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離婚しない宣言の後、瑞記は帰宅しなくなった。
いつものことなので驚きはしないが、ますます結婚生活を続ける意味が分からなくなっている。
園香は瑞記に呆れながらも、離婚について調べ始めた。
“有責者側から申し出た離婚は拒否出来ない”は、確かにその通りのようだが、“有責側”と認定されるには条件がある。
ざっと調べた限りでは、不倫や長期に渡り帰宅しないなど、明らかな落ち度がないと離婚までは認められないようだ。
(あとは婚姻を継続し難い重大な事由ってあるけど、漠然とし過ぎていてよくわからない。詳しい人に間に入って貰うしかないのかな)
いくつか法律事務所のホームページを見てみたが、正直言って敷居が高い。
なるべくそこまで大事にせずに離婚したいのだけれど。
(理想の円満離婚は、今のところ難しそう)
円満夫婦とは程遠いふたりが離婚のときだけ揉めず穏やかに、なんて無理な話なのかもしれない。
園香ははあと溜息を吐きながら、どうしたものかと頭を悩ませる。
瑞記は不在がちだが、時々は帰って来るので長期の別居とは言えなそうだ。不倫でもしていたら離婚しやすくなりそうだが、瑞記のその兆候は見られない。
(名木沢希咲さんとは同僚以上の関係だと思うけど、不倫ではなさそうだし)
彼女は以前不倫をしてトラブルを起こしている。最終的には夫に庇って貰って解決したようだが、その分夫の目は厳しくなっているだろう。
(本人だって懲りてはいるだろうし)
思っていた以上に世間体を気にする瑞記だって、不倫をする度胸はないだろう。
(でも体の関係はなくても精神的にはかなりの繋がりがありそう。瑞記は彼女を妻よりも大切にして優先しているんだから)
とは言え、ふたりのような関係は法律的には問題ないようで、なんとも歯がゆい気持になる。
(体の関係が無いけど、あのふたりの関係は妻を傷つけるものじゃないのかな)
園香がもし瑞記を愛していたら今頃どうなっていたのだろう。
(心が折れてたんじゃないかな……やっぱり考えれば考える程酷いことをされてる気がする)
園香は憂鬱な気持ちで開いていたノートパソコンを閉じて、立ち上がった。
そろそろ出勤の準備を始めなくては。
家庭は問題が山積みだが仕事は段々楽しくなって来ている。同僚との関係も良好でストレスフリーだ。
今日は仕事の後に、園香のフォローを担当してくれている青砥と食事に行く約束をしている。ショールーム近くの家庭的なレストランを予約してくれたそうなので楽しみだ。
「お疲れさまー」
ショールームのある商店街から山手方面に向けて坂を十五分程上ったところに、青砥が予約してくれたレストランがあった。
かつて外交官が暮らしていた古い洋館を改装したそうで、クラッシックで上品な雰囲気な外観だ。
「お疲れさまです。とても素敵なお店ですね」
園香が素直に感想を述べると、青砥は誇らしげに微笑んだ。
「でしょう? 料理も絶品だから期待していてね」
初めて会ったときは真面目な印象だった青砥だが、実は気さくな人柄で今では園香にも親しく接してくれている。
「今日で一週間経ったけど、問題なく続けられそう?」
「はい。いずれはフルタイムで働きたいなと思ってるんです」
「え、本当? それは部長も喜ぶよ。この前、正社員として働く気ないのかなって言ってたのよ。園香ちゃんは本部にいただけあって、即戦力だからね」
部長と言うのはショールームの責任者のことだ。仕事で彼と関わる機会は少ないが、気にかけて貰えるのは嬉しい。
「まだまだ勉強中の立場ですけど。でも認めて貰えるように頑張りますね」
「勉強だなんて……園香ちゃん覚え早いし、もうすっかり慣れてるように見えるけどな……あ、でも怪我のリハビリ中だったっけ?」
ショールームで勤務する前に、怪我で療養していたという事情は報告してあり、指導役の青砥も把握している。
「四月にオフィスビルの階段から落ちてあちこち怪我をしたんですけど、幸い骨折には至らなかったのでもう殆ど治ってます」
