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第288話 帰還
【異世界・王国警備局/帰還準備室・朝】
サキは帰還陣の中央に立ち、胸の前で両手を握っていた。
床を走る白い術式。
その外側ではダミエの結界が薄い膜となって部屋を包み、
アデルとリオがそれぞれ所定の位置につく。
ハレルは主鍵へ手を添え、妹の横顔を見ながら何度目か分からない深呼吸をした。
ノノの声がイヤーカフから届く。
『雲賀サキ。本人確認、現在位置、帰還先、全部一致してる。現実側の受入地点も固定済み』
「うん」
『最後に聞くね。サキは、自分の意思で現実世界へ帰りたい?』
サキは一度ハレルを見た。
それから、迷わず答える。
「帰りたい」
《最終意思確認・完了》
表示が変わると同時に、ハレルの主鍵が淡く光った。
アデルの副鍵がそれに応え、少し遅れてリオの右手首にも弱い光が走る。
『リオ、補正は最低出力のまま』
「分かってる」
『ダミエ、外周』
「固定してる」
セラは帰還陣の脇で目を閉じ、エリウスの案内層へ意識を向けていた。
「現実側まで確認します」
サキが持つスマートフォンでは、reが白い線を一本伸ばしている。
その線は揺れることなく帰還陣を横切り、まだ見えない現実側へ向かっていた。
数秒後。
《安全》
案内層にも同じ表示が浮かぶ。
セラが頷いた。
「途中層、異常なし。通せます」
『じゃあ始めるよ』
ノノの声とともに、帰還陣の光が強くなった。
◆ ◆ ◆
透明な膜の向こうへ、少しずつ現実世界の景色が重なっていく。
オルタリンクタワーの臨時帰還受入室。
白い床。
機材。
待機している城ヶ峰たち。
サキはそれを見て、小さく息を呑んだ。
「……本当に帰るんだ」
ハレルが横から答える。
「うん」
「お兄ちゃん、ちゃんとあとで来てね」
「行くよ」
「絶対?」
「絶対」
今度は、サキが少し笑った。
「それなら大丈夫」
同期率が上がる。
『六十三……七十四……八十二……』
ハレルは主鍵を固定しながら妹を見ていた。
高瀬や悠真たちを送り出した時とは違う。
今回は自分の家族が、目の前から消えていく。
理屈では分かっている。
消えるのではない。
帰るのだ。
それでも、身体の奥に冷たいものが残る。
アデルがハレルの表情を横目で見た。
「大丈夫だ。数値を見ろ」
「分かってる」
『八十九……九十四……』
セラが言う。
「出口まで安定しています」
サキの足元から白い光が上がる。
「じゃあ行くね」
ハレルは頷いた。
「うん。向こうで待ってて」
サキは自分の足で境界へ一歩踏み込んだ。
光の膜が身体を包み、輪郭が少しずつ薄くなっていく。
『座標移行開始』
現実側にも人影が現れた。
四十。
六十。
八十。
九十七。
そして。
『百』
光が収束し、サキの姿が異世界から消えた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー/臨時帰還受入室】
白い光の中央に、サキが立っていた。
少しふらついたものの、すぐに自分で踏ん張る。
日下部が端末を確認する。
「身体固定、完了。意識反応も正常です」
城ヶ峰が近づく。
「雲賀さん、聞こえますか」
サキは周囲を見回した。
何度も見てきた現実世界の壁や機械が、今は妙に新鮮に見える。
「……はい」
少し遅れて。
声が震えた。
「帰ってきた……」
その言葉が異世界側にも届く。
ハレルは目を閉じ、ようやく息を吐いた。
「よかった」
◆ ◆ ◆
帰還陣は一度完全に閉じられた。
ダミエが結界を解除し、ノノが三つの鍵の状態を検査する。
主鍵。
異常なし。
アデルの副鍵。
異常なし。
リオの副鍵。
亀裂拡大なし。
残存経路の負荷も許容範囲。
セラも案内層の内部を確認し終えた。
「次も通れます」
アデルがリオを見る。
「次はお前だ」
「ああ」
今度は、帰還陣の右側に立っていたリオ自身が中央へ移る。
その瞬間から
右手首の副鍵は補助具ではなくなる。
ノノが構成を切り替えた。
