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いつも通り、牧草ベースの食事をしながら、俺とユイは何度も目で合図を送り合っていた。
美味しい筈(はず)のご飯が、この時ばかりは何の味も感じる事が出来なかった。
最後の一口迄、お互いにタイミングを合わせて、せーのって感じで同時に飲み込んだ後、俺の頷きに即座に同じく頷きで返すユイ。
((ここだっ!))
二人揃って、カパっァァァ!! と口を開いた。
開いた口の角度、下あごのポジショニング、支える全身の体勢のシンクロ具合、お互いの立ち位置の角度や、おきゃくさんからの見易さまで完璧に考え抜いた、数年に渡る深夜のデモンストレーション通り、完璧なぶっつけ本番を成功させたのである。
俺は心中で狂喜乱舞しながら思った、
――――よし! 完璧だ! 今までの努力は無駄では無かったのだ! さあ、飼育係さんよ、磨くが良い! 食事で汚れた(ワザと)俺たちの歯を!! 今日ここに歯磨きカバさんは復活を遂げるのだ!
と。
……
…………
………………
しかし、幾ら待っても、飼育係さんのゴシゴシは始まらなかった、それ処か慣れ親しんだ彼は笑顔を浮かべて言った。
「あれぇ? なんだジロー、喰い足りないのかい? ごめんな、一回の飼料の量は決まっているんだよ、我慢してくれよな」
そして、口を開けポジショニングとシンクロ具合を守り続ける、俺の体をポンポンと叩いてからユイに向けて、
「あはは、ユイもジローの真似をしているのかい? 本当にユイはジローが大好きなんだなぁ!」
そう言いながら、ユイの馬鹿でかいケツの辺りをいやらしい手つきで数度撫で付けた後、バックヤードへと引き返して行ったのであった。
ちきしょう、あのスケベ野郎俺のナオンに!
そうは思いつつも、俺はあの鈍(にぶ)ちんの飼育係が戻って来るのを待つことに決めていた。
――――あのオッチョコチョイめ、ウッカリさんにも程があるぞ! 多少きついが待っていてやる! 早くゴシゴシするが良い! そして人々を笑顔の渦で包み込み、『ガタコロナ』との戦いを勝利へと導く勇気を与えるのだ!
そう思ってからどれほど経過しただろう。
口を豪快に開いたまま、微動だにせず、はや十分以上だろうか?
その間、目の前を歩き過ぎる人間達は、
「なにあれ? きもっ!」
だとか、
「口の中、きたなぁ~、嫌ね、下品で!」
だとか
「あはは、カバじゃなくて、まんま馬鹿じゃん!」
とか言ってやがった。
ちきしょう!
俺は大きく開けていた口を静かに閉じた。
口中の乾きに反比例するように、下顎の周りは、涎(ヨダレ)でしとどに濡れそぼっていた。
ブルンブルンと頭を振って涎を振り払った俺は隣で動かないままのユイに視線を向けた。
案の定、真面目なユイは必死に動きを止めたままで、下顎を涎塗(よだれまみ)れにしていた。
『ユイ…… もういいんだよ…… やめよう……』
『!? ぶびぇっ? (ええぇ?) ぞぶば? (そんな?) びびぼ? (いいの?)』
俺の言葉に、口を開いたまま答えるユイ……
『ああ、いいんだ…… もう、もう! その、口を閉じてくれ……』
屈辱でプルプル震えている俺に、漸く(ようやく)口を閉じたユイが、ドライマウスが酷いのだろう、変な声で話しかけて来た。
『カッ! だ、旦那様、ハッ! クッ! これは、一体ケッ! サツキさんぬぉ、ダッ! 話しぐぁっ、間違っていたトォッ! いう事なのでしょうカッ!』
『……………………』
『……だ、旦那様? カッ!』
思わず無言のまま考え込んでしまった俺の顔を、ユイは心配そうに覗き込んできた。
『いや、サツキさんは確かに歯磨きで人気を博していた…… 原因は別に有るんだろう……』
まだ考えは纏(まと)まってはいなかったが、これ以上ユイに心配させ無い為に言葉にし、再び原因に付いて考え始める。
ジローは考えながら、記憶の彼方から在りし日のサツキとの会話を思い出していた。
大人気の歯磨きタイムを終えて、戻って来た彼女は言った。
『はぁ~、今日も大盛況やったね♪』
『お疲れ様でした、姉さん』
『何度も言っとるけど、あんたも覚えたほうがええで? 芸は身を助ける、やで』
『分かってはいるんですけどね…… まぁ、追い詰められて必要だったら、あれ、あれやりますよ』
『あれ?』
『スイカ丸齧(かじ)りするやつですよ、アレだったら簡単そうだし』
答えたジローに呆れた様な視線を向けてサツキが言葉を返した。
『分かってへんな~、あんなん夏場だけやろ? 歯磨きやったら通年対応、プロパーやねんで? 適応力がダンチなんや』
彼女は更に言葉を続けた。
『それにな、歯磨きやったら何遍も見たいゆうリピーターも一杯や、ちゃんとした芸は時代を超えて通用するんやて』
そう言って彼女は胸を張って笑い、その美しい姿を目にしたジローは恥ずかしそうに顔を逸らしたのであった。
――――サツキさん…… どうしてなんでしょうか? 通用しなかったです…… まるで世の中の価値観が丸ごと変わってしまったみたいに…… はっ! ま、まさか!
『ガタコロナのヤツのせい、なのか……』
思わず呟いた声に汚れたプールの水をがぶ飲みし、ドライマウスを乗り越えた、ユイが反応して問い直してきた。
『旦那様、ガタコロナって、例のヤバイヤツなんだよね? そいつのせいで上手く行かなかったって事なの?』
『ああ、たぶん、な』