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月曜日。
病院の受診では、妊娠経過は順調で少しづつ体も回復しているとの診断。
さすがにまだ栄養失調状態があるため長距離の移動は無理だけれど、ゆっくり過ごせば入院の必要はないらしい。
「大分回復しているみたいで、よかったわね」
「はい」
予定より早い時間に来てくれた琴子さんに、診察室での説明も同席してもらった。
琴子さんはメモを取りながら食事や日常生活の注意などを聞いていた。
「じゃあ行きましょうか」
琴子さんに荷物を持ってもらいタクシーに乗り込む。
車は都内を走って30分ほどで一件の民家に到着した。
「ここですか?」
「ええ」
お家は古民家風の日本家屋。
小さな庭があり子供用の三輪車やおもちゃも見える。
古いけれど立派な門があり、周囲は緑に覆われている。
「今は三人の女性とスタッフが二名がここに住んでいるわ」
「はあ」
琴子さんに続いて玄関を入ると長い廊下があって、九州の実家を思い出させるような造りだった。
「ここが芽衣ちゃんの部屋ね」
「はい」
案内されたのは六畳ほどの和室。
ベットがあり、庭を見渡せる明るい部屋。
「荷物を置いて少しゆっくりなさい。疲れたでしょう?」
「いえ、大丈夫です」
「後で声をかけるから、みんなへの紹介はそのときね」
「はい」
荷物を置き、カーテンを開け、色々とお世話してくださる琴子さんにお母さんみたいだななんて思いながら私は庭を眺めていた。
***
「彼女は芽衣さん。妊娠三か月の妊婦さんです」
夕食の時に琴子さんから紹介され、私も
「よろしくお願いします」
と頭を下げた。
「芽衣さんの体が回復するまで、二週間くらいここにいてもらうことになりました。短い時間だけれど、仲良くしてあげてね」
「「はい」」
今日の診察で、あと二週間くらいすれば九州までの移動も可能になるだろうとの診断が出た。
それまでは、ここにお世話になることになる。
「私、加奈子です。妊娠六ヶ月」
「私はマリア。八ヶ月です」
同じ家に暮らすのは、三十歳くらいかな私より少し年上に見える加奈子さんと、中学生にしか見えないマリアさん。
加奈子さんはパートナーのDVから逃げてここにいるらしい。
マリアさんは・・・詳しいことは教えてもらえなかったけれど、もう中絶のできない時期の妊娠で出産とともに養子縁組になる予定だと聞いた。
みんなそれぞれ事情を抱えている。
ブブブ。
あっ。
母さんからの着信。
「ちょっとすみません」
ちょうど夕食が終わっていた私は部屋に戻って母さんからの電話に出ることにした。
***
「もしもし」
「もしもし芽衣、あなたどこにいるの?」
「えっと・・・」
困ったなあ。
母さんはどこまで知っているんだろう?
「母さん、あのね」
「勤めていた会社を辞めたの?」
「ぅ、うん」
「荷物を送っても戻ってくるし、あなたは電話に出ないし、心配になって会社に電話したら辞めたって言うじゃない」
ああ、会社って三ツ星のことかあ。
そう言えば、父さんにも母さんにも何も話していなかった。
「ごめんね。事情があって辞めたの。アパートも引っ越しして新しい仕事を探したんだけれど、うまくいかなくて」
「そんなことならさっさと帰ってきなさい」
そうだよね。
初めからそうすればよかった。
「こっちで片付けたい用事もあるし会っておきたい友達もいるから、あと二週間くらいで帰るわ。詳しい事情はその時話すから」
「そう、じゃあ待っているから」
「うん」
こんなことになってから母さんを頼るようで申し訳ないけれど、今の私には実家に帰ってやり直すしか方法がない。
「ごめんね。母さん」
「バカね。いいから早く帰ってきなさい」
母さんのことだから何か気が付いたのかもしれない。
それでも何も言わず電話を切ってくれたことがありがたい。
トントン。
「芽衣ちゃん?」
廊下から琴子さんの声がした。
「はい」
ドアを開けると帰り支度をして鞄を持った琴子さんがいた。
「これで私は帰るわ。また明日様子を見に来るから」
「ありがとうございます。でも、私は大丈夫ですから」
「いいのよ。私が気になるだけだから」
きっと琴子さんだって忙しいだろうに、私にばかり時間を使わせては申し訳ない。
その後も「私は大丈夫ですから」と繰り返したけれど、琴子さんは「また来るわ」と帰っていった。
***
翌日も、その翌日も、短い時間ではあっても必ず顔を見せてくれる琴子さんは、私の受診にも付き添ってくれて本当のお母さんのように世話をしてくれる。
「琴子さんって、すごいですね」
いつものように顔を出して、一人一人に声をかけて帰っていく琴子さんを見ながらついつぶやいた。
「琴子さんもお父さんの顔を知らないんですって。だから、赤ちゃんとお母さんを守る活動に熱心なのよ」
私より長くここにいる加奈子さんが教えてくれた。
「じゃあ、琴子さんのお母さんもシングルマザー?」
「そう。そのお母さんも琴子さんが三歳の時に亡くなって、おばあさんに育てられたって言っていたわ」
そうか。琴子さんは苦労人なんだ。だから、こんな活動をしているのね。
加奈子さんの話を聞いて納得した。
「平石財閥ってそういう結婚が多いんですってよ」
え?
