テラーノベル
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私は柊さんの後に続いた。
パイプ椅子に座り、面倒そうにスマートフォンの画面をなぞる光輝さんの前で、柊さんはあえて音を立てるように足を止めた。
「……あの、光輝さん。お疲れのところ悪いけれど、少しだけいいかな」
柊さんの声は、驚くほど穏やかで、それでいて拒絶を許さない響きを持っていた。光輝さんは顔を上げると、眉間に深い皺を刻んだ。
「さっき全部話しましたけど。てか、アンタ誰?」
「警察のコンサルタントだよ」
「コ、コンサルタント?」
柊さんはさらりとかわし、光輝さんの隣にあるスツールに腰を下ろした。
「……今回の件、不可解な点が多いんだ。犯人は警備会社直通の最新セキュリティを完璧に無効化し、赤外線センサーの死角を突いて金庫へ辿り着いている。暗証番号も一発だ。……奥の金庫にあった未加工の原石やエメラルド、ルビーはそのままだが、ダイヤは残ってない。犯人は、この店で何が本当に価値があるかを熟知していたようだ」
柊さんは、あえて光輝さんの瞳を覗き込むように顔を近づけた。
「……これだけ鮮やかな手口だ。事前に入念な下調べをしたプロか、あるいは内部に手引きした共犯者がいる。……ねえ、光輝さん。君、高橋さんのことが嫌いなんだろう? それも、殺してやりたいと思うくらいに」
「は……?」
光輝さんの動きが止まった。画面を叩く指が微かに震え、表情から余裕が消える。
「何言ってんだよ。叔母さんの婚約者が襲われたんだぞ。不謹慎だろ」
「不謹慎なのは、君のその口角だ。悲劇を語るにしては、少しばかり上がりすぎている。……君にとって高橋さんは、大切な叔母さんを……いや、店を奪おうとした侵入者。そうじゃないかな」
柊さんの言葉に、光輝さんは「チッ」と大きな舌打ちをした。隠すのをやめたらしい。彼はスマートフォンをポケットに放り込むと、投げやりな口調で吐き捨てた。
「……だったら何だよ。あの叔母さん、子供もいないからさ、この店の権利も財産も全部俺に譲るって言ってたんだ。それなのに、いい年して急に色気づきやがって。どこの馬の骨とも知れない男を連れてきて、婚約だなんて……。笑わせるよな。俺のこれまでの苦労、全部台無しだよ」
醜悪な本音が、淀んだ空気となって店内に広がった。私はその露骨な利己主義に、嫌悪感を禁じ得なかった。
「……だから、犯人を手引きしたんですか? セキュリティの解除方法を教えられるのは、店主と店員のあなた、それに婚約者の高橋さんだけのはずだ」
私が問うと、光輝さんは鼻で笑った。
「まさか。俺はそんなリスク冒さないよ。ただ、あいつが刺されたって聞いた時は、正直、ざまあみろと思ったけどね」
柊さんは光輝さんから視線を外し、再び被害者の高橋さんが倒れていたという、カウンターの裏側を覗き込んだ。私は小さな声で話しかける。
「柊さんは内部犯を疑ってるんですか?」
「まぁ、そうだね。別に根拠があるわけじゃないけどね。連続強盗犯だと単純に僕の出る幕がないから別の視点で見てるだけだよ」
そう言うとカウンターにある帳簿をペラペラめくる柊さん。
「刺された高橋さんからも話を聞きたいな」
「報告によると、まだ意識不明の状態だそうで、とても話は……」
柊さんは、高橋さんの血が点々と床を汚している動線を、じっと見つめていた。
「南さん。刺された高橋さんも、怪しいと思わないかい?」
「えっ……? でも、彼は重傷なんですよ。犯人に腹を刺されて、死にかけている人を疑うんですか?」
「死にかけること自体が、計画の一部だとしたらどうだろう」
柊さんの瞳が、冷徹な光を帯びる。
「強盗に襲われ、愛する人の店を守ろうとして傷ついた、忠実で勇敢な婚約者。……そんなドラマチックな演出があれば、店主の真希さんは彼を一生離さないだろう。店の権利も、将来の遺産も、すべて彼の転がり込んでくる」
「でも、刺されたんですよ! 一歩間違えれば本当に死んでしまうのに、そんな賭けを……」
「共犯者は、往々にして最後に消されるものさ。あるいは、最初から自分を浅く刺すはずが、相手が裏切って本気で殺しにきたか」
柊さんは、まるでパズルを解くように淡々と告げた。
「この事件の真実は、君にあてがったエメラルドのようにキラキラしたものではないかもしれないよ。……さて、病院へ行こうか。高橋さんの『名演』の続きを聞きにね」
「え? 意識不明なんですよ?」
私は、柊さんの背中を追いながら、手帳に記された被害者の名前をもう一度見つめた。
正義を信じたい私と、人間の悪意を知り尽くした彼。宝石店を包むパトカーの光が、嘘と真実を交互に照らし出していた。
病院へ向かうパトカーの中で、私は窓の外を流れる街灯を眺めていた。柊さんはシートに深く身体を預け、目を閉じている。
もし、彼の推理が正しいのだとしたら。自分の腹に刃物を突き立ててまで手に入れたい愛や富とは、一体どれほど重いものなのだろうか。
不意に、柊さんが目を開けずに呟いた。
「南さん。君なら、愛するもののために自分を刺せるかい? 対象は他人か、金か、名誉か、人によるだろうが」
「……そんなこと、考えたこともありません」
「だろうね。君は真実の世界に住んでいるから。……だが、この世には嘘を真実にするために、自分の血をインクにする人間もいるんだよ」
その声は、どこか遠い過去を懐かしむような、ひどく冷ややかで、けれど微かに震えているように聞こえた。
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