和香は書店に行って、本と小物を見、カフェスペースを覗いた。
ちょっと休みたいなと思ったが、
いやいや、ここでなにか飲んでしまったら、美味しくトンカツが食べられないっ、
と思い、我慢して、ザカザカ歩き、トンカツ屋に行った。
ここ、この間までかき氷屋だったよな~。
明るく作り替えられた店内からは、煌々と灯りが漏れてくる。
白木の壁のせいで、より明るく感じる店内でみんな楽しげに食事をしていた。
外、寒いな。
入りたいな~。
でも、まだ課長来てないし。
入り口にちょっと入って待たせてもらおうかな、
と思いながら、中に入ると、すぐに若い女性の店員さんに愛想よく声をかけられた。
「いらっしゃいませ。
何名様ですか?」
「あ、に、……」
二名です。
では、こちらへどうぞ~とかいう流れになって、うっかり中に入って座って待ってたりしたら、怒られそうだな。
カップルでも友人でもないんだし、と思ったとき、後ろから、
「二名だ」
と声がした。
振り向くと、耀が立っていた。
あちらの席にどうぞ~と笑顔で言われ、落ち着いた感じの奥側の席に行く。
「すみません。
寒かったので、先に中に入っちゃって」
と言うと、耀はメニューを見ながら、
「いや、いい。
遅れたのは俺の方だし」
と言う。
「お前のことだから、中に入って、先に一杯やってるかなと思ってた」
いや、先に一杯とか、幾ら私でもやりませんよ、と思いながら、和香はメニューを眺める。
当たり前だが、トンカツがいっぱいだ。
濃厚な感じのソースが美味しそうだな。
どれがいいかな、と和香は真剣に悩む。
まだ新しい店内は、壁もカウンターも木のいい匂いがしていた。
「あ、デザートもいいですね。
抹茶系の美味しそう」
「食べられそうなら、デザートも食べろ。
……抹茶が好きなのか」
「はい。
そういえば、昔、おばさんが、京都で美味しい抹茶のスイーツを食べたらしいんですが。
ひょっと時間つぶしに入っただけの店だったんで、店名が思い出せないらしいんですよ。
ゴジラに壊される前の京都駅にあった甘味処らしいんですが」
「……あれ、ほんとにゴジラに壊されて、改装したわけじゃないからな。
っていうか、ゴジラが京都壊したの、ずいぶん前の話じゃないか?
お前が言ってんの、ガメラだろ。
いや、ガメラが壊したの、新しい方の京都駅じゃなかったか?」
そこで和香はスマホを取り出すと、すぐに調べ、
「あ、ほんとだ」
と言った。
「新しい方が壊されたんですね。
新築なのに、ひどいですね」
「いや、ほんとに壊したわけじゃないからな、ガメラ……」
「そういえば、私、モノクロのゴジラ見たことありますよ」
「好きなのか、ゴジラ」
「いいえ。
おばあちゃんちで誰かが見てて……」
特に好きでもないのに、何故か、ゴジラとガメラの話がつづいているんだが……。
まあ、話題に困らなくてよかったけど。
それにしても、課長はなんで私を誘ってくれたんだろうな。
やっぱり、送って帰ったからかな、と思いながら、出てきた小さなすり鉢で胡麻をすりながら、揚げ揚げアツアツのトンカツの到着を待つ。
ゴジラとガメラも何処かに消え、二人無心に胡麻をすっていたが、やがて、和香が笑った。
「私、課長の前で、ゴマすってますよっ」
「……阿呆か」
「木の香りと胡麻の香りで、なんだかお寺にいるみたいです」
「寺で胡麻の香りなんてするか?」
「なんかそういうイメージなんですよ。
えーと、胡麻豆腐とか出るではないですか」
精進料理で、と言ったあとで、和香は小首を傾げ、考える。
「あと、もうひとつ、お寺で胡麻関係のなにかありましたよね」
「……まさか、護摩焚きのことか?
