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第287話 最後の三人
【異世界・王国警備局/臨時分析室・翌朝】
長谷川修一の再統合から一晩が過ぎた。
現実側から届いた最新記録には、
《意識反応・安定》
《自発呼吸・維持》
《短時間覚醒・確認》
《継続経過観察》
と並んでいる。
十一年間眠り続けた身体が、すぐ元通りになるわけではない。
それでも長谷川修一は妹の名前を呼び、自分の手でその指を握った。
それだけで十分だった。
ノノが水晶板を切り替える。
これまで帰還を希望した者たちの名前に、《完了》の表示が並んでいく。
高瀬直人。
佐野悠真。
三浦啓介。
長谷川修一。
王都へ戻ったリーネ・アスト。
一方で、候補Aの女性には、
《判断保留》
現実世界のレグナ・フォルスには、
《帰還先・未決定》
の表示が残されている。
「この二人は?」
ハレルが尋ねると、ノノはすぐ答えた。
「そのまま」
「帰還させない?」
「本人が決めるまでね。候補Aさんは王都で保護を続けるし、レグナさんも現実側で生活を続けられる」
アデルも頷いた。
「判断しないことも、今の本人が選んだ状態だ。こちらの都合で期限をつける必要はない」
ハレルは画面を見つめた。
それでいい。
全員を帰すと言っても、全員を同じ場所へ送るという意味ではない。
帰りたい者には道を作り、まだ決められない者には決めるための時間を残す。
その原則だけは、ここまで一度も変わっていなかった。
ノノが次の画面を開いた。
表示された名前は、三つ。
《雲賀ハレル》
《雲賀サキ》
《一ノ瀬涼》
部屋が静かになる。
サキが画面を見上げた。
「……私たちだ」
リオも何も言わず、自分の名前を見ている。
ノノが少しゆっくりした口調で言った。
「今、異世界側にいて、現実世界へ戻る意思を確認できてる人は……この三人で最後」
ハレルは胸元の主鍵へ手を添えた。
長かった。
最初にこの世界へ来た時は、戻る方法どころか、何が起きているのかさえ分からなかった。
それが今は、
自分たちの帰還手順を。
自分たちで決められるところまで来ている。
◆ ◆ ◆
「三人同時はやめた方がいい」
ノノが帰還構成を表示した。
「今までずっと一人ずつだったから?」
ハレルが聞く。
「それもある。でも一番大きいのは鍵」
中央に三つの光点が浮かぶ。
主鍵。
アデルの副鍵。
リオの副鍵。
ノノがリオの光点を指した。
「リオが帰還中に入ったら、当然だけどその副鍵も一緒に移動する」
リオが腕を上げる。
「途中で補正できなくなる?」
「完全に使えなくなるわけじゃないよ。
でも、持ってる本人が境界を通ってる最中に、自分の帰還路まで補正させるのは負担が大きい」
アデルが眉を寄せる。
「しかも壊れている」
「うん」
ノノは次にハレルの主鍵を示した。
「ハレルも同じ。主鍵は一番大きい固定点だから、最初にハレルが現実へ行っちゃうと、そのあとサキとリオをこっちから送り出す時の条件が変わりすぎる」
サキが聞く。
「じゃあ、お兄ちゃんが最後?」
「たぶん、それが一番安全」
表示が並び替わる。
《第一帰還・サキ》
《第二帰還・リオ》
《第三帰還・ハレル》
ハレルは少し黙った。
「サキが最初か」
「嫌?」
サキが横から見る。
「嫌っていうか……」
ハレルは妹を見る。
今まで、守ろうとしてきた。
危険な場所では前へ出さないようにしてきた。
そのサキを
今度は自分より先に世界の向こうへ送り出す。
「少し心配」
サキが苦笑した。
「私だけ先に帰るのが?」
「うん」
「でも、お兄ちゃんが先に行ったら主鍵なくなるんでしょ」
「そうなんだけど」
「じゃあ、しょうがないよ」
迷いのない答えだった。
ハレルは少し笑った。
「強くなったな」
「今さら?」
「今さら」
◆ ◆ ◆
ノノがさらに図を切り替える。
「サキが帰ったあと、まず全部閉じる。鍵と案内層を確認して、それからリオ」
リオが聞く。
「俺が通ってる間、右の副鍵は?」
「使わない」
「完全に?」
