「婚約、結婚指輪も買ったみたいだし、あとは式を挙げるだけじゃん? あのクソババのせいで式を挙げるのは少し先になっちゃったけど、独身最後の一年、楽しみなよ」
「そうだね」
私は恵をギュッと抱き締める。
「……ありがとう」
恵は私を抱き締め返し、ポンポンと背中を叩く。
「よし、ジュース飲んだら隣覗いて、レストラン行くか」
「うん! ご飯楽しみ!」
私たちは美味しいジュースを飲みながら夜景を楽しみ、貴重品の入ったバッグを持って部屋を出た。
隣の部屋をノックすると「はい」と声がし、ヌッと上半身裸の涼さんが現れた。
「ぎゃっ!」
私はびっくりして文字通り跳びはね、床から少し足を浮かせる。
「涼!」
奥から尊さんの焦った声がしたかと思うと、バスローブが目の前で翻り、涼さんの上半身を覆った。
「見せつけ変態やめろよ。朱里が驚いただろうが」
「春先に現れる露出狂みたいな言い方はやめてくれよ……。下はちゃんと穿いてるって」
涼さんはバスローブで上半身を隠しつつ、バスルームに引っ込んでいく。
それから、ドライヤーを使う音が聞こえてきた。
「……大丈夫か? 朱里」
尊さんが疲れた表情で尋ねてきて、私はコクコクと頷く。
「涼さん、シャワー入ってたんですか? ……沢山歩いて汗掻きましたもんね」
「男のシャワーは早いから、レストランに行く前にすぐ……と思ってたけど、タイミングが悪かったな」
そう言った尊さんからも、石鹸のいい匂いがする。湯上がりホカミコ。
私たちはとりあえず部屋の中に入らせてもらい、自分たちの部屋と違う所をチェックする。
恵は窓辺にある椅子に腰かけ、溜め息をついた。
「今までは外で遊んでいたからすっかり気が緩んでましたけど、服を脱げば男の人ですもんね」
「……そりゃあな。着ぐるみも〝中の人〟がいるし」
「夢の国のホテルでそういう事言うの、やめてくださいよ……」
尊さんのベッドに座った私がしょんぼりすると、彼は「悪い悪い」と謝る。
やがてドライヤーの音が止み、服を着た涼さんが現れた。
「女子、悪い」
簡潔に謝られ、私は思わず笑う。
「いえ、いきなり登場した私たちが悪いので、涼さんが謝る事はないです」
答えてから恵に「ね」と言うと、彼女はモゴモゴしながら頷いた。
……おや?
様子のおかしい恵を見て目を瞬かせると、彼女はどうやら涼さんを直視できないみたいで俯いたままだ。
ピーンと私のなけなしの恋愛センサーが働いたけれど、同時に別の意味のセンサーも働いてしまった。
私は立ちあがって恵の前にしゃがむと、コソコソと小さな声で話しかけた。
「怖くなった?」
恵は痴漢に遭ってから、いっさい異性に興味を示さなくなった。
私に告白してくれたからといって同性が好きなわけでもなく、本来なら異性が恋愛対象なんだろうけど、いい印象を抱けないまま今に至る。
思春期に刻まれたトラウマは根深く、恵がいまだ男性に嫌悪感、不信感を抱いていてもおかしくない。
会社で働いている時、男性が苦手という様子はいっさい見せなかったけれど、本当は私に知らせなかっただけで、嫌な気持ちになっていた事はあったかもしれない。
男性と付き合った事はあるけれど、付き合えるかどうか試してみた……に近い感覚だ。
だから今、いくら高収入イケメンとはいえ、涼さんの胸板をモロに見てしまって、恵のトラウマが刺激されてしまったのかと心配してしまったのだ。
……と言っても、痴漢の裸を見た訳じゃないし、おじさんと涼さんとではビジュアルに大きな差があるわけだけれど。
そう思っていた時、恵がボソッと小さな声で言った。
「……違う」
「えっ?」
思わずドキッとして恵の顔をよく見ると、キュッと唇を引き結んで涼さんから頑なに目を逸らし、真っ赤になっている。
――これは!
思わず涼さんのほうを見ようとすると、恵は「違うから!」と大きな声で言い、私の顔を両手で挟んでグイッと自分のほうを向かせる。
「あぐっ」
振り向こうとした力と恵の力がせめぎ合い、私はくぐもったうめき声を漏らす。
そんな私を見て恵は泣く寸前の顔で息を震わせながら吸い、「あり得ない!」と言って部屋を出て行った。
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