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深夜二時。街の喧騒が眠りについた頃、ひっそりとした路地裏にパトカーの光が明滅していた。
現場は、小さな宝石の個人店。店主のこだわりが詰まっているのだろう、アンティーク調のショーケースが並ぶ店内は、本来なら温かみのある空間のはずだった。だが今は、踏み荒らされた床と、鼻を突く血の匂いが、その平穏を無残に引き裂いている。
「また、ですか」
私は、規制線の前で手帳を握りしめた。
ここ数週間、都内では宝石店を狙った連続窃盗事件が発生している。前回の事件では、鉢合わせした警備員が刺殺された。そして今夜、またしても凶刃が振るわれたのだ。
「今回の被害者は、この店で働き始めたばかりの従業員。店主の黒沢真希さんの婚約者、高橋さん四十二歳です。腹部を刺され、現在は病院で緊急手術中ですが、予断を許さない状況だとか」
私の隣で、退屈そうにショーケースを眺めているグレーのコートの主――柊さんに、現在の状況を説明する。彼は私の言葉に相槌を打つこともなく、手袋をはめた指先で、陳列された指輪の台座をなぞっていた。
「店主の真希さんはショックで奥の部屋から動けず、今は甥の光輝さんが対応しています。彼は二十四歳、真希さんの手伝いで店に立っているそうですが……見てください。あの態度」
店内の隅、パイプ椅子に踏んぞり返ってスマートフォンを弄っている青年、光輝。彼は時折、鑑識の動きを煩わしそうに睨みつけては、深く溜息をついていた。協力しようという気概は、微塵も感じられない。
「悲劇の婚約者に、非協力的な親族。古典的な演劇の台本みたいだね」
柊さんはようやく口を開くと、不意に、割れたショーケースの中から一粒のエメラルドのリングを取り出した。
「ちょっと! 柊さん、何をしてるんですか。鑑識が終わった後だとしても、それは証拠品ですよ。というか勝手に触らないでください」
「証拠品? いや、これはただの『美しさの結晶』だよ」
柊さんは私の制止を無視して、そのリングを私の目の前に掲げた。
「見てごらん、南さん。この深い緑。君の今の、その強張った黒い瞳の色によく似合っている。どうだい、このまま盗んじゃおうか」
「……冗談でも笑えません。人が一人、死にかけているんですよ」
私が鋭く睨みつけると、柊さんは
「おっと、怖いね」
と肩をすくめた。
「そんなに怒らなくても。エメラルド以外でもっとふさわしい宝石となると」
彼はリングを持った手を、私の目の前でゆっくりと左右に振った。
「例えば、こうして……」
柊さんが指先を軽く弾いた瞬間、そこに確かにあったはずのエメラルドのリングが、霧のように掻き消えた。
「え……?」
私は思わず彼の両手を掴もうとした。だが、彼の掌は空で、指の間にも何も挟まっていない。どこにも隠す場所などないはずなのに。
「どこへやったんですか? ケースに返してください」
「返してほしければ、少しは肩の力を抜きなよ。君がそんなに怖い顔をしていると、真実も身を隠してしまう」
柊さんは悪戯っぽく微笑むと、私の耳元に手を伸ばした。
「ほら、君の耳の裏に隠れていた」
彼が指先を鳴らすと、そこには再び、あのエメラルドが輝いていた。
「……マジックなんて、現場でやらないでください。不謹慎です」
私は彼の手から引ったくるようにリングを取り上げ、元の場所へ戻した。心臓が少しだけ早く脈打っているのは、驚かされたせいか、それとも彼のあまりに軽やかな指先に翻弄されたせいか。
「不謹慎、か。だが南さん、マジックと詐欺は紙一重だ。どちらも『観客が信じたいものを見せる』ことで成立する。この現場にだって、誰かが僕たちに見せようとしている演出があるはずだ」
柊さんの瞳から、先ほどの遊び心が消えた。彼はじっと、スマートフォンを操作し続けている甥の光輝を見つめている。
「叔母の婚約者が刺され、店が荒らされている。それなのに、あの甥御さんは一度もスマートフォンの画面から目を離さない。恋人を守ろうとして傷ついた男への同情も、叔母を気遣う素振りもない」
「……確かに、冷淡すぎますね」
「あるいは、なにか隠しているか」
柊さんは再び歩き出し、今度は被害者の高橋さんが倒れていたという、カウンターの裏側を覗き込んだ。
「南さん。君の言う通り、これは連続殺人鬼の凶行かもしれない。だが、別の誰かによる便乗だとしたら?」
柊さんの言葉に、背筋に冷たいものが走った。連続事件という大きな影に隠れて、その陰に紛れ込もうとしている悪意。
私は、先ほど柊さんが鮮やかに消してみせたエメラルドを思い出した。目の前で起きていることが真実だとは限らない。詐欺師の視点が捉えようとしている「綻び」が、この静かな宝石店の中に、確かに潜んでいる気がした。
「……あの甥御さんに少し話を聞くか」
柊さんはそう言って、ゆっくりと光輝の方へ歩み寄っていった。その背中は、これから始まる残酷な解体ショーを予感させる、冷徹な空気を纏っていた。
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