「帰還開始直前までは補正に使う。でも、リオ本人が境界へ入ったら切る」
アデルが自分の左手首を見る。
「その後は私が受け持つ」
「うん。ダミエの結界も広げる」
ダミエが短く答えた。
「できる」
「それでリオを現実側へ固定したあと、また全部閉じる」
最後。
《雲賀ハレル》
ノノの表情が少し変わった。
「一番難しいのは、ハレル」
「やっぱり?」
「主鍵そのものが移動するから」
主鍵は帰還路を固定する中心。
その中心が。
自分自身と一緒に世界を越える。
高瀬たちとは条件が違う。
リーネとも。
長谷川修一とも違う。
アデルが聞いた。
「主鍵が境界を通っている途中、固定点はどうする?」
ノノは別の光点を表示する。
《異世界側・副鍵/アデル》
《結界固定/ダミエ》
《案内層/セラ》
《現実側受入座標》
そして。
《主鍵・自己追従》
ハレルが表示を見る。
「自己追従?」
「主鍵って、もともとハレルが持った状態で反応するようになってるでしょ」
ノノが説明する。
「だからハレルだけは、主鍵を置いて帰るんじゃなくて、持ったまま境界を渡る。途中ではアデルの副鍵とダミエの結界で外側を支えて、主鍵自身にはハレルの位置を固定してもらう」
「できるの?」
「理論上は」
リオが横から言う。
「またその言い方か」
「仕方ないでしょ。ハレルの帰還は一回も試してないんだから」
セラが案内層を見ながら口を開いた。
「ただ、道そのものは作れます」
ハレルが見る。
「高瀬たちと同じ?」
「基本は同じです。でも主鍵が移動する分、最後の瞬間に案内層が少し不安定になる可能性があります」
「その時は?」
「私が中から支えます」
サキのスマートフォンで、
reが白く光った。
セラがそちらを見る。
「reにも外側を見てもらいます」
reは何も答えない。
ただ。
白い線を一本だけ。
現実側の座標へ伸ばした。
◆ ◆ ◆
【王国警備局/中庭・昼】
帰還は翌朝に決まった。
その日の午後。
ハレルたちは、珍しく何も予定を入れなかった。
検査も。
捜索も。
会議もない。
リオが中庭の石壁にもたれながら言う。
「変な感じだな」
ハレルが横を見る。
「何が?」
「明日帰るって決まってるのに、やることがない」
サキが少し笑った。
「旅行の最終日みたい」
「旅行でこんなに死にかけたくないけどな」
リオの言葉に、
三人とも少しだけ笑う。
中庭の向こうでは
王都軍の兵士たちが訓練している。
魔術の光。
剣がぶつかる音。
治療班が運んでいる薬草の匂い。
ここへ来たばかりの頃には
全部が異世界のものだった。
今は。
見慣れている。
ハレルが言う。
「帰ったら、これ全部なくなるんだよな」
「なくならないよ」
サキが答えた。
「見えなくなるだけでしょ」
リオも王都の塔を見る。
「こっちはこっちで続く」
その言葉が、少しだけ重かった。
自分たちが帰ったあとも
アデルたちはここで生きていく。
王都も。
医療棟も。
警備局も。
カシウスとの戦いも、終わったわけではない。
◆ ◆ ◆
「いた」
中庭へ入ってきたヴェルニが、三人を見つけた。
その後ろにはイデールとダミエもいる。
「明日帰る奴らが揃って何してる」
「別に」
リオが答える。
ヴェルニは鼻で笑い、そのままリオの前へ立った。
「腕」
「何だよ」
「見せろ」
「お前までか」
「いいから」
リオが右腕を出す。
亀裂の入った副鍵。
ヴェルニはしばらく見てから、触れずに手を引いた。
「帰ったら直せるんだろ」
ハレルが答える。
「父さんが戻れれば」
「そうか」
ヴェルニはリオを見る。
「なら壊すなよ」
「分かってる」
「お前、分かってても使うから言ってる」
「アデルと同じこと言うな」
少し離れた場所でアデルが聞いていた。
「私が正しいということだ」
リオが振り向く。
「いたのか」
「最初からいる」
アデルはゆっくり近づいた。
イデールがサキの横へ座る。
「サキちゃん、明日帰っちゃうんだね~」
「うん」
「寂しい?」
サキは少し考えた。
「寂しい」
「そっか~」
「でも、お母さんにも会いたい」
「それなら帰らないとね」
