テラーノベル
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「……い、今……何て?」
「玲奈」
聞き間違いではなかった。男は確かに、私の本名を呼んだのだ。
「どうして、私の名前を?……もしかして以前、どこかでお会いしましたか?」
営業スマイルを保ったまま首を傾げる。
「こんな印象的な方を忘れるとは思えないんですけど……」
(マジで記憶にない……)
(とりあえず、褒めとけ!)
男はしばらく黙っていた。
(何、この空気……)
(冷凍庫? このままだと凍死するんだけど)
「本気で言ってる?」
「え?」
男はグラスをテーブルへ置いた。コトン、と小さな音が、静かな部屋に落ちた。
「……14年」
「……じゅうよねん?」
「それだけ経ったら、顔まで忘れたのか」
心臓が、もう一度大きく鳴った。
(……14年?)
私が13歳だった頃。目の前の男は、どう見ても20代半ば。なら、当時は11歳くらい。
(何か、とんでもなく嫌な予感がする)
その目。少しだけ不満そうに細める癖。昔、何度も見た。
私が取り繕った時。誤魔化した時。平気なふりをした時。何も言わずに、じっとこちらを見つめていた――。
「……あ」
記憶の底で、パズルのピースがカチリと噛み合った。
「……もしかして」
まさか。
「……慧?」
グラスへ伸びかけていた手が、ぴたりと止まる。
「気づくのが遅い」
「え」
(待って待って待って!)
(マジで、あの慧なの!?)
二つ下の学年だった幼馴染。昔は、もやしみたいにひょろっと細くて。私よりずっと小さくて。公園へ行けば、犬みたいに後ろをついてきた。
『もう遊ばない』
なんて、ちょっと意地悪を言えば。すぐ目に涙をためて、ぼろぼろ泣いていた――。あの、泣き虫?
私は目の前の男を、上から下まで凝視した。仕立てのいいスーツ。黙っているだけで、こっちを圧倒するような存在感。
「……嘘でしょ」
「何が」
「いや、全部よ!」
仕事中であることも忘れ、失礼すぎる一言が飛び出した。
「あんた……あの泣き虫ワンちゃん!?」
慧の眉間に、深い皺が刻まれる。
「……その呼び方はやめろ」
「あ、やっぱり!」
「今ので確信するな」
「だって、その怒り方、昔と同じ!」
「久しぶりに会って、確認するところがそこか?」
(……やっぱり、慧だ)
そう思った途端。さっきまで張り詰めていたものが、嘘みたいに消えた。その代わり――別の意味で心臓が跳ねる。
(いやいやいや!)
(ワンちゃんが、なんでこんなイケメンになってんのよ!?)
不覚にも、ときめいた。それを認めるのが癪で、テーブルのボトルへ手を伸ばす。
「ほんっと、変わったわね」
「お前は変わってないな」
「どこが?」
「昔から、俺にだけ扱いが雑すぎる」
「え、普通だけど?」
「どこが」
「だって、あんたは二学年も年下でしょ」
「今でもそれで押し通す気か?」
「年下は一生年下ですー」
「……腹立つな」
グラスへ酒を注ぎながら、平静を装う。
「とりあえず、乾杯する?」
「いらない」
「じゃあ、何でこんなところに来たのよ。わざわざバカ高いお金を払ってまで」
「用があった」
「接待とか?」
「いや」
目が合う。
「お前に」
「……私?」
酒を注ぐ手が、ぴたりと止まった。
「は? 何それ」
「そのままの意味だ」
「……ていうか、そもそもなんだけど」
ボトルをテーブルへ戻す。
「何で私がここにいるって分かったの?」
「苗字、変わってただろ」
「……は?」
「見つけるのに手間取った」
「ちょっと待って。何で、私の苗字が変わったことまで知ってんの?」
「調べた」
「怖っ!」
反射的に声が出る。
「久しぶりに会った幼馴染が、こっちの家庭事情まで知ってたら、普通に引くでしょ!」
「見つからなかったんだから、仕方ない」
「仕方ないで済ませるな!」
(つまり……私を探してたってこと?)