《主鍵・ハレル》
《副鍵・アデル》
《副鍵・リオ/帰還開始直前まで補正》
《境界進入後・副鍵出力停止》
《結界固定・ダミエ》
《案内層・セラ》
ハレルが確認する。
「リオが中に入ったら、アデルだけで支えるんだよね」
『うん。リオの副鍵は本人と一緒に移動するから、境界に入った時点で切る』
アデルが左腕を上げた。
「こちらは問題ない」
「無理するなよ」
ハレルが言う。
アデルが少し眉を上げる。
「それは私の台詞だ」
リオが二人を見る。
「俺の帰還前に喧嘩するな」
「してない」
ハレルとアデルの声が重なった。
リオは小さく息を吐いた。
「似てきたな」
◆ ◆ ◆
ノノが最終確認を始める。
『一ノ瀬涼。本人意思は?』
「現実に帰る」
『帰還先、オルタリンクタワー受入室。それでいい?』
「ああ」
『誰かに強制されてない?』
「してない」
《最終意思確認・完了》
帰還陣が再び起動する。
主鍵。
アデルの副鍵。
リオの副鍵。
三つが短時間だけ同じ波形へ近づいた。
『同期開始……』
透明な境界が開く。
現実側では
ユナが待っていた。
椅子に座ったまま。
帰還陣の向こうを見つめている。
まだ互いの姿は完全には見えない。
それでも
リオには分かった。
「……ユナ」
ハレルが横を見る。
「見える?」
「ぼんやり」
同期率が八十を越える。
輪郭がはっきりしていく。
向こう側のユナも、リオに気づいた。
口が動く。
まだ声は届かない。
リオが笑う、ほんの少し。
『九十一……九十四……』
ノノが言う。
『リオ、ここから副鍵を切るよ』
「分かった」
リオの右手首から光が消える。
一瞬だけ帰還口が揺れた。
だが、アデルの左腕が強く光り、ダミエが外周結界を狭める。
「固定する」
「こっちも持つ」
セラが案内層を確認する。
「経路は正常です」
reの白線も変わらない。
リオは境界へ踏み込んだ。
副鍵はもう働いていない。
それでも道は崩れなかった。
アデル。
ダミエ。
セラ。
主鍵。
ここにいる全員が一人分の道を支えている。
『九十八……九十九……百』
光が消える。
リオも。
異世界側からいなくなった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・臨時帰還受入室】
リオが現れた瞬間、
ユナが立とうとした。
「待ってください」
日下部が止める。
「まだ固定確認中です」
「でも……」
リオもユナを見る。
「そこにいろ」
「涼……」
「すぐ終わる」
日下部が端末を確認する。
《身体固定・完了》
《意識反応・正常》
《副鍵・移動完了》
《副鍵損傷・変化なし》
「固定完了です」
その言葉を聞いた途端、ユナが立ち上がった。
まだ足元が完全ではない。
城ヶ峰が支えようとしたが、ユナは自分で数歩進んだ。
リオも帰還陣から出る。
二人の距離が縮まる。
「……遅い」
ユナが言った。
リオが苦笑した。
「悪かった」
「何回待たせるの」
「今度は帰ってきた」
ユナは何か言い返そうとした。
しかし、言葉にならない。
代わりにリオの服を掴んだ。
リオも。
姉の肩へ静かに手を置いた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王国警備局/帰還準備室】
帰還陣が閉じる。
残ったのは
ハレル。
アデル。
ダミエ。
セラ。
そして周囲の部隊。
サキもリオももう現実側だ。
ハレルは急に部屋が広くなったように感じた。
アデルが言う。
「ぼんやりするな」
「してない」
「している」
「……少しだけ」
ノノから検査結果が届く。
『リオの副鍵、帰還後も亀裂変化なし。現実側で固定できた』
「よかった」
ハレルは胸元へ手を当てる。
次は自分。
最後。
だが、ここからが一番難しい。
主鍵そのものが境界を渡る。
◆ ◆ ◆
帰還陣が三度目の構成へ変わる。
今回は右側の副鍵支点が空いている。
リオはもう現実側。
残る異世界側の鍵はアデルの副鍵だけ。
《主鍵・ハレル/自己追従》
《副鍵・アデル/異世界側固定》
