『ロウェルの森』の木々は夏特有の青々とした葉に彩られているが、静まり返っていた。それは森の主であるブラッディベアを筆頭に多数のアーマードボア、アーマーリザードが森を追われた故である。
その森へ足を踏み入れたのはマリア=フロウベル侯爵令嬢。『聖女』と名高い慈愛に満ちた少女である。彼女は普段持ち歩かない杖を手に持っていた。それは天秤のような形をしており、『聖光教会』で上位者のみが持ち歩くことが出来る代物である。
そして彼女の周囲を取り囲む者達が異質さを現していた。すなわち魔物やそれを率いる魔族達である。
「お嬢様、気配が少なく感じます。おそらく、獣王によるものと思われます」
側に控えるは西洋鎧。デュラハンのゼピスである。周囲は同じく西洋鎧が固め、何人もマリアへと近寄らせない腹積もりであった。
尚、『聖女』親衛隊と揶揄される蒼光騎士団はマリアの強い説得により留守を任されていた。
「ええ、強い気配を感じるわ。これが獣王の気迫なの?」
静かな森を見渡しながらマリアはゼピスに問い掛ける。それに対してゼピスは膝をついたまま答える。
「我らからすれば涼しいものでございますが、お嬢様におかれましては慣れぬものと愚考致します。ご無理はなさいませぬよう。いざとなれば犬コロ風情、我が両断して見せましょう」
「先ずは対話よ、ゼピス。血を流さずに済む道があるなら、私はその道を選びたいの」
「お嬢様の御意のままに。しかしながら、我らが危険と判断した場合は手を出させて頂きます。ご了承を」
マリアの意思を尊重しつつ、ゼピスはマリアの身辺警護として譲れない一線を提示する。
「そうね……そうならないことを祈るけれど、無防備にただ殺されるつもりもないわ。その時はお願い」
「はっ」
二人が話していると、空を飛ぶグリフィンの内一際大きな個体が降下してくる。着地寸前にグリフィンは光に包まれ、茶髪隻眼の青年に姿を変える。
彼はグリフィン族を率いており、マリアからダンバートの名前を授けられている魔王軍の幹部である。
「お嬢様、お待たせ。ゼピスも」
「ご苦労様、ダンバート」
「戻ったか、友よ」
降り立った青年をマリアとゼピスが労う。彼はグリフィン族を率いて『ロウェルの森』やシェルドハーフェン近辺を偵察していたが、今回マリアが直接『ロウェルの森』へ乗り込むと耳にして、馳せ参じたのである。
「ダンバート、首尾はどう?何か知らせはあるかしら?」
「あー、それなんだけどさ……お嬢様、良い知らせと悪い知らせがあるんだけど」
ゼピスが用意した椅子にマリアを座らせたダンバートは歯切れが悪い。
その間ゼピスは死霊騎士団に周辺の探索を命じて『ロウェルの森』における拠点の設営を急がせた。
「じゃあ、良い知らせからお願い」
作業を眺めながらマリアはダンバートに報告を促す。
「お嬢様が迷ってた魔物については、あんまり気にしなくて良さそうだよ。この森にはほとんど魔物が残っていないからさ」
「待って、それだと悪い知らせは」
「そう、もうスタンピードは起きてる。ブラッディベアを中心にざっと四百が北上したみたいだよ」
「それじゃあ意味が無いじゃない!町が壊滅したら、私は何のためにここまで来たのかわからないわ!」
マリアは立ち上がりながら叫ぶ。犠牲を最小限に留めるために来たのだ。これでは意味がない。それを見てダンバートは困った笑みを浮かべる。
「落ち着きなって、お嬢様。話はまだ終わってないよ?」
「落ち着けると!?」
「その群れなんだけど、シェルドハーフェンの南にある小さな町があるよね?そこの連中が食い止めてるよ。それも、結構良い感じにさ」
