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『ああ、よかった。空木先生、お疲れ様です。もしかして逃げられたかなって思っちゃいましたよ』
パソコン画面に登場した男性は、うっすらと笑みを浮かべながら、冗談と嫌味のぎりぎり境目の口調で挨拶してきた。
彼は私が賞を取ってからずっと私の編集担当をしてくれている人で、名を瀬戸内宏司(せとうち こうじ)という。
年齢は確か私より3歳上だったはずなので31歳。
爽やかで女性受けしそうな見た目だけれど、言葉にちょくちょく毒を混ぜてくる人だ。
ただ、そういう男性が好きだという女性も一定数はいるようで、まだ結婚はしていないけれど、恋愛はそこそこ楽しんでいるらしい。
……あくまでも、瀬戸内さんの言葉を信じれば、だけど。
「……お疲れ様です。っていうか逃げませんし」
『おっ? ということは、何かいいストーリーでも考えついた感じですか?』
「っ、それは……」
言葉に詰まった私に、瀬戸内さんはわかりやすいくらいオーバーなリアクションで、やれやれと肩をすくめた。
『……いっそのこと、恋愛から少し離れてみます?』
「……と、いいますと」
『ホラー系とかバトル系とか冒険系とか……恋愛要素ゼロで考えてみてはどうでしょう』
「……怖いの苦手ですしバトル系の技とか全然わかりませんしワクワクドキドキスリル満点な冒険ものなんて私なんかに書けると思います?」
『ははっ、早口言葉かって突っ込みたくなるくらい一気に吐き出しましたね。清々しいほどの拒絶、ありがとうございます。でも、試しに読んでみるだけ読んでみませんか?』
「……漫画や小説を読みまくってインプットすることはできても、これまでとまったく違うジャンルのストーリーを作るのは別の話です。それに私、めちゃくちゃインドアですし。運動神経もゼロどころかマイナスですし」
『それ、関係あります?』
「すごくあると思いますよ? だってバトルとか冒険とかは、私にとっては未知の世界ですから。やっぱり経験のないものは書けないっていうか……」
そこまで言った時、瀬戸内さんが堪え切れないとでもいうふうに、ブハッ!と大きく吹き出した。
「ちょっ……なんですか? 今、めちゃくちゃ小馬鹿にしましたよね!?!?」
『いや、小馬鹿にはしてませんよ。してませんけど、ふ、ふふふふふ……』
「いやそれ、遠回しにしてるって言ってますから!」
もうっ……! と心の中で吐き捨てる。
そして目の端に映ったコーヒーカップを無意識に掴んだけれど、先ほど口の中に広がった甘さを思い出してその手を放した。
「私、間違ったこと言ってないですよね? 格闘技をよく知らない人は格闘技の話なんて薄っぺらなことしか語れないし、好奇心がない人が冒険を語るなんて無理ですよね?」
『そうですよね、うんうん』
「……小馬鹿じゃなく馬鹿に昇格ですか?」
『いやいや、アナタを担当して7年ですが、改めて愉快な人だなと実感しただけです』
「……はぁ、やっぱり馬鹿にしてる……」
『いえ、それはしていません、本当です、はい』
瀬戸内さんはクスクスと笑いながら、画面越しからどうどうと私をなだめるような仕草を見せる。
『……ただ、それアナタが言います? って思ったら、ね……ふふっ』
「……」
『だって空木先生、アナタ恋愛経験ゼロなのに恋愛小説家してるじゃないですか』
「そ、それは……」
瀬戸内さんの鋭いツッコミに、思わず口ごもる。
……そう、瀬戸内さんの言うとおり、私はこの三次元の世界でこれまで、誰かと付き合ったことがない。
高校生の頃は、彼氏とのデートを楽しそうに話す友人を羨ましくも思ったこともある。
けれど都会の難関大学に進学することを目標に掲げていた私は、恋愛よりまずは勉強と、高校生活のほぼすべてを受験勉強に捧げてきた。
だから第一志望だった大学に合格した時は、これから学内やサークル、バイト先で男の人と出会い、その中から素敵な恋人を見つけるのだと張り切っていたのだけれど……
その夢はすべて、乙女ゲームという二次元の世界で叶えてしまったのだった。
「わ、私だって、恋愛くらいしてきましたし!」
『二次元で、ですよね?』
「ぐっ……悪いですか?」
『いえ、悪くないですよ? 空木先生はこれまで、大好きな乙女ゲームの中のイケメンたちとの脳内イチャラブ妄想をいい感じに昇華させ、ヒット作を生み出してきたんですから』
「……なんか引っかかる言い方ですけど、多分褒めてくれてますよね?」
『ふふっ、さすが7年の付き合い。わかっていただけるようで何よりです』
瀬戸内さんはメガネのフレームをくいっと上げると、ニコリと微笑んだ。
『……ただ、ですね。そのやり方が続かなくなってきた。つまり、限界が見えてきてしまった』
「…………はい」
反論の余地もない。
特定のキャラとの恋愛妄想ばかりしてきたわけではないけれど、創り出す話の展開がパターン化してしまっているのだ。
都合のいい、結局は私主体の恋愛ストーリーに。
少しでも恋愛経験があれば、現実で誰かを好きになったことがあれば、もっと世界を広げて描き出せるのではと、何度も思っては、いや大丈夫と否定してきた。
けれど、否定してきたことは間違いだったと、今は認めざるをえない。
私が書いたものに飽きたのだろう。
私が出した本は徐々に売れなくなってきているのだから。
「……どうにかしないと、ですよね」
自分を鼓舞するつもりで呟いてみるけれど、諦めの混じった声音にしかならず、顔を上げることができない。
「やっぱり、さっき瀬戸内さんが言っていたような恋愛以外のストーリーを考えてみるしかないのでしょうか……」
『うーん……まあ、それが一番手っ取り早いでしょうが……』
瀬戸内さんはふむ……と少し考える素振りを見せたあと、再び口を開いた。
『先にひとつお伺いしたいのですが』
「はい、なんでしょう」
『先生は、まだ作家として頑張りたいと思っています?』
「も、もちろんです! 他の仕事なんて考えたことはないです!」
『……そうですか。では……』
小さく息を吐き、瀬戸内さんが真面目な顔でじっと私を見つめた。
『……ここは潔く一旦書くのをやめて、ちょっとお休みしてみましょうか』