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「はあああああ~……」
この日も私、菅島綾乃(すがしま あやの)は、真っ白な原稿用紙のようなパソコンの画面を前に頭を抱えていた。
「どうする……どうしよう……何もネタが思い浮かばない…………」
恋愛系ライトノベル作家として活動し始めて早や7年。
私は現在、絶賛スランプの沼に沈み込んでしまっている。
最初は、よどんだ水で足を少し濡らす程度で、自覚なんてほとんどなかった。
思い浮かんだストーリーを展開して広げることが難しくなっている気はしていたのだけれど、それでもなんとか少しずつ、時間をかけて書けてはいたから。
けれど次第に、ストーリーを考えようとすると頭にもやがかかったようになり──
気づけばここ1年ほど、1行も打てなくなってしまっていたのだ。
(まあ、そもそもストーリーが思いつかないんだから、打てるわけがないんだけど)
自分自身にツッコミながら画面の右下を見れば、時刻は14時45分。
いつもなら、今日も無理かと諦めてゲームの世界に逃げ込むのだけれど、今日は15時から編集担当者との地獄のオンラインミーティングが控えているせいで、そういうわけにもいかない。
「あああああ……あと15分しかないじゃん……」
現実逃避とばかりにコーヒーでも淹れようと立ち上がる。
けれどまだ半分以上コーヒーが入っているマグカップの存在を思い出し、私は小さくため息をつきながら椅子に座り直した。
「……」
ぼんやりと画面を眺めながら、完全に冷めきったコーヒーに口をつける。
すると、淹れたての時にはほどよかったはずの甘さが、倍の糖度に膨れ上がりねっとりと舌に絡みついてきた。
「あまっ……電子レンジでチンしてこようかな」
(昔は飲む暇がないくらい忙しくて、そのせいで冷めたコーヒーばかり飲んでいた。あの頃は逆に、この甘さが嬉しかったんだけどな……)
「そう、あの頃は……」
私はコーヒーカップを手に持ったまま、机の横の本棚に置かれたクリスタルの表彰盾に視線を向けた。
*****
私が作家デビューを果たした日よりさらに遡ること2年前。
私は大学進学のため、18年間慣れ親しんできた緑溢れた田舎の地を離れ、都会で一人暮らしを始めた。
実家での家族構成は父方の祖父母と両親、そして犬2匹と猫3匹。
そして田舎あるあるのチャイムも鳴らさず家の中に入ってくる近所のおじちゃんやおばちゃんが朝晩問わず訪れるせいで、常に誰かの声が居間や玄関から聞こえていた。
まだ居間や玄関が賑やかなのはまだいい。
けれど、私が一人で部屋にこもっていると知られた時は面倒なことになることが多かった。
失恋でもしたのかと外の道路に聞こえんばかりの大声で叫ばれたり、ノックもせず私の部屋に入ってこられたりするからだ。
そんなプライバシーなんてほとんどない空間で育ってきた私にとって、一人暮らしはまさに夢の生活の始まりだった。
これでようやく、一人きりの自分の時間を満喫できる。
好きな時間に好きなものを食べられて、お風呂に早く入れとも、早く出ろとも言われない。
たった6帖のワンルームは、あまりに魅力的なお城だった。
──はずなのに。
一週間もしないうちに、私はこのお城で過ごす時間を持て余すようになっていた。
もう少し声のトーン落とせばいいのにとしょっちゅう思っていた大人たちの声が聞こえないのが、妙に寂しくて。
私はベッドに寝転びながら、テレビの音をBGMに、スマホをいじって夜を過ごしていた。
そんなある日、偶然目にした乙女ゲームのCM。
王子様のような格好をした何人もの男性が、私に向かって手を差し伸べている。
『俺のプリンセス、早く君に会いたくてたまらないよ』
その甘やかで色気のある声に誘われるように、私は差し伸べられた手をタップしたのだった。
そしてインストールしたその日に、私は見事その世界観とキャラたちにハマってしまったのだった。
やがて、登場してくる様々なタイプのイケメンたちとの恋愛妄想に耽るようになり──
その次々と溢れ出る妄想を小説という形で可視化してしまうようになるのには、さほど時間はかからなかった。
とはいうものの、その妄想の塊を同人誌として発表するどころか、二次小説として小説投稿サイトに投稿する勇気もなくて。
私は誰かに読んでほしいと心のどこかで思いながら、ただつらつらと私というたったひとりの読者のために書き続けていた。
そんな時に広告で見た、ライトノベル業界では最大手のジーニアス出版開催の小説コンテスト。
なぜ、このコンテストに応募しようとしたのか、今考えてもその答えはわからない。
ただの思いつき?
ほんの出来心?
答えるとすればこんなクエスチョンマーク付きの言葉になってしまうような、そんな程度の感覚だった。
賞金に目が眩んだというのもあったと思う。
最優秀賞の賞金は50万円。
優秀賞でも10万円。
一人暮らしの大学生にとっては、あまりに魅力的な額である。
とにかく私はこれまで書いてきたものの中で一番話を膨らませることができ、またひとつの世界として確立できそうなものをピックアップして、新たな小説として書き上げた。
もちろん、彼の名前を変え、ヒロインの名前も新たに考え直して。
こうして出来上がった小説を、いくつかある部門のうちのひとつ、『ときめき恋愛ストーリー部門』に空木風花(うつぎ ふうか)のペンネームで応募したところ──
なんと私は見事、最優秀賞を獲得してしまったのだった。
それからは、あれよあれよという間に人気の売れっ子ラノベ作家となり、そのままいつまでも第一線を突っ走れるのだと思い込んでいたのだけれど……
*****
(あれよあれよという間に超絶スランプラノベ作家になっちゃったな……)
「……そして、今からそんな私を励まし追い込む地獄タイムが始まろうとしている……」
ネタが出ない代わりとでもいうように私は宣伝文句のような芝居がかった言葉を呟きながら、手に持ったままだったコーヒーカップを机の端に置く。
そしてパソコンのウェブ会議ツールにアクセスした。