テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
その日、いつもよりも早く仕事を終えた俺は、瑞月を食事に誘ってみようと急に思いたった。彼女の部屋を訪ねてからそれ以降ずっと、電話で彼女の声をたまに聞くだけで我慢していたが、それもそろそろ限界だったのだ。
早速彼女にメッセージを送り、しばらくその場で返信を待ったが、その通知はなかなか入らない。だめもとでも構わないと、ひとまず瑞月のマンションに行ってみることにした。彼女のマンションに到着し、運よく空いていた来客者用の駐車場に車を停める。
エンジンを切って外に出た俺は、早速瑞月に電話をかけた。もう帰宅しているだろうかと思いながら着信音に耳を傾け、歩き出してすぐに、エントランス手前の街灯の光の中にいる瑞月に気がついた。彼女は男ともみ合っていた。
俺はすぐさま電話を切り、彼女の元へ急いだ。
「瑞月!」
男の手から逃れた瑞月は、安堵の表情を浮かべて俺の胸に飛び込んできた。
男と瑞月の様子からすぐに察した。男が俺に敵意の目を向けていることで、さらに確信を得る。
こいつが瑞月を傷つけた男だ――。
初めは冷静だった。しかし、いつの間にかそれを失っていた俺は、気づいた時には、男をけん制するつもりが瑞月への想いを吐露してしまっていた。
男を退けた後、俺は彼女を促してその場を離れた。彼女に寄り添って歩きながら、こんな形で気持ちを知られたくなかったのにと、苦々しく思っていた。
そっと目線を移した先では、瑞月もまた何事か考え込むような顔をしていた。
このまま別れたくなかった。そもそも彼女を食事に誘うつもりでいたのだと、俺は気持ちを立て直す。
「飯、喰いに行こうぜ」
瑞月の顔に迷いが浮かんだ。しかし、俺になおも誘われて観念したのか、彼女は首を縦に振った。
店に向かう車中、瑞月は静かに窓の外を見ていた。その様子があまりにも静かすぎて、彼女が何を思っているのかがひどく気になった。
食事を終えた後は、そのまままっすぐ瑞月を部屋まで送って行く気になれなかった。もっと彼女と一緒にいたかった。そこでドライブしながら帰ることを思いつく。途中でちょっとだけ寄り道をしようと向かった先は、高台にある展望広場だ。そこから綺麗に夜景が見えると評判の場所だ。
辺りが暗いのは好都合とばかりに俺は瑞月の手を握って、いくつかある中のベンチの一つに足を向けた。彼女の隣に並んで腰を下ろしたが、何を話題にして話し出そうかと頭を巡らせた。
先に話し出したのは瑞月だった。俺の多忙さと健康を気遣うような言葉をかけられて、嬉しくなった。しかしその後、いったいどうして、そんな会話の流れになってしまったのか。俺を嬉しがらせたのと同じ口で、彼女は言ったのだ。
『私とこうやって無駄な時間を過ごしていないで、早くちゃんと恋人になってくれる人を探した方がいいと思うんだ。その方がお互いのために絶対にいい』
頭をがんと強く殴られたようなショックを受けた。
あれほど熱く体を交わし合ったのに、どうあっても俺は、瑞月にとって「男」になることはないのかと、切なくなった。俺を一人の男として愛してくれることはないのかと、悲しくなった。もういい加減、彼女のことは諦めた方がいいのだろうかと、胸が苦しくなった。離したくない、離れて行ってほしくない。好きな男ができるまでの間だけでいいから、俺を瑞月の一番近くに置いてほしいと、強く願った。
狂おしいまでに入り乱れ、高まる気持ちのまま、俺は瑞月を抱き寄せた。拒否されるかもしれないと思いつつも、彼女の唇を塞いだ。
ところが、瑞月の唇は緩んだ。
俺を受け入れてくれたのかと歓喜した。
けれどすぐに彼女は俺を押し戻した。目を逸らして、元カレへの俺の言葉の意味を問い質す。
俺は心を決めた。もう、はぐらかすようなことはしたくない。だから俺は、あれらの言葉はすべて本当のことなのだと、瑞月に告げた。そして今度は俺の方からに瑞月に問いかけた。今もまだ彼女にとっての俺は、「幼馴染の兄」でしかないのかどうかを知りたかった。
『お前は俺のことをどんなふうに思ってる?好きか嫌いかで言ったら、どっちだ?』
瑞月は言葉を濁した。
俺は慎重に注意深く、彼女の気持ちを聞き出そうとした。そうして俺は、ずっと求め続けてきた彼女の心をようやく得たことを知る。俺の心を満たし溢れたこの時の喜びを、この先いつまでも忘れないだろう。
展望広場を後にして、向かった瑞月の部屋で、俺たちは改めて互いの気持ちを確かめ合った。
これまで、ずいぶんと長い年月を費やしたが、瑞月の「幼馴染のお兄ちゃん」からようやく俺は卒業できたのだ。
俺は瑞月を胸に抱き、幸せを嚙みしめながら眠りについた。
翌朝、明け方にはやや早い、まだ窓の外が薄暗い時間に目が覚めた。すぐ傍では、瑞月が規則正しい呼吸を繰り返して眠っている。彼女の温もりと甘い匂いに、昨夜のことは夢ではなかったのだと安堵した。
『諒ちゃん、大好き』
吐息の合間の瑞月の甘い声が、まだ耳に残っている。俺を幸福感で満たす、その響きの余韻に、いつまでも浸っていたかった。しかし、そうもいかない。仕事が待っているのだ。
瑞月を起こさないようにと注意深い動きで、俺はベッドから抜け出した。身支度をすませて、忍び足でリビングへと移動する。カウンターの端に見つけたメモ用紙に、近くに転がっていたペンで、「今夜も会いに来る」とメッセージを書き残した。彼女が俺との夜を、夢だと思うことがないように。
鍵の在処は夕べのうちに瑞月に確かめてある。それを持って玄関を出た俺は、鍵をかけた後のそれをドアポストに落とした。今の音で目を覚ましたりはしなかっただろうかと気にしながら、俺は恋人の部屋を後にする。すでに今夜が待ち遠しくて仕方なかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
537