それを聞き、マリアは勢いを止める。
「南の町……黄昏だったかしら。そこの人たちが善戦してるの?」
「ああ、凄いぜ?たくさんの鉄砲と、大砲だっけ?それを並べて、地面に穴を掘ってた。それに、動く鉄の箱もあったよ。まるでお嬢様がいつも言ってるような景色だったな」
ダンバートの話を聞いて、マリアも驚愕を露にした。
「地面の穴、多分塹壕。それに鉄の箱……戦車?その町は『ライデン社』が作ったのかしら?『帝国の未来』に書かれてた内容にそっくり」
「そこまでは分からないけどね。一応手下に見張らせてるけど、あのままいけば勝てるんじゃないかな。少なくともお嬢様が心配してるようなことにはならないと思う」
「そう……分かったわ。何かあったら直ぐに教えて」
ダンバートの言葉に安堵したマリアは、目の前の問題に注視することにした。
「もちろんさ」
ダンバートから報告を聞いたマリアは静かに立ち上がる。周囲が少し騒がしくなったためである。
マリアは直ぐに野営地設営を指揮していたゼピスに声をかけた。
「ゼピス、何事?」
「どうやら客人のようです。友好的とは思えませぬが」
「会いましょう」
マリアがダンバート、ゼピスを伴って陣幕を出るとそこには狼の頭を持つ獣人が立っていた。
腕を組み眼光鋭く、明らかに好意的な態度ではなかった。
「落ち目の魔族風情が何をしに来た?ピクニックをするにしても、ここには怖ぁい魔物がたくさん居るぞ?」
「なにぃ!?」
「貴様!」
「待ちなさい」
いきり立つ魔族達にマリアが声をかけながら前に歩み出る。
「突然の来訪、お許しを。私達は悲劇を回避するために訪れた一団です。敵対の意思はありません。獣王様との面会を望みます」
笑みを浮かべて語りかけるマリアに対して、獣人は首をかしげる。
「なんだぁ?何で魔族の集団に人間の雌が居るんだ?なんだ?娼婦でも連れてやがるのか?」
「あ?」
獣人の言葉にダンバートが前に出ようとするが、マリアがそれを制する。
「私はこの一団を率いるマリアと申します。どうか、獣王様にお取り次ぎ願えませんか……?」
マリアは侮辱を気にせず話を続ける。その姿勢を見て周りの魔族達も怒りを抑えるが、獣人の言葉はその努力を無駄にした。
「ははははははっ!人間が指導者だぁ!?どこまで落ちぶれてるんだよ魔族ぅ!ははははははっ!」
嘲笑を隠そうともしない獣人。魔族達はマリアのためにぐっと堪える。
「よしよし、笑わせてくれた礼だ。獣王様はお忙しいからな、俺が代わりに相手をしてやるさ。その白い肌で俺を満足させたら、紹介くらいは……」
だがそこから先の言葉を口にすることはなかった。眼にも留まらぬ早業で素早く抜剣したゼピスの剣が獣人の首を撥ね飛ばしたのである。下衆な笑みを浮かべたままの首が宙を舞い地面に落下すると、首を失った胴体も血飛沫を上げながら倒れた。
その光景を目の当たりにしたマリアは、眼を見開いてゼピスを見る。
「ゼピス!?」
「申し訳ございません、お嬢様。しかしながら、これが獣人なのです。自分達を至高の存在と過信し、他の種族を見下す。このままでは埒が明きませぬ。獣王と会うことを欲するならば、押し通るしかありませぬ」
「俺もゼピスに賛成。いや、皆も同じ気持ちさ。お嬢様を大切に思ってるんだ」
ダンバートの言葉に魔族達も力強く頷く。
「……ありがとう。出来れば血を流したくはなかったけれど……獣王と会います。皆、力を貸して」
マリアもまた力強く頷き、そして獣王が居るであろう森の奥を見据えた。
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