「階段から? うわあ痛そう……大変だったね?」
青砥は顔をしかめながら言う。
「そうですね。怪我してから階段にはかなり気を付けるようになりました」
「うん。そうした方がいいよ。私も自宅の階段で五段くらい滑ったことがあるんだけど、背中打って悶絶したもの。意外と危ないんだよね。まあ私はすぐにエスカレーターとかエレベーターを使っちゃうから、外で階段を使う機会は少ないんだけど」
「あ、私もそうですよ。運動不足だから歩いた方がいいと分かってるんですけど、面倒がってつい……」
“階段を避けてしまう”と続けようとした園香は、違和感を覚え口ごもった。
「お疲れさまー」
ショールームのある商店街から山手方面に向けて坂を十五分程上ったところに、青砥が予約してくれたレストランがあった。
かつて外交官が暮らしていた古い洋館を改装したそうで、クラッシックで上品な雰囲気な外観だ。
「お疲れさまです。とても素敵なお店ですね」
園香が素直に感想を述べると、青砥は誇らしげに微笑んだ。
「でしょう? 料理も絶品だから期待していてね」
初めて会ったときは真面目な印象だった青砥だが、実は気さくな人柄で今では園香にも親しく接してくれている。
「今日で一週間経ったけど、問題なく続けられそう?」
「はい。いずれはフルタイムで働きたいなと思ってるんです」
「え、本当? それは部長も喜ぶよ。この前、正社員として働く気ないのかなって言ってたのよ。園香ちゃんは本部にいただけあって、即戦力だからね」
部長と言うのはショールームの責任者のことだ。仕事で彼と関わる機会は少ないが、気にかけて貰えるのは嬉しい。
「まだまだ勉強中の立場ですけど。でも認めて貰えるように頑張りますね」
「勉強だなんて……園香ちゃん覚え早いし、もうすっかり慣れてるように見えるけどな……あ、でも怪我のリハビリ中だったっけ?」
ショールームで勤務する前に、怪我で療養していたという事情は報告してあり、指導役の青砥も把握している。
「四月にオフィスビルの階段から落ちてあちこち怪我をしたんですけど、幸い骨折には至らなかったのでもう殆ど治ってます」
「階段から? うわあ痛そう……大変だったね?」
青砥は顔をしかめながら言う。
「そうですね。怪我してから階段にはかなり気を付けるようになりました」
「うん。そうした方がいいよ。私も自宅の階段で五段くらい滑ったことがあるんだけど、背中打って悶絶したもの。意外と危ないんだよね。まあ私はすぐにエスカレーターとかエレベーターを使っちゃうから、外で階段を使う機会は少ないんだけど」
「あ、私もそうですよ。運動不足だから歩いた方がいいと分かってるんですけど、面倒がってつい……」
“階段を避けてしまう”と続けようとした園香は、違和感を覚え口ごもった。
(そう言えば私はどうして、あんなに長い階段を歩いて降りようとしたのだろう)
園香が転落したのは、昨年オープンした巨大な複合オフィスビル、グランリバー神楽だ。
インターネットで検索すると外観などが簡単に出てくるため、園香は何度か自分が落ちた階段やその周辺の様子を確認している。
一階から二階部分、二階から三階部分に外付け階段がある。
ひとつ上のフロアに上がるだけと言っても、オフィスビルということもあり、かなりの長さだ。横幅も広く両端にエスカレーターが設置されていた。
(いつもの私ならエスカレーターを使うはず。どうしてあの時に限って階段を使ってたんだろう)
エスカレーターが混んでいたとか、昨晩食べ過ぎたので少しでもカロリーを消費したかったとか、考えられる理由はいくつかある。
けれど、なぜかひっかかる。
(そもそもグランリバー神楽に何の用があったのか自体が、いまだに謎なんだよね)
何の関わりもないビルに行って、普段とは違う行動をして記憶がなくなるなんて違和感しかない。
細かいことが気になるのは、納得が出来ないからだろうか。
「園香ちゃん、どうかした?」
「い、いえ何でもないです」
突然黙ったからか青砥が怪訝そうに園香を見ている。
慌てて笑って誤魔化したところで、注文した料理が運ばれて来た。