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#山中柔太朗
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「ねぇはやちゃん、これどうする?」
「あー、こっちの資料参考にしてほしいかも。この患者さん、この症状と似てて…」
ナースステーションで柔太朗と話していた勇斗は、柔太朗が背を向けた瞬間に顔を歪めた。
みぞおちを直接ナイフで抉られるような激痛。
波のように押し寄せる強烈な胃の痙攣に、思わずお腹を抱え込みそうになるのを気合いだけで踏みとどまる。
ここ最近の過密スケジュールと急患の連続。
最年長として自分が崩れるわけにはいかないと、一人でプレッシャーを呑み込み続けた結果だった。
額からじわっと溢れる冷や汗を拭い、荒くなりそうな呼吸を殺す。
大丈夫、気の持ちようだと言い聞かせた直後、喉の奥から一気に熱く鉄臭い液体が込み上げてきた。
ゴクンと無理やり呑み込もうとしたが、抑えきれる量ではない。
口内に溢れてくる感触に恐怖が走る。
ここで吐いたらみんながパニックになる。
そう思った勇斗は、席を外すとだけ短く告げ、口元を手に押さえて足早にステーションを離れた。
向かったのは、廊下の突き当りにあるめったに人が来ない旧処置室だ。
「っは、!あ゙、い゙っ、ぁ、た、っ!」
バタンとドアを閉め、震える手で鍵をかける。
その瞬間、ついに糸が切れたようにガクンと床へ崩れ落ちた。
抑え込んでいたものが一気に決壊し、激しく咳き込むと同時に、大量の鮮血が手から溢れて床にぶち撒けられる。
「っ、は、い゙、っぁ、はぁ、あ゙、なっ、血……?」
急性ストレス潰瘍による大量吐血。
激痛でお腹を抱え、何度も咳き込むたびに吐き出される真っ赤な血と、真っ赤に染まった両手を見て、脳内が一瞬でパニックに陥った。
「ふ、ぁ゙、ど⋯⋯し、っふ、は、っ!い゙ぁ゙!」
過呼吸気味にヒューヒューと喉が鳴る。
助けを呼びたくても、恐怖と血の匂いで喉が詰まり、声が出ない。
冷たい床に体を丸め、震える手でポケットからスマホを取り出すのが限界だった。
「っ、はー、っ、ひゅっ、!ぅ、い゙、だ、ぁっ…!!」
画面すらまともに見えない霞む視界の中、一番上の人をタップし、スピーカーにして床に転がした。
ナースステーションでカルテをチェックしていた仁人のポケットで、スマホが振動した。
画面を見ると、勇斗からの着信。
さっきまで近くにいたはずのあいつから、なぜこのタイミングで電話が来るのか。嫌な予感がしてすぐに通話ボタンを押した。
「はい、吉田です。どうしたの勇斗」
応答しても、聞こえてくるのは返事ではなく、荒く引き攣った呼吸音だけだった。
そして、かすかに漏れる苦しそうな喘ぎ声。
「……勇斗? おい、どこにいる」
電話の奥から、受話器越しにコンクリートの反響音がかすかに聞こえる。
ステーション近くのトイレでもない。
病棟の奥、あのめったに人が使わない旧処置室の方向だ。
さらに、電話の向こうからカツンと金属が当たるような低い音が響き、仁人の脳裏でピースが繋がった。
「勇斗のやつ……!」
仁人はカルテをデスクに叩きつけ、白衣をなびかせて廊下を全力で走った。
旧処置室の前に辿り着くと、ドアノブは固く施錠されている。電話は繋がったままだ。
「勇斗! 中にいんのか! 退がってろ!」
仁人はポケットから非常用のマスターキーを取り出し、鍵穴に突っ込んで強引に回した。
「っ、はやと!」
「あ゙、い゙だ、っ!ひっ、ぁ、はっ!!い゙っ」
ドアを力任せに押し開けた瞬間、仁人の視界に飛び込んできたのは、床に倒れ込み、大量の血の中で激痛にお腹を押さえて震えている勇斗の姿だった。
一瞬で血の気が引く。
だが次の瞬間、プロの外科医としてのスイッチが強制的に入った。
ストレスで胃をやられた吐血。
仁人は迷わず駆け寄り、血に濡れた床に膝をつくと、震える勇斗の肩を力強く抱き上げた。
「息吐け、吐くんだ!」
「あ゙、っ……じ、……い゙あ゙っ!!」
「息止めんなよ、!」
自分の服が血で汚れることなど一微塵も気にせず、仁人はパニクる勇斗をしっかりと抱きかかえ、その背中を力強くさすった。
極限の痛みに耐えていた勇斗は、泣くことも忘れてただ息を整えることに必死になりながら、仁人の体に全体重を預けてきた。
どれだけの重圧を一人で背負っていたのか。
気づいてやれなかった悔しさを噛み締めながら、仁人は胸の中の勇斗を絶対に離さないよう強く支え、素早くインカムを取った。
