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シャン
イチが供物である獣の遺骸を拝殿に捧げた時、涼やかな音が鳴る。拝殿に吊るされている鈴の音ではない。イチは、どこから鳴ったのだろうと見回した。
「おお、キノスラが初めて鳴ったぞ」
周囲にいた村人たちがざわめき、イチに視線を送ってくる。彼らの目には、憧憬と尊敬がにじんでいた。
身寄りのないイチはどちらかというと、村では浮いている存在である。それだけに、イチは泡を食った。
「キノスラが鳴ったということは、反世界様に選ばれたということだ!」
「キノスラ?」
確か、本殿に祀られているご神体の錫杖のことだ。だがそれがどうしたのか。イチは、不思議に思い首をかしげる。
「おめでとうございます、イチ様」
「え……?」
人々が自分に向かってうやうやしく、一様に笑顔で拍手を送る。鳴り止まぬ祝福の中、ただイチは呆然としていた。
※
「イチ様、じっとして下さいまし」
村の女に紅を塗られながら、イチはくすぐったさに顔をしかめる。早朝にたたき起こされたかと思うと、入念に風呂で清められ、顔と髪に白粉だの紅だの椿油だの塗りたくられていた。
「男の俺が嫁入りなんて……どうかしている」
イチは、心の中で独りごちる。キノスラが鳴ってから早三ヶ月。イチは村が祀り上げる神である「反世界様」の妻として、今夜嫁入りすることになっていた。
村長が言うには、
「反世界様はお気に召した者がいるとキノスラを鳴らす。その者は老若男女関係なく神の妻として嫁入りし、本殿で初夜を迎える。さすれば、村の繁栄は約束される」ということらしい。
「要するに、生贄じゃないか」
イチの整った顔が、忌々しげに歪む。反世界様の妻に選ばれてから三ヶ月間、イチは村長の屋敷の離れに住まわされ、皆から神の妻として下にも置かない扱いを受けた。
しかしこれは、なにもイチを想ってのことではない。生贄が村から逃げ出さないよう、監視下に置いているにすぎない。もしイチが逃げようものなら、反世界様が村に災いをもたらすと、村人たちは信じているのだ。
「馬鹿馬鹿しい」
イチは、盛大にため息をつく。神の存在は否定しないし、敬意がないわけでは決してない。だが思考停止で神に従い、命を犠牲にするなんて馬鹿げている。
かといって、衝動のままに逃げ出すほどイチは愚かではない。そんなことをすれば捕まり、逃げないよう脚を折られかねない。イチは表面上大人しく従い、今夜本殿に入れられた後逃げ出すつもりなのだ。
「ああ、イチ様。お綺麗です」
支度をしていた女たちが、口々にイチの花嫁姿を讃える。悪趣味な女装をさせられ、イチは眉を寄せた。
しかし本人の思いとは裏腹に、その花嫁姿は意外なほどしっくりきていた。十五歳になったばかりのイチは、幼さの残る顔立ちに小柄な体躯で中性的な魅力がある。白粉と紅は、彼の鮮やかな赤い瞳を引き立て、艷やかに梳かれた黒髪も白無垢によく映える。
その後、イチは相手もいないのに結婚の儀式を幣殿で盛大に行った。
「反世界様とイチ様のご婚姻を、お祝い申し上げます」
厳かな雅楽流れる中、歓喜に満ちた正装した村人たちがイチを見上げてくる。目に見えない『何か』と、結婚させられる自分はなんなのだろう。滑稽で異様な儀式に、イチはただぼんやりとしていた。
長い儀式がおわった頃にはもう夕方になっており、広大な座敷で、イチにとって最後の宴が催される。
「ついに嫁入りか……」
豪華な食事を前にしても、この後のことを思うと食欲なぞ湧くわけがない。イチは膳を遠ざけ、ため息をつく。
「どうぞ。果実の汁です」
おもむろに、自分と同じくらいの女の子が杯を差し出してくる。ちょうど喉も渇いていたところだ。イチは甘酸っぱい香りに誘われ、その杯を飲み干す。
「う……っ」
とたんに、激しいめまいと眠気が襲う。薬が入っていることに気づいた時には、イチは倒れ昏睡していた。
※
ヒョウヒョウ
「ん……」
とらつぐみの不気味な鳴き声で、イチは眠りから覚める。
「ここは……本殿?」
戸の向こうに目をやると、すでに夜が更けていた。どうやら、イチが眠っている間に運ばれたようだ。ロウソクがいくつか灯されていたため、かろうじて社の中を視認することができる。
村には、不釣り合いなほど立派で広い。古びてはいるが、中は金銀の華麗な装飾が施されており、どこからか不思議な香の匂いがただよってくる。
イチが上半身を起こすと、そこは絹布団が敷かれた寝台の上だった。格好も白無垢のままだ。
「悪趣味な趣向だな」
イチは袖で、花嫁の化粧を乱暴にこすり取る。そして残っている薬によろけながらも、白無垢を脱ぎ捨て動きやすい襦袢一枚になった。
「幸い、人の気配はなさそうだな。薬がもう少し抜けたら、誰かやってくる前に逃げよう」
だがふいに、おかしいことに気がつく。中央に祀られているはずの、ご神体のキノスラがないのである。
シャン
三ヶ月前に聞いた、涼やかな金属が擦れる音。イチの背に冷や汗が流れる。広く暗いとはいっても、確かに人はいなかったはず。