いや。待って。
(顔は死ぬほどいいくせに、中身はだいぶヤバいことになってない!?)
ささっとソファの端へ移動し、一人分きっちり距離を取る。
「何だ」
「べ、別に」
「今、引いただろ」
「……気のせいじゃない?」
「嘘つけ」
「……それで?」
頬杖をつき、慧をじろりと睨んだ。
「わざわざ昔の幼馴染を探して、高いお金を払ってVIP席に座って。昔話がしたかったわけじゃないでしょ?」
「話が早くて助かる」
慧が、ソファ脇の鞄へ手を伸ばした。
「簡単に言えば、取引だ」
「……取引?」
「ああ」
「私と?」
「お前と」
「何それ」
思わず笑いが漏れた。
「悪いけど、こう見えて昼は一応ちゃんとした会社員なの。怪しい儲け話なら、ほかを当たって――」
席を立とうとした、その時。
「玲奈」
「……何」
さっきまでの軽口が、消えていた。
「俺と結婚しろ」
「はああああ!?」
(こいつ、どうかしてるんじゃない!?)
「聞こえなかったか」
「いや、めちゃくちゃ聞こえたから!」
くらくらする頭を押さえる。
「聞こえたから困ってるの!」
「そうか」
「そうか、じゃない!」
これまでの経緯を、脳内で高速再生する。
久しぶりに幼馴染と再会。昔の泣き虫ワンちゃんが、色気ダダ漏れのイケメンに進化。私を探すために、家庭事情まで調査。そして、再会早々。『俺と結婚しろ』。
(展開がジェットコースターすぎるでしょ!)
(こっちはシートベルトすら締めてないんだけど!?)
「ちょっと待って」
「何だ」
「私たち、今日何年ぶりに会った?」
「14年近く」
「そうじゃない!」
思わずテーブルを叩く。
「再会してどのくらいよ!?」
慧が腕時計へ視線を落とした。
「15分くらいか」
「そこ細かく確認しなくていいから!」
「お前が聞いたんだろ」
「そうだけど!」
駄目だ。昔からそうだった。こっちが感情的になればなるほど、慧は妙に冷静になる。しかも今のこいつは――。
(……めちゃくちゃ顔がいい)
(騙されるな、私!)
「とにかく」
一度、大きく深呼吸した。
「悪いけど、私、今は結婚願望ないから」
「知ってる」
「……は?」
「恋愛も当分いらないんだろ」
「何でそんなことまで知ってんの!?」
普通にドン引きである。
「全部じゃない」
「どこまで知ってんのよ!」
「必要な範囲」
「その“必要”の基準を今すぐ説明しなさい!」
(何、この新手の不審者……)
「勘違いするな」
「何を?」
「必要なのは、形だけだ」
「……形だけ?」
慧は鞄から、数枚の書類を取り出した。その下には、どう見ても本物の婚姻届。
「何、それ」
「契約書と婚姻届」
「……まさか、本物!?」
「当然だろ」
「何が当然なの!?」
(怖い怖い怖い!)
(幼馴染じゃなかったら、今すぐ黒服を呼んでつまみ出してもらってるわ!)
「簡単に言えば、契約結婚だ」
「……契約結婚?」
「ああ」
恐る恐る、書類へ視線を落とす。
「期間は?」
「一年」
「……一年?」
「ああ」
慧は、天気の話でもするような顔で続けた。
「報酬は、1000万円だ」
「いっせんまんえん!?」
コメント
1件
わあ、14年ぶりの再会でいきなり契約結婚!? しかも報酬1000万円って…心臓がバクバクしちゃいました🫀 玲奈のツッコミが軽快で、慧のギャップ(泣き虫ワンちゃん→イケメンCEO)に私も一緒にときめいてしまいました。でも「調べた」って…何か事情がありそうで、続きが気になります! 次話も楽しみにしてますね🌷