「こちら総合診療科、吉田!旧処置室へストレッチャーと止血剤、至急お願いします!佐野勇斗がストレス性の吐血!」
緊急搬送された処置室で、仁人は速やかに止血剤の投与と内視鏡による止血処置を終えた。
幸いにも出血部位はピンポイントで止血が完了し、バイタルも安定した。
だが、点滴のチューブに繋がれ、すやすやと眠る勇斗の顔色は依然として紙のように白い。
当直医としての書類整理を手早く済ませた仁人は、他のスタッフを下がらせ、二人きりになった病室のパイプ椅子に深く腰掛けた。
「……バカ野郎が。頼れる最年長気取って、抱え込んでんじゃねぇよ」
ポツリと溢れた呟きには、安堵と、やり切れなさが混ざっていた。
仁人は勇斗の冷たくなった左手を両手で包み込み、温めるようにそっと握りしめた。
手袋越しではなく、直接触れるその体温を感じて、ようやく仁人自身の強張っていた肩の力が抜けていく。
おでこに貼った冷却シートを貼り替え、点滴の落ちるペースを微調整する。
一晩中、仁人は一度もその場を離れず、勇斗の呼吸音に耳を澄ませていた。
ゆっくりと意識が浮上してきた時、勇斗の視界に映ったのは、見慣れた病室の天井と、朝の柔らかい光だった。
お腹のあの焼けつくような激痛は消え、代わりに重い鈍痛と全身のダルさが残っている。
ゆっくりと首を横に傾けると、ベッドの脇で腕を組み、浅い眠りについている仁人の姿があった。
自分の左手を覗き込むと、仁人の手がそっと添えられたままだ。
「……助かったんだ…⋯」
処置室でのあの血の匂いと恐怖が脳裏をよぎる。
あの時、電話越しに聞こえた仁人の声と、鍵を壊して飛び込んできた瞬間の圧倒的な安心感。
もし仁人が気づいてくれなかったらと思うと、背筋が寒くなった。
勇斗が指先をかすかに動かすと、敏感に察知した仁人がゆっくりと目を開けた。
「じんと…」
「……体調は?ストレス性胃潰瘍だって。もう止血されてるけど安静に」
仁人は呆れたため息をついて、勇斗をぼんやりと眺める。
その目の下には濃い隈ができていて、一晩中ここで見守ってくれていたことが一目で分かった。
「……ん……大丈夫。お腹も、さっきよりずっとラク……」
かすれた声で答えると、今度はホッとしたように大きなため息をつき、乱れた勇斗の前髪をそっと払ってくれた。
「……手遅れになったらどうすんの」
「ごめん……みんなに心配かけたくなくて……」
「お前に倒れられる方が、100倍みんなパニックになるっつーの」
呆れたように言いながらも、仁人の手つきはどこまでも優しい。
温かいおしぼりを持ってくると、勇斗の顔や、まだうっすらと血の跡が残っていた指先を、一つひとつ丁寧に拭き取ってくれた。
「喉、乾いてんだろ。まだ水は飲めないから、口ゆすぐだけな」
手際よくストロー付きのカップを用意し、口元へ運んでくれる。
いつもは後輩や患者のお世話ばかりしている勇斗にとって、こうして仁人に甲斐甲斐しく看病されるのは少し照れくさかったが、そのぬくもりが身体中に染み渡っていくようだった。
「……じん、と」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとな。……電話、気づいてくれてよかった」
勇斗が素直に感謝を口にすると、仁人は一瞬だけ目を見開いたあと、視線を逸らした。
「……次からはもっと早めに頼りなさい」
「はい。……そうする」
いつもは意地を張ってしまう最年長が、小さく頷いて目を細める。
朝の静かな病室が、お互い絆で温かく満ちていた。
コメント
2件
今回もとっても素敵な作品です✨️ いつもは頼られる佐野さんが仁人さんに看病をされている所を見ていると頼り慣れて居ない佐野さんと包容力が半端ない仁人さんとってもとっても良かったですしじんちゃんの慌てている御姿を見て仲間思いな二人のちょとだけ弱い所を見れて嬉しかったです。ありがとうございます😊 次の投稿楽しみにしています😊 体調には気おつけてくださいね☺️
うわっ……読んでてこっちまで息苦しくなったよ。勇斗が一人で抱え込んで倒れる展開、切なすぎる。でも仁人が電話の異変に気づいて全力で駆けつけるところ、最高だった。鍵を壊してでも中に入る潔さと、「息吐け!」って叫ぶプロの判断に泣ける。 あと、回復後の看病シーンがもう……水を飲ませてあげたり、指を拭いてあげたりする細かい気配りが仁人らしい。普段は頼りになる最年長の勇斗が「ありがとな」って素直に言えたのが、今回の一番の成長だと思う。めっちゃ良い回だった。