イデールがいつものように笑う。
無理に引き止めない。
帰ることを。
悲しい別れだけにもしない。
サキも笑った。
「また来れるかな」
誰も、
簡単には答えなかった。
世界を自由に行き来できるようになったわけではない。
帰還路は人を安全に帰すために作っている。
遊びに来るための扉ではない。
アデルが言う。
「分からない」
サキが見る。
「うん」
「だから、また来るとは約束するな」
「分かった」
「ただ」
アデルは少しだけ表情を緩めた。
「二度と会えないとも、まだ決まっていない」
サキが頷いた。
「うん」
◆ ◆ ◆
ダミエは
いつものように少し離れた場所に立っていた。
ハレルが声をかける。
「ダミエ」
「何」
「今までありがとう」
ダミエはハレルを見る。
「まだ帰ってない」
「明日言えるか分からないから」
「言える」
「そうかな」
「言わせる」
ハレルは思わず笑った。
「分かった」
ダミエはそれ以上何も言わなかった。
だが、
少しして。
「向こうでも、境界の近くに立ちすぎないで」
とだけ付け加えた。
「分かった」
◆ ◆ ◆
【王国警備局/帰還保護区画】
候補Aの女性の部屋にもハレルは顔を出した。
女性は、机に並べた現実世界の写真を見ていた。
「明日、帰るんでしょう?」
「うん」
「あなたも?」
「最後に」
女性はしばらく写真を見つめたあと、聞いた。
「私を置いて?」
ハレルはすぐ答えた。
「置いていくつもりじゃない」
「でも、いなくなる」
「うん」
そこは、否定できない。
ハレルは椅子へ座った。
「でもアデルたちもいるし、ノノもいる。捜索も本人確認も続ける」
女性が顔を上げる。
「私の名前も?」
「もちろん」
「見つからなかったら?」
「それでも、勝手にどこかへ送ったりしない」
女性は少し黙る。
「……あなたがいると」
「うん」
「同じ世界の人がいるって思えた」
ハレルは
その言葉に少し困った。
自分が帰りたいと思うことと
残る人が不安になることは。
どちらも本当だ。
「ごめん」
「謝らないで」
女性は首を振った。
「帰りたいんでしょう?」
「うん」
「なら、帰って」
そして、机の写真へ目を落とす。
「私も、自分で決めるから」
ハレルはゆっくり頷いた。
「分かった」
それ以上。
何も言わなかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー/臨時帰還受入室】
現実側でも。
三人を迎える準備が始まっていた。
城ヶ峰。
日下部。
木崎。
医療スタッフ。
そして。
一ノ瀬ユナ。
「本当に涼が戻るんですか」
ユナは椅子に座ったまま、何度目か分からない確認をした。
城ヶ峰が答える。
「予定では明日です」
「予定じゃなくて」
「帰還経路が正常なら、戻します」
ユナは少し不満そうな顔をしたが、それ以上は言わなかった。
体調は以前より戻っている。
それでも。
長時間立っていることはまだできない。
木崎が受入室の床を見ながら言う。
「三人一緒じゃないんだな」
日下部が頷く。
「一人ずつです。雲賀サキさん、一ノ瀬涼さん、最後に雲賀ハレル君」
「ハレルが最後?」
「主鍵の問題があります」
ユナが小さく息を吐いた。
「涼よりあとなんだ」
「はい」
ユナは、何か言いかけた。
だがやめた。
代わりに帰還陣を見る。
「……ちゃんと帰ってきてよ」
誰に向けた言葉なのか。
城ヶ峰も日下部も聞かなかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王国警備局/屋上・夜】
最後の夜。
ハレルは一人で屋上へ出ていた。
王都の明かりが、遠くまで続いている。
現実世界とは違う。
電灯ではない。
魔術灯。
塔の光。
家々の窓。
その景色を、しばらく見ていた。
「ここにいたか」
後ろから
アデルの声。
ハレルは振り向かない。
「うん」
アデルが横へ並ぶ。
「眠れないのか?」
「少し」
「怖い?」
「それもある」
「ほかは」
ハレルは王都を見る。
