テラーノベル
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ツン、と鼻の奥が痛くなるような感覚。
渡辺は涙を堪えようとした。
やべぇ、泣く………。
思った時には遅かった。
後から後から込み上げてくる涙を抑え切れず、渡辺は横を向いた。
絶対に泣きたくなかったのに。泣き顔だけは、コイツに見られたくなかったのに。
「ごめん」
「あ………」
そしてもうひとつ。
謝られるのだけは勘弁だ。
そう思っていたのに、渡辺は謝られてしまった。
「帰る」
なんとか呼吸を整え、渡辺はやっとそれだけを言うと、バッグ代わりの紙袋を抱えて部屋を飛び出した。
そうだ、サウナへ行こう。
まだ、やっているはずだ。
汗と一緒に、全てを流してしまおう。
忙しなく出て行く渡辺の後ろ姿を、阿部は苦しげに見守っていた。
◇◆◇◆
渡辺は恋愛において、これまで慎重な部類だった。ゆえに、こうして振られて失恋するのはほぼ初めての経験に等しかった。片想いが実ることなく諦めたことも多い。大抵、向こうから好意を寄せられていくうちに、だんだんと相手のことが気になり、気持ちを打ち明けられたらそれをもったいぶってから受け入れる。
だめになる時は自分から嫌になることが殆どだった。
しかし今度の相手。
メンバーの、阿部亮平に関しては違った。
渡辺は長く友情と憧れの感情を阿部に対して抱いていて、それがいつの間にか恋心に発展し、ましてや実るだなんて夢にも思わなかった。阿部から交際を申し込まれた時、渡辺はこれまでにない幸福感に包まれていた。夢が叶ったと思った。
彼らの交際は約1年間に及んだ。
しかし今。
人生で初めて、向こうから振られてしまった。
理由は、『他に気になる人ができたから』
阿部の言葉に、それでもいいから別れないで、という言葉が喉元へ出かかるほど、渡辺は追い詰められていた。阿部は、その人とどうこうなる前にきちんと自分たちの関係を終わらせようとしていた。そのこと自体は、阿部らしい、誠実な行動だと思う。
その人って誰なの、渡辺の震える声に、阿部はもはや空気みたいな存在の長年の幼なじみの名を告げた。
あいつだけには。
あいつだけには取られたくなかった。
いや、誰でも嫌だけど、特に、あいつにだけは。
阿部はまだ宮舘に気持ちを伝えていなかった。何事にも合理的な阿部のことだ。相手の出方を確かめてこれから徐々に距離を詰めて行くのだろう。いつか、俺が絡め取られてしまったように。
渡辺は歯噛みしながら勢いよく歩いて行く。涙が流れるのも構わず、誰にも気づかれることも、誰かに声を掛けられることも拒絶するように。
突然。
尻ポケットに無造作に突っ込んだスマホが鳴った。マナーモードにするのを忘れて、スマホは呑気な音を奏でている。渡辺は相手も確かめずに電話に出た。
「もしもし」
幾分ぶっきらぼうになったかと、相手が仕事先の人間である可能性を想起して舌打ちしたくなるような苦い顔をして立ち止まる。
電話の主は、渡辺の最もよく知る男だった。
そして今、世界で最も、口をききたくない相手だった。
◇◆◇◆
「あれ。舘さん。どうして」
「阿部こそ。何で」
指定された喫茶店には、阿部を驚かせる人物がいた。そして、阿部はさっき別れたばかりの渡辺の不器用な思いやりに少し胸を痛めた。
「俺、翔太と待ち合わせしてたんだけど…」
事情を知らない宮舘は少し困惑顔だ。阿部は構わず、向かいに座った。
「翔太は来られないみたいだから、よければ俺とお茶しよう」
「………」
「迷惑?」
「……いや。行きたい店あるから、この後代わりに付き合って」
「もちろん」
阿部はそれ以上何も言わなかった。
宮舘もそれ以上何も聞かなかった。
この後の2人がどうなるのかは、まだ、わからない。
おわり。
コメント
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悲しい🥺🥺