テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「旦那様、三年目の結婚記念日──今日から七日後に離縁させていただきます」
「……は」
「七日後であれば白い結婚として成立しますし、問題ありませんでしょう」
「なっ……」
これは公爵夫人よりパティシエールになる夢を叶えるため、旦那様との決別の言葉だ。白い結婚で、王命だったのだから、旦那様も喜んでサインしてくれる。
そう思っていた。
旦那様が口を開くこの瞬間までは──。
***
「美味しい。パイはサクサクで、クリームチーズがまろやか。奥様、とっても美味しいです」
「ふふっ、そう。ならよかったわ」
公爵家の厨房で公爵夫人らしからぬことをしているとは自覚していた。金髪のふわふわした髪に、林檎のような赤い目。美人ではなく幼い感じの見た目がもう少しグラマーだったらな、と思う公爵夫人である。
(夫人のような落ち着きが必要なのだろうけれど……菓子作りは止められないわ)
「旦那様も喜びますよ」
「そ、そうだと良いけれど」
気を利かせてフォローしてくれる使用人たちに、淑女らしい笑顔を返す。夫が喜ぶなど存はしないと分かっているからだ。
そしていつか来ると思っていた日は案外早かった。
***
「旦那様。お話をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ」
いつもの代わり映えのしない毎日。
会話はするけれど、旦那様と目が合うことは殆どない。無愛想な夫は仕事が忙しく、常に書類に目を通しながら片手で摘まめるようなサンドイッチなど軽食ばかりを口にする。味わって食べることなど一切しない。常に無駄を省いた秒単位で生きているような人だ。
王国財務総括大臣。
それが私の夫ドミニク・オーケシュトレーム様。今年で二十六歳になるのだけれど、貫禄がすでに二十代とは思えない。一睨みで国王様も震え上がるという財務総括の鬼。悪魔。冷血人間などと言われているけれど、それは屋敷でも同じだった。
「旦那様、その……以前からお話ししていたお菓子専門店の事業なのですが」
「ダメだ」
「ま、まだ何も」
「君が珍しい菓子を考案するのはいい。事業にするのも認める。屋敷内で作るのなら構わないし、お茶会で提供するまでなら妥協もしよう。だが公爵夫人である君自身が作った物を、売り出すのだけは許可できない」
「──っ」
眉一つ動かさずに淡々と告げる。確かに公爵夫人らしからぬ提案かもしれない。でも前世からの夢だったのだ。
(パティシエールとして独立する直前で過労死したけれど……今度こそ夢を叶えたい)
転生したら伯爵令嬢として育ったものの、両親は菓子作りに肯定的だったのでパティシエールになるのも応援してくれた。宮廷菓子職人を目指していたのに、王命のせいで婚約が取り決められて、私は公爵夫人になるしかなかった。
貴族としての義務。
結婚は決定事項だったから受け入れた。
(でもそれは、菓子作りを侯爵が許可してくれたから……)
女主人としての仕事に手を抜いたことはなかった。貴族として、公爵夫人として責務をこなして──。そうやって愛のない白い結婚も、今年で三年目に入る。
最初はお菓子作りができて楽しかった。素晴らしい調理場で、嬉しかったのを覚えている。
でも夫との関係は冷え切っていて、お菓子作りに没頭していくうちにお店を出したい欲が出てしまった。
(……夫婦関係が冷え切っていなければ、子供もいれば夢を諦めて毎日のお菓子を作り、お茶会に提供する程度で満足できていた気がする)
つまるところ私が公爵夫人であることに、メリットを考えられなかったのだ。
義務でしかない役割。
息が詰まる食事。
制限ばかりの生活の三年は長すぎた。
「……ではどうあっても旦那様は、私がパティシエールになるのは反対なさるのですね」
「ああ」
いつもと変わらない言葉の応酬。
何度、頼んでも下りなかった許可に、私は目を伏せた。
(妥協して、折衷案を見せてくれるのなら応じるつもりだった──でも、答えは変わらなかったわね)
公爵夫人として何不自由のない暮らしをさせて貰った。高貴な身分でありながら、菓子作りなど取るに足らない道楽だと言いたいのだろう。でも、私にとって菓子作りが生きる楽しみなのだ。
感情的な衝動を何とか堪えて、小さく溜息をこぼす。
「わかりました」
「……そうか」
(こうやって制限を付けるのも、領地や屋敷のことを丸投げも私を追い出すため……。もっと早く気づけばよかったわ。私がここに居ては、愛人を迎えるのの面倒でしょうし……)
旦那様は私を一瞥することなくカップを手に取り珈琲を口にする。
「では三年目の結婚記念日──今日から七日後に離縁させていただきます」
「……は」
