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帝都は、
朝の光を受けて
静かに目を覚まし始めていた。
灰色の石畳には
荷馬車の車輪の跡が連なり、
露店の支度をする声が
あちこちから聞こえる。
ルシアンとエリアスは馬を降り、
街の中心へと歩みを進めた。
城壁の奥に広がる帝都は、華やかさと緊張が同居している。
「……相変わらず
息苦しい場所だな」
エリアスが苦笑する。
「静まり返っているよりはいい」
ルシアンも淡々と返したが、瞳は鋭く街を観察していた。
視線の中には、鎧を纏った兵の姿が多い。
――増えている。
それは、
彼ら二人が
無意識に共有した認識だった。
◆ 第一の目的地:軍務記録局
帝国の軍がどこへ動いたかを知るには、
ここを見るのが最も早い。
公爵家の名は、その扉を容易に開かせた。
しかし――
中は不自然なほど静かだった。
応対に出た文官は
緊張した面持ちで言う。
「森方面への派兵記録、ですか……
こちらでは確認できません」
ルシアンが目を細めた。
「できない、のではなく“消えている”のだろう」
文官は答えない。
ただ目を伏せる。
エリアスが皮肉気に囁く。
「記録局に記録がないとはな」
「誰が命じた」
ルシアンが問う。
文官は震える声で返す。
「……存じません。ただ――
森へ向かった小隊が
“戻っていない”と聞きました」
戻っていない?
ルシアンとエリアスは同時に眉を寄せる。
「死んだのか?」
「いえ……“姿を消した”と」
姿を消した――
兵が?
エリアスが低く呟く。
「……妙だな」
文官は口を噤み、それ以上は何も言わなかった。
だが、ふたりは十分理解した。
――
情報が隠されている。
誰かが、意図的に。
記録の欠落。
兵の失踪。
どちらも小さな出来事では済まない。
「礼を言う」
ルシアンは文官に短く告げ、建物を後にした。
◆ 第二の目的地:市井の小さな酒場
貴族の公式記録より
市井の噂のほうが真実に近いこともある。
開店したばかりの酒場には朝酒を楽しむ者がちらほら。
ルシアンは懐の銀貨を軽く弾き、
店主に杯をひとつ注文した。
「森ん中で兵が見たって噂、聞いてるか」
店主は目を細め、声を潜めた。
「最近な、森で……“化け物”を見たって
兵が怯えて戻ってきたらしい」
「化け物?」
「ああ。小隊で行ったのに、剣も盾も役に立たず
逃げ帰ってきたって」
嘘か
誇張か――
だが、記録にない派兵と失踪した兵、
怯える兵士の証言――
つながり始めている。
エリアスが問う。
「その“化け物”の特徴は?」
店主は首を振る。
「聞いた話だと……“声がしなかった”“目が光ってた”
……とかなんとか」
どれも曖昧な噂話。
真偽は定かではない。
だが、
“声がしない”は――
イチを連想させる。
しかし、イチは兵を傷つけていない。
噂がイチと繋がる理由は薄い。
「……ただの膨らんだ噂だ。
だが方向性は見えた」
ルシアンは杯を置き
静かに立ち上がった。
◆ 第三の目的地:近衛詰所
正規軍とは別の
皇族直属の騎士団――近衛。
ここは庶民は近づけないが、
公爵家の名があれば
話を聞ける。
だが――
近衛はルシアンたちを完全に拒んだ。
「……申し訳ありませんが、
本日は面会の許可が出ておりません」
あくまで丁寧だが、
明らかに“意図的な拒絶”だった。
「こちらは公爵家の――」
「存じております。ですが、お引き取りください」
門前払い。
ルシアンは目を細める。
(近衛が動いた……
ということか)
冤罪の可能性は
さらに濃くなる。
――
エリオットは
“近衛”によって
消されたのか?
エリアスが低く呟く。
「……近衛が動いたのなら、皇族の命だな」
ルシアンは否定しない。
だが、殿下の意思ではない。
それだけは確信があった。
◆ 束の間の寄り道 ― 贈り物
調査を終え、日が傾き始めたころ。
街路の露店が夕陽に照らされて金色の光を纏っていた。
戻る前――
ルシアンは
足を止めた。
飾りのない小さな店。
並ぶのは安価な髪飾りや布のリボン。
隣でエリアスが呆れたように眉を上げる。
「……誰に買う」
「誰でもいいだろう」
ルシアンはぶっきらぼうに返す。
だが目は真剣そのもの。
(……あの子は
髪が長かった)
淡いピンクを帯びた銀髪が朝の光に揺れた姿を思い出す。
ひとつ、
薄い藍色のリボンに手が伸びる。
エリオットの家にいた少女。
声も
表情も
失ったままの少女。
あの部屋で、膝を抱えていた姿が
今も焼きついている。
「藍色だと似合わんだろう」
エリアスが横から言う。
「……うるさい」
結局、ルシアンは淡い薄桃色の飾りを手に取った。
イチの髪に似た色。
静かで優しい印象の小さな品。
「……それでいいじゃないか」
エリアスが静かに言う。
店主へ銀貨を渡し、小さく礼を言う。
買ったはいいが、渡す言葉が見つかる気はしなかった。
(まあ……セリーヌにでも頼むか)
そう小さく息を吐き、ルシアンは馬へ戻った。
――
空は赤く沈み、
夜が近づいている。