頬を撫でる風が冷たくなってきた頃、二人は東京の路地裏を歩いた。
学校の帰り道。本来寄り道は校則で禁止されているが彼女は気にも止めず歩いて行く。
黄色になりきれなかった街路樹の葉が落ちている。その周りには水玉模様のように雑踏に潰された実が変色していた。
『すっかり秋だねえ』
なんて、呑気に言う彼女。
私たちはきれいに整ったタイル地の上を行くあてもなく歩いていった。
道沿いのコンビニエンスストアに入る。人気のアニメとコラボした商品が整然と並べられていた。
『あぁ…そうですか…ありがとうございます』
店員と彼女の会話が聞こえる。
どうやら彼女のお目当てのものはなかったようだ。
何も買わないまま店を出るわけにはいかない私たちはアイスを買った。
『あんまお金ないやー』
そう言って困ったような表情をする彼女。
しかし私の目にはどこか楽しそうに映った。
情勢的に店内イートインを使うのは躊躇われる。かと言って店の目の前で食べるわけにもいかなかった。
そこで私たちは適当な路地に入ることにした。
『これが面白いんだよ』
と言って彼女が取り出したのは暗号のような文字の異国語を使いこなすための参考書。
2人でアイスを口に含みながらその本を覗いた。
持ち主である彼女は楽しげに文字を読み、時々口に出して覚えようとしていたが、それらを全く知らないこっちはちんぷんかんぷんで参ってしまった。
アイスがどんどん溶けていく。
『もう秋なのになあ』
彼女は呟いて手に垂れてきた果汁アイスだったものを舐めとった。
パラ、パラ、ポツポツと雨が降ってきた。
翌日の予報は台風。
このまま帰ってもよかったのだが、何故かまだ彼女と一緒にいたかった。
『雨宿りしよっか!』
明朗快活に話す彼女と対称に空にはみるみる暗雲が立ち込めていった。
探せど探せど、東京の路地裏なんてそう雨宿りできる場所があるとは思えず、なかなか良い場所は見つからなかった。
仕方なく私は折畳傘を取り出す。
シューッ、バサッ
広げて彼女に手渡すと、彼女は何も疑わずにそれを受け取った。
私は彼女の方が上背があるから彼女が持った方が様になると思って渡したのだが、素直に受け取るところが彼女の純真さを表しているようで、なんだか悔しい気持ちになった。
それから、私たちは30分ほど埃の被った自販機が並ぶ薄暗い通りを歩いた。そして、話した。
話す内容なんて特にこれといったものじゃない。普通の学生が普通に話すような他愛もない話だった。
『どこの国へ行きたい?』
これは彼女のお決まりの質問。
私も彼女が他の人にこれを聞いているのを幾度となく見かけた。
それにイタリア、と答える。
『イタリアか…いいね!お洒落だよね!』
そう言って互いに笑う。
『私はタイに行きたい!あそこなら性別の種類が多いからね!』
そうだね、と言って軽くあしらってしまう。
これは彼女があまりに明るく言ったからであるが、本来ならこんなに軽く扱っていい問題ではなかった。
え、と思わず口に出てしまった。
『ん?どうかしたの?』
となんでもないような彼女。
雨はさっきより強く傘を叩いていた。
彼女は他の女の子とは少し違った。
髪はショートカット、口調もとても上品ではない。
かと言って女子力、というものがないわけではなく、メイクや薬膳(?)などの勉強をしていた。
きっと何にでも興味があるのだろう。
そんな彼女はいい意味で他の子とは一線を画していた。
そして、彼女は明るかった。行動力があった。リーダーシップも、才能もあった。
彼女のかく絵や小説はどれも彼女の様々な愛がこもっていた。
私は密かに彼女を尊敬していた。
一通り歩き終えたところで、大通りに戻った。
『もうこんな時間、そろそろ帰るか…』
少し後ろ髪引かれるような様子の彼女。
なんてことないただの散歩なのに、そんなに楽しく思ってくれていたのだろうか。
私は少し嬉しくなった。
彼女が通学に使っていたのは地下鉄。
私は折角なので改札口まで彼女を見送ることにした。
『じゃーね!』
うん、また明日。と言って手を振る。
すると、改札を通ろうとしていた彼女が急にこちらに近づいてきた。
そして、私に抱きつき、ニ枚の不織布越しにキスをした。
彼女は、いつもいろんな人に抱きついている。
こう言うとなんだか語弊があるが、彼女はいつも彼女の友達を見つけるとハグを要求していた。
例に漏れず私もいつも要求されていて、初めは少し恥ずかしかったのだが、段々と慣れ、外国風の挨拶のつもりなんだろうな、と解釈して特に気にしないようにしていた。
そして、そういったスキンシップが私の中で普通になっていった。
しかし、キスをされたのは初めてだった。
また、他の誰にもキスをしているのをみたことがなかったために余計驚いた。
もしかしたら他の人にも知らないところでしていたのかもしれない。
でも、私自身彼女からキスをされるのは初めてだったし、他の誰にも、親にもされたことなんてなかった。
動揺して赤面する私を置いて彼女は改札を抜ける。
『また明日ね!』
とだけ彼女は告げ、ホーム階への階段を駆け上がっていった。
まだぼうっとした頭のまま階段を上がる。
彼女に渡し、彼女が持ち、彼女が閉じて、彼女が渡した折畳傘を開く。
雨は一層強さを増している。
ああ、明日は台風か。なんて考える私の頬には彼女の体温がまだ残っていた。
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