「誰だ!」
もしかして、自分が気づかなかっただけで、どこかに見張りが潜んでいたのだろうか。イチは気丈に叫ぶ。
「俺は、生贄になんてなるつもりはない。もしいるなら出てき……」
シャン、シャン
また音だけが鳴り、イチは言葉を詰まらせる。これはキノスラの音なのか。イチの体が、にわかに緊張でこわばる。
「なにか言ったらどうだ」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン
「待ちわびたぞ」
激しく金属音が鳴った後、突如若い男の声がした。奥は暗く姿は見えない。イチは頭から、冷水をかけられた気がする。
「だ、誰だ」
もう一度叫んだが、その声は震えていた。
「嫌な予感がする」
これは理屈ではない、本能的な感覚だった。
イチは逃げようと布団から立ち上がろうとするが、薬のせいで力が入らない。
「早く、早く逃げないと。でないと」
「どうなると思っている?」
イチの至近距離に、いきなり白い顔があった。近づいてきたというよりは、「そこにいた」という感じだ。あまりの驚愕に悲鳴すら出すことが出来ず、イチは顔面蒼白になる。
「あ、なん……だお前は」
「ああ、やはり格別に美しいな。その紅玉の瞳」
男は、全てが白かった。衣服も肌も髪も目も。まるで、闇の中でぼんやり発光する蛍火のようだ。
「この男は人間じゃない」
イチは、動物的な勘ですぐ理解した。人間ならざる、異形の美しさ。こんな人間がいるわけがない。この男は「反世界様」で、神は本当にいたのだ。
「イチ……」
反世界が、こちらへ手を伸ばす。イチは反射的に後ずさり、懐に隠していた短刀を突きだした。
「触るな! 俺は結婚なんてしない。村から出て自由になるんだ」
イチは勇気を振りしぼり叫ぶ。反世界の顔は人形のごとく無表情のままだ。イチは薬が抜けきるまで、なんとか時間を稼ごうと試みる。神相手に、どこまで通用するかはわからなかったが、このまま死ぬよりマシだ。
「自由? 人間なんて不自由しかないのに。俺の元へ来れば、しがらみや死、苦しみから全て解放される」
「解放……?」
するとイチが突きだしている短刀が、反世界の胸に吸い込まれる。反世界が、自ら胸を突きだしたのだ。
「あ……あ……」
イチは言葉を失う。自分の短刀が、反世界の胸を刺してしまった。反世界の頭がガクリと垂れ、イチにもたれかかる。その体は冷たく、およそ生き物とは思えない。
「殺してしまった」
イチが慌てて反世界を起こそうとした時、突如尋常ではない力で両手をつかまれる。
「殺した? 誰を? 俺を?」
悲鳴にならない木枯らしのような声が、イチの唇から漏れる。反世界は嗤っていた。血一つ流さず、この上なく麗しい顔で。
「や、離せ」
頭の中に、けたたましく警報が鳴る。このままではいけないと。イチは反世界から離れようともがくが、ビクともしない。
「怯えなくていい」
「ンッ、んん!」
その時、イチの全身に強烈な感覚が走る。反世界に唇を奪われている。かろうじて、それだけは理解できた。だが、それはただの口づけではなかった。
「なんだこれ……気持ち良い!」
冷たい唇が触れているだけなのに、体験したことのないしびれるような快感。抵抗どころか、力すら奪われる。
「イチ……」
「ん、ぁ」
唇の隙間から、反世界の舌が侵入してくる。イチはされるがままだった。
「ひ、あぁ……」
冷たい唇とは反対に、その舌は熱い。反世界はイチの舌をからめとり、やさしく吸いつく。
「あん、んぅっ……ッッ」
恐ろしく甘美な感覚。神と触れるとはこういうことなのか。辛うじて残る理性で、離れようとするイチ。だが、反世界の舌で下顎を愛撫されると、すぐ力を失う。
「嫌だ、怖い。このままじゃおかしくなる」
イチの瞳から、涙がこぼれる。反世界はイチを凝視しながら、滑らかな舌を思い切り吸う。
「ふ、ぅ、──ッッッ」
脳髄に直接電極を流されたような、凄まじい快感。
「あ、だめ……おかしくなる」
男に舌を甘噛された瞬間ビクビクと体を痙攣させ、イチは達する。
「ふぁ……ん」
口づけだけで、絶頂してしまったイチ。ぐったりとした体は、反世界にそっと褥に寝かせられた。
「愛い奴だ。初めての夜だから、たんと可愛がってやろう」
「い、や……」
辛うじて絞り出された、イチの悲痛な声。見下ろしてくる美麗な顔が、無機質めいて恐ろしい。だが一方で、イチは理解をした。仮に体が自由に動いたとしても、逃げるなんて出来ないことを。
神に魅入られた時点で、イチの結末は決まっていたのだ。神と婚姻し、結ばれることに。拒否するには、反世界はあまりに美しく、その愛は麻薬のように甘い。
「イチ、愛している」
「おれ、も……」
イチは操られるように、反世界に応える。そして、さながらずっと昔から恋仲だったように、反世界を抱きしめた。
「ああ、イチ。もうずっと俺のものだ」
反世界は恍惚と愛を囁き、イチに再び熱い口づけをする。
この後イチは姿を消し、「めでたくご結婚された」と、村人たちは祝福した。