テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ある国では、一日に一度、国民全員による「最も不快だった人間」への投票が行われていた。
選ばれた者は、街の中央にある巨大なスクリーンに顔を晒され、二十四時間、全国民から言葉の石を投げられる。
それがこの国の「清浄」を保つための唯一のルールだった。
ある日、男性はスマートフォンを見ながらほくそ笑んでいた。
「今日のターゲットは決まりだな。この女性、謝罪会見での頭の下げ方が数ミリ足りない」
彼が指さした画面の中では、不祥事を起こしたとされる女性が、泣きながら頭を下げていた。
「同感だわ」と、隣にいた別の女性が頷く。
「彼女の涙は右目からしか流れていない。あれは演技よ。私たちの『清らかな正義感』を汚した罪は重い。一票入れておきましょう」
二人は手慣れた操作で投票を完了させた。
彼らにとって、それはゴミを拾うのと同じくらい「正しい」行為だった。
誰かを断罪している間だけは、自分たちが汚れなき善人であると確信できたからだ。
翌日、投票で選ばれたのは、昨日の会見の女性だった。
スクリーンに映し出された彼女の顔は、あまりのバッシングに憔悴しきっていた。それを見た国民は大熱狂した。
「もっと追い詰めろ!」「徹底的に反省させろ!」「死ぬまで謝れ!」
書き込みの数は秒速で数万を超えた。
しかし、その日の夕方。事件は起きた。
スクリーンの中の女性が、あまりの重圧に耐えかね、生放送の最中に自ら命を絶ってしまったのだ。
一瞬、街が静まり返った。
だが、すぐにスマートフォンが震えた。
政府からの緊急通知だった。
『国民の皆様、おめでとうございます。悪は排除されました。しかし、本日の「過剰な攻撃」により、一人の市民が失われました。これは重大な人権侵害です。さて、この「行き過ぎた正義」を先導した人物は誰でしょうか? 投票を開始します』
男性は顔色を失った。
「待てよ、俺はみんなが叩いているから参加しただけだ。俺一人のせいじゃない」
隣の女性も震えながら画面を見た。
「そうよ、私は『正義』を守りたかっただけ。悪いのは、あんな脆い謝罪をした彼女の方よ」
しかし、システムは容赦なかった。
数分後、巨大なスクリーンに映し出されたのは――。
SNSで最初に「頭の下げ方が足りない」と投稿した、あの男性の顔だった。
「ターゲット確定。攻撃開始」
今まで男性と一緒に笑っていたはずの数千万人の指先が、一斉に彼を「悪」としてロックオンした。昨日の味方は、今日の処刑人だ。
男性を罵倒するコメントの波。その中には、さっきまで隣で震えていたあの女性の投稿もあった。
『この男のせいで一人が死んだ! 殺人者! 徹底的に叩け!』
女性は必死に画面を叩きながら、心の中で安堵していた。
(よかった。彼が選ばれて。彼が「悪」でいてくれる限り、私はまだ「善人」の側にいられる)
スクリーンの下では、また新しい一輪の花が供えられた。
誰も責任を取らず、誰もが正義の味方であり続け、そして誰もが次の生贄になるのを待っている。
この国には、今日も不快なほど「澄み渡った青空」が広がっていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!