の経済界ではある程度顔が利き、会長職に引いたとはいえ社内でも絶大に影響力のある祖父だ。
そんな祖父の入院……!?
『あの……ですね美冬さん……』
受話器の向こうから伝えづらそうな祖父の秘書の声がした。
美冬は一瞬覚悟を決める。
『それが……大変いいづらいのですが……』
ごくり、と自分の喉の鳴る音が聞こえた。
(もしかして……命に関わるようなとんでもないことが……)
『その、骨折……でして』
その後に続いた秘書の言葉を聞いてあやうく美冬はスマートフォンをぶん投げそうになったものである。
「骨折ぅ!? うん、まあ命にかかわることではないのかしら?」
『ええ、全く。ただ、その状況が……』
取引先とゴルフに行った際に、OBになったボールを取りに行こうとして斜面から転落し、骨折したのだという。
しかも周りが散々止めたにも関わらず藪の中に入って行ったというのだから、美冬としてはあきれるしかないし、一緒に行ったメンバーに本当に申し訳なさ過ぎる。
あまりと言えばあまりな状況に美冬は震えが来そうだ。
「お客様は?」
『苦笑でいらっしゃいました』
椿さんですからねえ、とみんな笑ってくれたらしい。
気分を害された人はいなかったと聞いて安心した美冬だ。
祖父はちょっと破天荒な人で、さらに粋な人だ。
真面目にくそが付くような父と全く気が合わず、どちらかと言うと、祖父とは美冬の方が気が合う。
こんな祖父ではあったけれど、美冬は祖父のその粋なカッコ良さと、服にかける気持ちが大好きだった。
その後の秘書からの電話で病院もゴルフ場近くの病院では嫌だと、普段お世話になっている総合病院への入院を希望し、転院手続も済ませたという。
それでも自宅近くであれば美冬も助かるので、転院したと聞いて美冬は病院に駆け付けた。
「美冬……」
祖父の弱々しい声を聞いて、さすがに心配になった美冬だ。
「おじいちゃん……大丈夫なの?」
「俺はいつ死ぬか分からん」
「え? おじいちゃん、何かお医者様に言われたの?」
先ほど美冬は医師から説明を受けたが
『いやー、骨折以外は本当にお元気で……』
と言葉を濁されたところだ。
わがままを言ったのかも知れないと青ざめた美冬は、担当医にひとしきり頭を下げてきたところである。
その後の検査などで何か重大な病気でも発見されたのだろうか。
「え? いや骨さえ折れてなければ太鼓判を押してもいいほどの健康体だと言われたぞ」
身体年齢は20歳は若いですよーと医師に言われたかなんかでご機嫌である。
だったらちょっとくらい殴ってもいいかな?
豪快に笑う祖父にちょっと殺意が芽生えた美冬なのだ。
「じゃあ、なんでそんないつ死ぬとか言う話になったのよ」
「いや……この年齢ともなれば、正直何が起きても不思議じゃないということが入院して分かった」
まあ、矍鑠とした祖父だが、世間的には年齢を重ねていることも間違いではない。
「そうだなー、引退も考えなくてはいけないな……」
「え!? それは……」
さすがにそこまでは話が進むとは思わなくて、美冬は言葉を失くした。
「美冬が結婚してくれたらなー……」
──出た……。
ここ1、2年の祖父の流行りだ。ここ1、2年で百回は聞いたと思う。
いや、百回は盛った。三十回くらいだったかも知れない。
とにかく、なかなかの頻度で聞くようになったのだ。
「えーとね、おじいちゃん、結婚するには相手が必要なのよ?」
「美冬は俺に似てイケメンだろうが」
おじいちゃん、それは男子に使う比喩でしょう。
「彼氏がいるならいつでも紹介していいんだぞ」
むしろ紹介したい。いるなら。
「美冬……ミルヴェイユのことが好きか?」
「うん! 大好き!」
好きかと聞かれれば即答できるくらい大好きだ。
「だったら、彼氏を連れてこい。このまま右肩下がりの経営は許されないぞ。経営状態を改善するか、彼氏を連れてきたら、社長にそのまま残すよう株主におじいちゃんが働きかけてやる」
何!? 突然のその訳の分からない天秤!!
「はあ!? そんなの横暴よ!」
「どこがだ? 経営できない社長を据えておくほどおじいちゃんは寛容じゃないぞ」