「そういうって?」
私は加奈子さんの顔を見つめた。
「だから、お金持ちってどこかのご令嬢と政略結婚する人が多いじゃない。でも平石財閥の人は身分なんか関係なく大恋愛で結婚する人が多いんですって」
「へぇー」
ちょっと、耳が痛い。
「琴子さん自身もそうだし、少し前に話題になった平石建設の副社長も子持ちのシングルマザーと結婚したって騒がれていたじゃない」
「そういえばそんな話題がありましたね」
まだ私が学生の時だけど、記憶にある。
確か同じタイミングで平石本家の長男と宮家との結婚があって・・・そうか、平石本家の長男って奏多のお兄さんだ。
「色々と騒がれて、お金持ちも大変ね」
「ですね」
この時の私は他人事としか思っていなかった。
***
シェルターにやってきて十日が過ぎた。
私の体も大分回復し、九州の実家への移動許可も出た。
約五年住んだ東京を離れることに未練がないわけではないけれど、ここにずっといることもできず他に選択肢はない。
「九州へ帰るの?」
「はい」
病院で検診を受けた帰り、琴子さんとカフェに入った。
琴子さんの行きつけらしい小さなカフェ。
オレンジジュースと小さなケーキを注文して、私は琴子さんと向かい合った。
「やっぱり、一人で育てるの?」
「そのつもりです」
未来のある奏多の負担にはなりたくない。
「九州のご両親には?」
「まだ何も」
帰ってから叱られようと覚悟している。
「誰が何を言っても、生みたい気持ちと一人で育てる決心は変わらない?」
「はい」
どんなに止められても中絶する気はないし、一人で育てる決心をした。
「それだけ覚悟しているんならもういいわ。でも、人生の先輩として少しだけ厳しいことを言わせてもらうわね」
「はい」
驚いた私は、姿勢を正して琴子さんを見た。
***
「あなたは母親だからお腹の子に責任があると思うわ。一生懸命育てないとって気持ちも理解できる。でもね、子供は子供で一人の人間なの。あなたが勝手に父親を奪う権利はない」
「え?」
「一緒にいたくないとか、事情があって妊娠を告げることができないこともあるだろうけれど、芽衣ちゃんの場合は違うんじゃないかしら?」
確かに、私の場合はDVでもないし、人に言えないような不幸な妊娠でもない。
私は奏多を愛していたし、好きだから妊娠した。子供にもちゃんとそう伝えるつもりでいる。
「私自身父親が誰か知らないから言うのよ、結婚するのが嫌でも妊娠は伝えるべき。その上で、芽衣ちゃんが一人で育てるっていうなら私は反対しないわ」
「琴子さん」
琴子さんはきっと、おなかの子の父親が奏多だと気づいている。
わかっていて、妊娠を告げづに逃げるのは卑怯だと言われているんだ。
「彼の負担になりたくないんです」
自分の素直な気持ちを口にしてみた。
「バカね、何で負担なんかになるのよ」
「だって・・・」
気が付いたらボロボロと涙が頬を伝っていた。
***
「2人で話せるように場所をセッティングするから、一度会いなさい。そこで芽衣ちゃんの気持ちを伝えてこれからのことを話すといいわ」
「・・・」
なぜだろう、素直に「はい」の言葉が出てこない。
「会わないとダメですか?」
「イヤなの?」
うぅーん。
きっと、会ってしまえば気持ちが止まらなくなりそうでそれが怖い。
「ちゃんと静かに話せて、2人っきりにならないところを用意するから」
「でも・・・」
奏多にはお見合いの話もあるはずだし、今私が現れても迷惑かもしれないのに。
「芽衣ちゃん、赤ちゃんのためにもちゃんと話をしてきなさい」
いつになく厳しい口調の琴子さん。
「・・・はい」
私は渋々返事をした。
結局、押し切られる形で奏多と再会が決まった。
日時は三日後。
翌日には実家に帰る予定があり、東京最後の日に奏多と会うことになってしまった。