「七日後であれば白い結婚として成立しますし、問題ありませんでしょう」
「………」
旦那様は驚くほど目を丸くして、カップを傾けてテーブルに珈琲をぶちまけていた。しかしそんなことに目もくれず私を見返す。
(旦那様と目があったのは、いつぶりかしら)
美しいプラチナの長い髪、銀縁の眼鏡、瞳は鋭くも美しいエメラルドグリーン色で、端整な顔立ちなのだが、無表情だと恐ろしく見える。狙われた獲物の気分だわ。
肌を刺すような威圧に耐え、今までの鬱憤を口にする。そう、私にだって妻としての矜持ぐらいはあったのだ。先に関係悪化を招いたのは旦那様なのだから──。
「週末は屋敷に戻らず、娼館に足繁く通う女性がいるのでしょう。平民ならその方を一度貴族の養子にして結婚すれば、角も立ちませんでしょう」
「…………」
(ここまで言っても何も言わないなんて……)
会話する気も起きないってことよね。でも切り出した以上、覚悟を決める。
「旦那様がなんと言おうと、私はパティシエールとして菓子専門店を出します。私は我慢して旦那様のは外で好き勝手なさっているのですもの、文句は言わせませんわ!」
「……」
「私の邪魔する旦那様──ドミニク様は、敵ですわ! 離婚調停で揉めようと絶対に、私は離縁してみせますから!」
もう最後はヤケクソで、言い切って部屋を出た。旦那様は固まったままで、席を立とうとする動作も見せず、私を呼び止めることなどしなかった。ホッとしたのが半分で、残りは落胆や悲しみや言い表せない感情でいっぱいになる。
(これで旦那様の希望した展開になったでしょうね)
これが現実なのだと受け止めて、唇を噛み締めた。涙で視界が歪んだけれど、意地でも泣かなかった。
白い結婚。
百年ほど前から教会が離縁条件を改定した。
その条件は結婚して三年以上、夫婦の契りがなく子供ができなかった場合に認められること。
今までこの国で離縁者が少なかったのは、神獣の血を色濃く受け継いだ番婚制度を取り入れていたからだ。
貴族は基本的に政略結婚だが、幼少期に親同士で決める前に国中の幼い男女を集めて遊ばせる。そこで当人同士が早々に婚約者──つまりは伴侶を見つけ出していた。番紋を刻むことで伴侶との絆を深め合い、仲睦まじい夫婦になるとか。
しかし神獣の血も薄れ番制度は廃止。その頃、貴族内の階級格差が開き、親同士が勝手に婚姻を決めることが当たり前になっていた。その結果、政略結婚で離縁という逃げ道がないことで、暴力や流血沙汰が増えていったそうだ。
決定打だったのは、神獣の始祖返りによる惨劇だった。
稀に成長過程から大人になって始祖返りする者がいるという。結婚後に神獣の始祖返りしたのだが、伴侶ではないと妻を拒絶してしまう。妻は心の病にかかり、始祖返りした男は離縁ができないことに激昂。最終的に一家惨殺の事件があったことで、白い結婚が認められたのだ。
そんな背景もあって離縁が貴族にとって醜聞ではあるものの、表立って貶すなどの発言はタブーになっている。
(百年前に転生しなくて良かったわ。そこだけは感謝ね)
浮気、DV、冷え切った家族関係を続けるよりも、お互いに幸せになる道があるのならそうすべきだと思う。前世での記憶と知識、価値観があることで私自身、離婚に対してそこまで悪い印象はない。
貴族として生きていくなら確かにデメリットは大きい。けれど離縁した段階で、私は遠方の貿易国に移住し市井に身を落とすつもりだ。
(貴族らしい生活は合わなかった。愛もなく義務と忙殺しそうな仕事量、しがらみとか世間体を気にする息の詰まるような生き方よりずっと楽だもの)
商人として個人事業名義もあるので、生きていく分には余裕もある。両親も私の置かれている状況を話したら憤慨して、離縁に賛成してくれた。「家に戻ってきても良いんだぞ」と言って貰えただけで嬉しかった。
(私は家庭に入るよりも、バリバリ働くほうが合っているのだわ。それに出資しても良いという友人もいるのだ。うん、大丈夫よ)
結論づけて荷造りを侍女たちに任せた。持ち物はドレスや宝石よりも蔵書の方が多く、思ったよりも時間が掛かりそうだ。
(荷物の大半は実家に送るけれど、その間に私は最短距離で国を出る。幸いにも執事長のロータスは明日戻るのだから、それまでに何とかしてしまいましょう)
その考えが甘かったことを私は思い知るのだった。
あさぎかな
1,021
#身分差
あさぎかな
274
コメント
1件
うわあ、面白かった!主人公が「七日后に离縁します」と宣言するシーン、旦那様が珈琲ぶちまけるほど動揺したのがツボでした。普段冷徹な財務総括大臣がまさかあんな反応するとは…何か隠してる感がすごい。白い結婚の世界観や転生設定も自然に溶け込んでいて、読みやすかったです。続きが気になります! (198字)