あれ、胡麻、放り込んで焼いてるんじゃないからなっ!?」
と言われたとき、トンカツが来た。
揚げたて、サクサクのトンカツだ。
「美味しそうですねっ」
目の前に黒くどっしりとしたお皿に載ったトンカツが置かれる。
耀が溜息をついて言った。
「こんな奇妙奇天烈な女の何処がよかったんだろうな……」
は? とようやく、トンカツから顔を上げたが、耀は、
「いいから、熱いうちに、さっさと食え」
とだけ言う。
熱々のトンカツを食べ終わるごろ、耀が訊いてきた。
「ところで、今日、うちに来るか?」
「えっ? 何故ですか?」
耀が沈黙する。
「うちには来ないのか」
……いや、だから、何故、課長のおうちに行かねばならないのですか。
鍵はもういただいたので、特に用はありませんが、と思いながら、
「はい」
と言う。
「……そうか。
まあ、いつでも来い」
と耀は言った。
なんとなく会話が噛み合わないまま、アパートまで送ってもらった。
課長の車の助手席とか、緊張するな、と落ち着かない和香に耀が言う。
「呑んでもよかったんだぞ」
「え?」
「俺に遠慮して呑まなかったんだろ。
今度は呑め。
揚げたて熱々のトンカツには、やっぱりビールだろ」
今度があるのだろうかな、と思いながら、和香は、
「では、今度は私がおごりますので。
課長も呑んでください」
二人で歩いていきましょう、トンカツ屋、と言って笑った。
「そうか。
まあ、うちから歩いて行けば近いかな。
うちまでは一緒に車で帰ってもいいし。
お前が待ってるのが嫌なら、先に帰って、うちで待っててもいいしな」
「……玄関でしゃがんで待ってるんですか? 私」
寒いですよ、と思いながら和香は言ったが、
「大丈夫だ。
お前の指紋も登録しておく」
と耀は言う。
いやいやいやいやっ。
何故なんですかっ。
「そしたら、俺がいなくても入れるだろ」
課長のいないときに、課長の家に入る用事なんてありませんよっ、と和香は焦る。
「け、結構ですっ」
「なにを遠慮することがある。
俺がいないとき、入れなかったら不便だろう」
「い、いえいえ、大丈夫ですっ。
それに、課長がいらっしゃらないときに入って、課長の大事なものとかなくなったら、私、疑われますしっ」
「別に大事なものなんてない。
ああ、絶版になってる本とかはあるが」
「本は持って逃げませんが。
通帳とか、印鑑とか金塊とかなくなったら……」
「……金塊はない。
っていうか、別に、お前が通帳とか印鑑とか持って逃げても問題ないような」
いや、何故なんですかっ。
あなたの頭の中では、今、なにが起こってるんですかっ、と思ったとき、耀が振り向き言ってきた。
「まさか、なにもなかったことにするつもりか?
お前もそれ相応の覚悟があったから、うちに泊まったんだろう?」
あなたを布団の中に突っ込むのに疲れて、死体のように転がってただけですよっ。
行き倒れて寝るのに、なんの覚悟もありませんっ、
と和香は心の中で悲鳴を上げる。
「俺は適当に女と一夜を過ごしたりはしない。
お前なんぞの何処がよかったのかわからないが、こうなった以上、責任はとるっ」
そう言いながら、耀は和香の両腕をつかんできた。
「いや、こうなったもなにも、なにもどうにもなっていませんっ」
「そんな莫迦なっ。
若い男女が一晩いっしょにいて、なにもないなんてことはないだろうっ」
そのまま耀が顔を近づけてくるので、ひっ、と和香は身を引いた。
「や、やめてくださいっ。
警察を呼びますっ」
「警察を呼んで、なんて言うつもりだっ?」
と問われ、和香は困る。
「……なんて言うんでしょうね?」
自分でも今の状況が理解できていないのに、警察に説明できるとは思えなかった。
耀は和香から手を離して言う。
「まあ、実のところ、俺も事態についていけてはいないんだが」
いないんだ……?
そこで、和香は自分が耀を送っていったときの状況を覚えている限り、詳しく説明してみた。
「というわけで、課長と私の間にはなにもなかったんですよっ」
なるほど、と頷いてくれたので、ホッとしたが。
「だが、俺が自分で鍵を開け、お前を自宅に招き入れたことが気になる。
そもそも、俺はそう簡単に人を家には入れないタイプだ。
そのままお前に連れてってもらって、寝室に行くだなんて。
俺はお前のことが好きなんじゃないだろうか」
と耀は言い出す。
いや……単に早く寝たかったんじゃないんですかね?
「ともかく、なにか気になるから、しばらくお前と過ごし、お前と、お前といるときの俺を観察してみよう」
そんな冷静な判断ができる時点で、そこに愛とか恋とか、なさそうなんですけど……と思いはしたが。
逆らったら怖そうなので、仕方なく、はい、と頷いた。
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