テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
帝都の空を覆い尽くした灰色の雲から、容赦のない豪雨が降り注いでいた。
叩きつけられる雨粒が石畳を激しく叩き、飛沫が霧のように視界を遮る。
「……急がないと。またお義母様たちに叱られてしまう」
買い物袋を抱えた私は、濡れた石畳に足を取られそうになりながら
近道を求めて見覚えのない路地裏へと足を踏み入れた。
湿った風が頬を打ち、建物の隙間から入り込む闇が、獲物を待つ獣の口のように手招きしている。
ふと、視界の端に異質な「影」が映り、私は凍りついたように足を止めた。
「……え……?」
ゴミ溜めと泥水にまみれた壁際。
そこに、一人の男が崩れ落ちるように倒れていた。
漆黒の重厚なマントは雨を吸って重々しく地面に広がり、その背中は驚くほど大きい。
周囲の空気を物理的に押し広げるような、凍てつく威圧感を放っている。
けれど、その大きな肩が、ひどく弱々しく震えていた。
喘ぐような呼吸は浅く、今にも雨音の中に溶けて消えてしまいそうなほどに衰弱している。
「あの……」
声をかけるのを、本能がためらった。
彼の周囲には、肌を刺すような、死の匂いすら漂う冷たい魔力が渦巻いている。
関わってはいけない。
私の理性がそう警鐘を鳴らす。
でも。
私は実家で「出来損ない」と蔑まれ、家族からも使用人以下に扱われてきた。
冷たい言葉を浴びせられ
凍える夜を一人で過ごしてきた私には、他人の痛みの「色」が、嫌というほど鮮明に見えてしまうのだ。
私の中に眠る、小さな力。
触れた相手の心身の摩耗を、ほんの少しだけ肩代わりし、和らげる不思議な力。
「不気味な呪い」と継母たちに疎まれてきたけれど
いま目の前で消えかかっている命の灯火を、見捨てることなんてできなかった。
私は泥を跳ね上げながら一歩踏み出し、震える声で覗き込んだ。
「あの……大丈夫ですか?」
男が、ゆっくりと顔を上げた。
「……っ……!」
心臓が、喉から飛び出しそうなほど跳ねた。
濡れた前髪の隙間から覗くのは、鋭い双眸
深い、深い、冬の海のような青。
彫刻のように一切の無駄がない顔立ちは、この世のものとは思えないほど美しい。
けれど、その瞳の奥には
正気を保っているのが不思議なほどの狂気的な疲労が渦巻き
目の下には死人のような濃い隈が刻まれていた。
「……っ、誰だ」
地這うような、掠れた声。
彼は私を射抜くように睨みつけ、全身から拒絶の波動を放った。
「あ、あの、通りすがりの者なのですが。あまりに顔色が悪いので……その、お体の具合が、相当お悪いのではと思って……」
「……さ、触るな」
彼は周囲に誰も寄せ付けない
分厚い氷のような壁を築いているかのように孤独の中に閉じこもろうとしていた。
でも、私には見えてしまった。
その頑なな壁の向こう側で、彼の魂が「助けて」と悲鳴を上げているのが。
(この人、きっと…何日も、何週間も眠れていないんだわ……)
放っておけば、この人は今夜、ここで冷たくなってしまう。