テラーノベル
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人間という生き物は、つくづく手のかかる存在だと思う。
我が家の居間にある一番日当たりの良い特等席——大きな窓のすぐ横に置かれた、ふわふわの薄ピンク色のクッションの上で丸くなりながら、僕はパチリと片目を開けた。四角い窓からはあたたかな午後の光が差し込んでいて、部屋の中にはどこか甘い日向の匂いが満ちている。
視線の先では、この家の主であり、僕の下僕でもある「飼い主」が、ドタバタと忙しそうに部屋を行き来していた。
「あーっ! またカバンの中に教科書入れるの忘れてた! 霊夢(れいむ)、ごめんね、行ってきます!」
片方の靴下を脱げかけさせながら、半泣きで玄関へ走っていく背中を、僕はあくびを噛み殺しながら見送る。バタン、と大きな音を立ててドアが閉まり、静けさが部屋に戻ってきた。
(フン……相変わらず落ち着きのない人間ニャ。僕という完璧な美猫がついていてあげないと、本当にどこかで転んで怪我でもしそうニャ)
僕は「ふニャッ」とひとつ大きな伸びをして、毛並みを整えるために前脚を丁寧に舐め始めた。毛並みの手入れは高貴な猫の嗜みであり、この家を統べる者としての重要な日課だ。
僕の名前は霊夢。漆黒の毛並みに、黄金色の瞳を持つ、この家で一番偉くて、一番強くて、一番美しい黒猫だ。人間は僕のことを「可愛いペット」だと思い込んでいるようだが、それは大きな勘違いというものだ。僕から言わせれば、僕は彼女の保護者であり、この家をあらゆる外敵から守る誇り高きハンターなのだから。
日中、人間が学校に行っている間、僕の任務は実に多忙を極める。
窓の外を横切る怪しい雀(すずめ)を鋭い眼光で監視し、太陽の動きに合わせてクッションの位置を微妙に調整し、午後には最高のコンディションで昼寝を楽しむ。寸分の隙もない完璧なスケジュールだ。
僕が守ってやっているこの家は平和そのもので、僕のニャン生(人生)は何ひとつ不自由のない、幸福に満ちたものだった。……そう、今日までは。
夕方、ガチャリと玄関の鍵が回る音が聞こえた。僕の耳がピクッと跳ね起きる。
「ただいま、霊夢! 今日も良い子にしてた?」
帰ってきた人間は、玄関に重そうなカバンを放り投げると、一目散に僕のもとへ駆け寄ってきた。そして、僕の目の前にしゃがみ込むと、目尻をデロデロに下げて笑顔を向けた。
(待っていたぞ、人間。まずは僕の完璧な毛並みを称えるがいいニャ)
僕はフッと鼻を鳴らし、わざとらしく「すりっ」と彼女の膝に頭を押し付けてやった。人間は「キャー! 今日も甘えてくれて可愛い〜!」と一人で大騒ぎしている。フッ、単純なやつだ。ちょっとこうしてサービスしてやるだけで、人間という生き物は簡単に幸せになれてしまうのだから、扱いやすいことこの上ない。
いつもなら、ここでお気に入りのカリカリが深皿に盛り付けられ、僕がそれを優雅に平らげた後、人間の膝の上で至福の夜の撫で回されタイムが始まるはずだった。
「はい、霊夢! 今日の夜ご飯だよ!」
カランカラン、と皿にキャットフードが当たる心地よい音が部屋に響く。
だが……お皿の前に足を進めたところで、僕の身体に奇妙な違和感が走った。
いつもなら、この音を聞いただけでお腹の底からワクワクが込み上げてきて、一瞬で駆け寄るはずだった。それなのに、今日はなぜだか足取りが重い。喉の奥がキュッと狭くなったような感覚がして、大好きなカリカリの香ばしい匂いを嗅いでも、まったく胸が踊らないのだ。
(おかしいニャ……お腹は減っているはずなのに、なんだか身体の奥が重たいニャ……)
僕は一口だけ噛み砕いてみようとしたが、飲み込むのが億劫で、そのままポロッと皿の上に落としてしまった。
「あれ……? 霊夢、ご飯残してる……? 体調悪いの?」
人間の声から、さっきまでの浮かれたトーンが瞬時に消え去った。代わりに、今まで聞いたこともないような、不安で引きつった声が部屋に響く。
彼女の温かい手が、心配そうに僕の背中を優しく撫でた。いつもならうっとりして喉をゴロゴロと鳴らすその手触りも、今日なんだか皮膚の表面を撫でられているだけで、体の中の「重苦しさ」は一向に消えてくれない。
僕を見つめる人間の瞳には、今にも涙がこぼれ落ちそうなほど不安が溜まっていた。
(泣きそうな顔をするなニャ、人間。僕はただ、今日の日差しが強くてちょっと疲れが出ただけニャ。明日になれば、また元通り完璧な僕に戻って見せるニャ……)
僕は彼女を安心させるために、振り絞るように「ニャー」と声をあげてみせた。
だが、僕の口から漏れ出たのは、自分でも驚くほど細く、力のないかすれ声だった。
人間が息を呑み、僕をそっと抱き上げる。その腕の震えが、僕の体にも伝わってきた。
身体の奥で静かにうごめく、小さな違和感。
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ゆっくり霊夢フォローしてえね!
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それが僕の平和な日常を完全に破壊し、恐ろしい『あの場所』へと僕を連れ去るカウントダウンだということに、この時の僕はまだ、何も気づいていなかったのだ。
コメント
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わあ、めっちゃ可愛いエピソードだった…! 黒猫の霊夢、自分が「保護者」だと思ってるところがもうツボすぎるw 飼い主の人間を「下僕」扱いしつつも、最後に心配かけたくないって必死に鳴くところ、グッときた。ただの日常系かと思いきや、ラストの不穏な伏線が効いてて続きが気になりすぎる…! このギャップがたまらんね🔥