「帰りたかったはずなのに、帰るって決まったら、変な感じがする」
アデルは何も言わない。
「最初はこんな世界、早く出たいって思ってた」
「当然だな」
「でも今は……」
言葉が続かない。
アデルが代わりに言った。
「ここにも、お前の知っている人間が増えた」
「うん」
セラ。
ノノ。
アデル。
イデール。
ダミエ。
ヴェルニ。
そして、
もう会えない者もいる。
帰れば、この世界で起きたことが
急に遠くなるような気がした。
「ハレル」
アデルが言う。
「帰れ」
ハレルが見る。
「ずいぶん簡単に言うな」
「お前は帰るためにここまでやった」
「うん」
「なら帰れ」
迷いのない声だった。
「こっちは私たちがやる」
ハレルは
しばらくアデルを見ていた。
「カシウスも?」
「当然だ」
「ラストも」
「当然」
「白色コアも」
「見つける」
「父さんは?」
そこで
アデルが少し黙った。
「それは」
ハレルの胸元を見る。
「お前もやる」
ハレルは小さく笑った。
「そうだね」
自分たちが現実へ帰っても
終わりではない。
むしろ。
匠を戻すためには
主鍵を現実側へ持っていく必要がある。
アデルが異世界側。
ハレルが現実側。
二つの世界から
最後の帰還を支える。
「父さんは最後」
ハレルが言う。
「ああ」
「みんなを帰してから」
「そのために、明日お前たちが帰る」
ハレルは胸元の主鍵を握った。
今度は
恐怖からではない。
確認するように。
「分かった」
◆ ◆ ◆
【王国警備局/帰還準備室・翌朝】
扉が開いた。
床には、帰還陣。
外周にはダミエの結界。
セラは案内層の確認を終え、サキのスマートフォンではreが一本の白い線を現実側へ伸ばしている。
アデル。
リオ。
サキ。
ハレル。
全員が揃った。
ノノの声が入る。
『現実側、受入準備完了』
『案内層、安定』
『主鍵、正常』
『アデルの副鍵、正常』
一拍。
『リオの副鍵、残存経路のみ使用可能。亀裂拡大なし』
リオが右腕を確認する。
「問題ない」
アデルがサキを見る。
「最初はサキだ」
「うん」
サキが帰還陣の前へ出る。
昨日まで
ここから何人もの人間を見送った。
今日は、自分の番。
ハレルが妹の横へ立った。
「怖かったら言って」
「大丈夫」
「途中でも」
「分かってる」
「無理しなくていいから」
サキが少し笑う。
「お兄ちゃん」
「何?」
「心配しすぎ」
ハレルは、
返す言葉がなかった。
アデルが呆れたように息を吐く。
「そのくらいにしておけ」
「……うん」
サキが帰還陣の中央へ向く。
その向こうにはまだ見えない
現実世界。
母親。
家。
自分の部屋。
帰りたかった場所。
ノノが静かに言った。
『じゃあ、最終確認するね』
サキが頷く。
「うん」
最後の三人。
その最初の一人が。
帰還陣の中央へ。
一歩。
足を踏み入れた。
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うわあ、ついに最後の三人の帰還か……。ここまで長かったよね。長谷川修一が妹の名前を呼んで指を握ったところ、あそこは泣きそうになった。それで十分だって地の文が、全部を物語ってる。 サキが最初でハレルが最後っていう順番も、納得できるけど切ない。ハレルが「少し心配」って言うところ、お兄ちゃんだなあって。サキの「じゃあ、しょうがないよ」の返しも、もう迷いがなくて強くなったんだなって感じた。 それに候補Aの女性とのやり取り。「私も、自分で決めるから」って、彼女もちゃんと自分のペースで前に進もうとしてるんだね。ハレルが「ごめん」って謝るんじゃなくて、ちゃんと向き合ってたのがよかった。 「帰らなければならない」と「帰りたい」の間にある温度差を、丁寧に描いてくれた回だったな。次の話が待ち遠しいけど、まずはサキが無事に帰れることを祈ってる。
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116
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