テラーノベル
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その高校には「放課後5時のジンクス」と呼ばれる噂があった。 普段は鍵が閉まっている旧校舎の屋上。そこへ続く階段の扉が、なぜか毎週金曜日の夕方5時ちょうど、たった一分間だけ開くことがあるという。そして、そこで出会った男女は、絶対に結ばれる――。 高校2年生の織田 律(おだ りつ)は、そんなオカルトじみた噂を全く信じていなかった。写真部に所属する彼は、ただ「夕日に染まる古い校舎の階段」という最高の被写体を求めて、金曜日の夕方、旧校舎の最上階へと足を運んだ。 カチ、と時計の針が午後5時を指す。 何気なく律が重い鉄扉のノブを回すと、驚いたことに、ガタリと鈍い音を立てて扉が開いた。隙間から、眩しいほどの黄金色の光が差し込んでくる。「本当に開いた……」 吸い寄せられるように一歩を踏み出した律は、屋上のフェンス際で、一人の少女が佇んでいるのを見つけた。 風に揺れる短い黒髪。彼女は、誰もいないはずの屋上で、まるで目に見えない相手と手を取り合っているかのように、ゆっくりと、優雅にステップを踏んでいた。ステップを踏むたびに、彼女のローファーがコンクリートを叩き、静かな校舎にリズミカルな音が響く。 夕日を背に浴びて踊る彼女の姿は、息をのむほど美しかった。律は反射的に、首から下げていた一眼レフカメラを構え、ファインダー越しに彼女を捉えた。 カシャ。 シャッター音が響いた瞬間、少女がハッと動きを止め、こちらを振り返った。 同じ学年の制服。けれど、律の知らない顔だった。彼女は大きな瞳を丸くして律を見つめ、それから悪戯が成功した子供のように、ふわりと微笑んだ。「あ、見られちゃったな」 それが、律と「一ノ瀬 舞(いちのせ まい)」の出会いだった。 * 舞は、幼い頃からクラシックバレエやダンスを習っていたが、怪我をきっかけに表舞台で踊ることを辞めてしまったという。「でもね、やっぱり身体を動かすのが好きなの。ここは誰も来ないし、夕日が綺麗だから、私だけの秘密のステージだったんだ」 二人は、金曜日の5時になると、示し合わせたわけでもないのにあの屋上で顔を合わせるようになった。 律は彼女の踊る姿をカメラで切り取り、舞は律の撮った写真を見て「私、こんな風に笑ってるんだ」と嬉しそうに目を細めた。 舞のステップは、いつも即興だった。音楽なんて流れていないはずなのに、彼女の頭の中には特別な旋律が流れているようだった。「ねえ、律くん。写真って、時間を止める魔法みたいだよね」ある日、フェンスに背中を預けながら、舞が言った。「私は、進んでいく時間の中でしか踊れない。でも、律くんが撮ってくれる私は、ずっとその一瞬の中で生きていられる気がするの」 その言葉を聞いたとき、律の胸に、言葉にできない熱い感情が込み上げた。ファインダー越しに見つめる彼女の笑顔、汗が光る首筋、風に舞うスカート。そのすべてが、いつの間にか律にとって「特別」になっていた。 けれど、不器用な彼は「ただのカメラマンと被写体」という関係が壊れるのを恐れて、その気持ちに蓋をしていた。 * 季節は秋へと移り変わり、文化祭の季節がやってきた。 写真部は、部員の作品を展示する教室を用意していた。律は迷わず、これまで撮り溜めていた舞の写真を大きく現像した。夕日の中で弾けるような笑顔を見せる彼女、夕闇に溶けていきそうな儚い表情の彼女。 展示のタイトルは『一秒のワルツ』。 文化祭の当日、律の展示は大きな反響を呼んだ。「この綺麗な女の子は誰?」と噂になり、教室には多くの生徒が詰めかけた。 しかし、肝心の舞の姿はどこにもなかった。 文化祭も終盤に差し掛かった、日曜日。後片付けの時間が近づき、夕方が訪れる。 律のスマートフォンが震えた。舞からのメッセージだった。『律くん、写真展見たよ。すごく素敵だった。……私、お父さんの仕事の都合で、急に明日、遠くの街へ引っ越すことになっちゃったの。最後に、あの場所で待ってます』 律は目を見開いた。頭の中が真っ白になり、スマホを握りしめたまま、足が勝手に走り出していた。 賑やかなお祭りの喧騒をすり抜け、誰もいない旧校舎の階段を駆け上がる。息が苦しく、心臓が痛いほど脈打つ。「行くな、行かないでくれ――」 頭の中で、その言葉だけがぐるぐると回っていた。 屋上の扉の前にたどり着き、勢いよくノブを押し下げる。時計の針は、ちょうど午後5時を指していた。 バタン、と扉が開くと、そこにはあの日のように、オレンジ色の光の中に立つ舞がいた。彼女の足元には、小さなワイヤレススピーカーが置かれており、そこから静かで切ないピアノのワルツが流れていた。「律くん」 舞は振り返り、寂しげに、でも世界で一番綺麗な笑みを浮かべた。「最後にね、律くんにちゃんと見届けてほしくて。私の、最高のステップを」 曲のテンポが少しずつ上がっていく。舞は踊り始めた。 これまでで最も激しく、最も美しいダンスだった。涙を堪えるように、感情をすべてぶつけるように、彼女は屋上を舞う。律はカメラを構えることさえ忘れ、その姿をただ目に焼き付けようと見つめ続けた。 やがて、曲の最後の音が静かに消え入る。舞は律の目の前で、ピタリと動きを止めた。彼女の目から、一筋の涙が頬を伝って流れ落ちる。「ありがとう、律くん。バイバイ」 舞が背を向けて歩き出そうとした、その刹那。 律は一歩前に踏み出し、彼女の手首を強く掴んでいた。「待って、行かないで!」 舞が驚いて振り返る。律は彼女の目を真っ直ぐに見つめ、堰を切ったように言葉を吐き出した。「写真なんかじゃ足りない! 一瞬を止めるだけじゃ嫌なんだ。僕は、進んでいく時間の中で、これから先の毎日の中で、ずっと君を見ていたい。……君が好きなんだ、舞」 夕日が、二人の影を長く長く、コンクリートの床に伸ばしていく。 舞は目を見開いたまま固まっていたが、やがて掴まれた律の手を、今度は自分の意思できゅっと握り返した。彼女の瞳から、次から次へと涙が溢れ出す。「……遅いよ、律くん。もっと早く言ってくれたら、引っ越しなんて、もっと全力で嫌がったのに」 舞は泣きながら、嬉しそうに笑った。「でも、私も律くんが好き。遠くに行っても、絶対に忘れない。私の時間を、ずっと止めておいて。また迎えに来てくれるまで」 律は頷き、彼女の小さな身体を強く抱きしめた。 放課後5時のジンクスは、オカルトなんかじゃなかった。止まっていた二人の時間が、今、未来に向かって確かに動き始めた瞬間だった。
コメント
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うわあああ完結〰️〰️😭💕💕 釜玉うどんさん、最高の3話をありがとうございます!!屋上のワルツのシーンが美しすぎて、特に舞が引っ越す直前のダンスと律くんの告白で涙腺崩壊しました「進んでいく時間の中でずっと見ていたい」って台詞にもうズキュン💘 ジンクスがただのオカルトじゃなくて、二人の時間が動き出すきっかけだったってオチもエモすぎます…!!引き続き応援してますねっ🌟