《結界固定・ダミエ》
《案内層・セラ》
《現実側受入座標・固定》
ノノの声にも少し緊張が混じっていた。
『ハレル。これだけは途中で主鍵の位置が変わる』
「うん」
『今までは主鍵がこっち側に残ったまま、人だけを通してた。でも今回は違う』
「俺と一緒に動く」
『そう』
セラが言う。
「主鍵が境界の中央へ入ったあと、異世界側は一時的にアデルの副鍵と結界だけで支えることになります」
ハレルがアデルを見る。
「いける?」
「誰に聞いている」
「一応」
「いける」
迷いはない。
ダミエも短く言う。
「私もいる」
セラが続ける。
「私も内側から支えます」
ハレルは頷いた。
「分かった」
サキのスマートフォンはもう現実側にある。
だがreは消えていなかった。
現実側の受入室でサキが画面を見る。
白い線。
今度は現実側から
異世界のハレルへ向かって伸びている。
『お兄ちゃん』
サキの声が通信に入った。
「うん」
『こっちで待ってる』
「分かった」
リオの声も重なる。
『早く来い』
「言われなくても行く」
その奥。
木崎。
城ヶ峰。
日下部。
そして。
現実世界の空気。
帰る場所が、向こうにある。
◆ ◆ ◆
ノノが最終確認する。
『雲賀ハレル』
「はい」
『名前』
「雲賀ハレル」
『現在位置』
「異世界。王都イルダ」
『帰りたい場所』
ハレルは少しだけ王国警備局の部屋を見回した。
何度も来た場所。
何度も話した人たち。
外には、王都。
この世界で、
多くのものを失い。
多くのものを知った。
それでも。
答えは決まっている。
「現実世界」
『自分で帰りたい?』
「うん」
ノノが最後の項目を確定する。
《本人意思・帰還》
ハレルはアデルを見る。
「行くね」
「ああ」
「今までありがとう」
アデルの眉が少し動く。
「それは向こうへ着いてから言え」
「聞こえるの?」
「通信は残す」
「じゃあ、その時に」
アデルが少し笑った。
「そうしろ」
◆ ◆ ◆
主鍵が光った。
今までで最も強い。
だが、ハレルは出力を上げているわけではない。
鍵そのものが帰還先を認識している。
アデルの副鍵が呼応。
ダミエの白膜が外周を閉じる。
セラが目を閉じる。
「案内層、接続」
現実側reの線が境界の中心を指す。
《安全》
『開始するよ』
ノノの声。
帰還陣の中央へ。
現実世界が重なった。
サキ。
リオ。
二人の姿が見える。
ハレルはゆっくり一歩進んだ。
『同期、四十一……五十九……七十三……』
主鍵が、境界へ入る。
その瞬間。
部屋全体が大きく揺れた。
「っ!」
ハレルの足が止まる。
異世界側の帰還陣が一瞬、暗くなる。
『主鍵位置、移動開始!』
ノノの声が鋭くなる。
アデルの副鍵が強く発光した。
「ハレル、止まるな!」
「でも――」
「止まる方が危険だ!」
ダミエも両手を結界へ押し当てる。
「外側、閉じる。進んで」
セラが目を閉じたまま叫ぶ。
「道は残っています!」
ハレルは向こうを見る。
サキ。
リオ。
白い線。
そして。
自分の主鍵。
後ろには、アデルたち。
前には。
現実。
二つの世界の真ん中。
ハレルは。
もう一歩進んだ。
◆ ◆ ◆
『八十一……八十七……』
揺れが強くなる。
主鍵は、
異世界側にも。
現実側にも。
完全には固定されていない。
アデルの腕が震える。
副鍵へかかる負荷が一気に増えていた。
「アデル!」
ハレルが振り返る。
「前を見ろ!」
「でも!」
「私の仕事だ!」
アデルが歯を食いしばる。
「お前は帰れ!」
ダミエが結界の一面を畳み、負荷を別方向へ逃がす。
「面、替える」
白い膜が再構成され、崩れかけた出口を支える。
セラが案内層の奥へ意識を伸ばす。
「現実側まで繋がっています。閉じていません!」
『九十二……九十五……』
現実側。
サキがスマートフォンを強く握る。
reの白線が、わずかに揺れた。
そして、一本の線を
ハレルの足元まで伸ばす。
ハレルはそれを見る。
「……分かった」
前を向く。
あと一歩。
そして。
踏み出す。
◆ ◆ ◆
主鍵が、完全に境界を越えた。
その瞬間、異世界側の帰還陣から中心の光が消えた。
アデルが声を上げる。
「今だ、閉じろ!」
ダミエが両手を合わせる。
異世界側の入口が一気に縮む。
セラが案内層を現実側へ押し送る。
「ハレル、前へ!」
『九十八……九十九……』
ハレルの身体が。
現実側へ重なる。
足。
身体。
腕。
最後に。
胸元の主鍵。
『――百!』
光が弾けた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー/臨時帰還受入室】
ハレルは、膝をついた。
床の硬さが手のひらに伝わる。
耳鳴り。
眩しい白い照明。
呼吸がうまくできない。
「お兄ちゃん!」
サキの声。
「まだ!」
日下部が止める。
端末を確認する。
《身体固定》
《意識固定》
《主鍵・現実側移動完了》
《異世界側残留・なし》
最後。
《帰還完了》
「……固定しました!」
その声と同時にサキが走った。
ハレルが顔を上げる。
「サキ……」
「遅い!」
そのまま抱きつかれる。
「ごめん」
「絶対来るって言ったのに、途中すごい揺れてた!」
「来ただろ」
「そういう問題じゃない!」
少し離れたところでリオが笑っていた。
ハレルもようやく笑った。
自分の手を見る。
現実世界。
帰ってきた。
本当に。
◆ ◆ ◆
しかし。
最初に確認したのは。
自分たちのことではなかった。
「アデル!」
ハレルが通信へ向かう。
「聞こえる?」
数秒。
ノイズ。
そして。
『聞こえている』
アデルの声。
ハレルの肩から力が抜ける。
「よかった……」
『こちらも無事だ』
その後ろでダミエの声。
『結界、閉じた』
セラも。
『案内層も切断できました。残留経路はありません』
ハレルは胸元を見る。
主鍵、完全に現実側にある。
そして異世界側には
アデルの副鍵。
二つの世界へ鍵が分かれた。
アデルが通信越しに言う。
『ハレル』
「何?」
『帰還、おめでとう』
ハレルは少し黙った。
「ありがとう」
今度こそ。
言えた。
◆ ◆ ◆
ノノが新しい構成図を表示する。
《現実側》
《主鍵・雲賀ハレル》
《副鍵・一ノ瀬涼/損傷》
そして。
《異世界側》
《副鍵・アデル》
二つの世界を挟み、線が一本引かれる。
ハレルはそれを見る。
「これで……」
日下部が頷いた。
「立場が逆になりました」
今まで主鍵は異世界側にあった。
だから異世界から現実へ帰す時、ハレルが中心になっていた。
だが、今は違う。
主鍵は現実側。
健康な副鍵は異世界側。
ノノの声。
『これなら、現実側にいる異世界出身者を王都へ帰す時も、両側から固定できる』
レグナ・フォルス。
そして。
今後見つかるかもしれないほかの人たち。
ハレルは
画面の二つの世界を見る。
自分たち三人の帰還は終わった。
だが、帰還そのものはまだ終わっていない。
今度は、現実世界から
向こうへ帰りたい人たちのために
橋を架ける番だった。
コメント
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うわあ……ついに帰還したんですね。サキが自分の足で境界を踏み越えるところ、それを見守るハレルの「よかった」という一言が沁みました。リオが現実側でユナと再会する場面も、会話の端々に積み重ねてきた時間が感じられてぐっときました。三人が戻ったあとのアデルとのやりとり、「帰還、おめでとう」に胸が熱くなりました。そして主鍵が現実側に移って、今度はこちらから橋を架ける側になるという構図の転換も美しいですね。お疲れ様です、橘さん。
あいたぴ♡苺もち
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#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
4,539
ひまわり
2,295
谷崎爽奈
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