テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
エルカが十四歳になった年、彼女に課されたのは黒の砂漠の隠密踏破、およびそこを支配する魔王軍四天王の一人、死霊術師マルガザルの討伐だった。
黒の砂漠は、その名の通り砂粒の一つ一つが不吉な黒色に染まった絶望の土地である。作物は育たず、昼は肌を焼く酷暑、夜は骨まで凍る極寒が襲う。だが、エルカにとって最大の敵は、過酷な環境でも、四天王の強大さでもなかった。
「……また来た。これで今夜は四回目。いい加減にしてほしい、本当に」
漆黒の砂丘に設置した小さな簡易テントの中で、エルカは毛布にくるまったまま、心底忌々しそうに呟いた。
テントの外からは、カタカタと骨の擦れる不快な音と、地中から這い上がる無数のゾンビたちのうめき声が聞こえてくる。
死霊術師マルガザルの戦術は、極めて陰湿だった。彼は自ら前線に立つことはせず、砂漠全域に埋められた数百万の死体を遠隔操作し、侵入者に対して一切の休息を与えないという泥沼の消耗戦を仕掛けていたのだ。
一千体の死霊たちを一瞬で吹き飛ばしても、十分後には地中から次の一千体が這い出てくる。
仲間を捨て、ソロ活動のエルカにとってこれは、24時間連続勤務、休憩なしという究極のブラック労働環境を意味していた。
砂漠に侵入してから、早くも二週間が経過していた。
エルカの美しい白髪は砂埃でわずかに煤け、代名詞である綺麗な紅色の眼の下には、濃い隈が刻まれている。彼女の精神は、これまでの人生のどの修羅場よりも、凶暴なまでに研ぎ澄まされていた。
「人間の三大欲求のうち、睡眠は最も優先されるべき基本的人権のはず。……あ、この世界には労働基準法も人権宣言もなかったね。本当に野蛮な文明」
ふらつく足取りでテントの外に出たエルカは、迫り来る三千体のスケルトン軍団を睨みつけた。
睡眠不足のせいで、脳の魔力演算スピードが通常の八割まで低下している。このままでは、目標である二十歳までに完全隠居する。というスケジュールに狂いが生じる。それは彼女にとって、死よりも受け入れがたい屈辱だった。
「効率的に殺すだけじゃダメだ。私が寝ている間、自動で、かつ無消費で敵を排除し続けるシステムを構築しないと、私の脳が物理的に焼き切れる」
極限の睡眠不足。その崖っぷちの状況で、十四歳の少女の天才的な頭脳は、新たな魔法の地平を切り拓いた。
既存の防御障壁は、敵の攻撃を受け止めるためのものだ。そのため、攻撃の規模に応じてこちらの魔力を消費する。
ならば、発想を変えればいい。
攻撃を受け止めるのではなく、そこに近づくあらゆる事象の存在そのものを否定し、無に還す空間を自分の周囲に固定したらどうなるか。
エルカは迫り来る骨の矢の嵐を前に、長剣を地面に突き刺し、瞳を閉じた。
「――[虚無の殻]」
彼女の周囲一メートルの空間が、一瞬だけガラスのように歪んだ。
直後、降り注いだ数千の矢、そして一斉に飛びかかってきたゾンビたちが、エルカの肌に触れるどころか、その境界線に接触した瞬間に、音もなく虚無へと消え去った。
衝撃波も、摩擦熱も、一切発生しない。ただ、そこにあったはずの物質が、最初から存在しなかったかのように世界から消去される。
「……ああ、やっと、これで、起こされずに、寝られる」
エルカはその場にバタリと倒れ込み、黒い砂の上で、実に二週間ぶりとなる深い眠りに落ちた。
彼女を取り囲む直径二メートルの虚無の殻に向かって、数万のアンデッドが夜通し武器を振るい、突撃を繰り返したが、そのすべてがただ消滅していくだけの不条理な夜が更けていった。
翌朝。六時間の極上の睡眠を貪ったエルカは、驚くほどスッキリとした顔で目を覚ました。髪を軽く整え、衣服の砂を払うと、彼女の視線は砂漠の中央にそびえ立つ死霊術師の居城へと向けられた。
「おはよう、マルガザル。……さあ、私の有給休暇を盗んだ罪を、精算させに行こうか」
エルカは足元に風の爆発を起こし、猛烈な速度で砂漠を滑走した。
襲いかかる死体の群れは、彼女の[虚無の殻]に触れて消えるだけの消しゴムのクズのような存在に成り下がっていた。城門に到着したエルカは、門番を無視して、[崩壊]の魔力を込めた蹴りの一撃で、厚さ一メートルの鉄門を分子レベルで瓦解させた。
城の最奥、骨で飾られた不気味な玉座の間に、四天王の一人マルガザルはいた。
彼は、自身の無敵のアンデッド軍団を文字通り踏みつぶしてやってきた少女を見て、ガタガタと骨の体を震わせていた。
「き、貴様……! なぜ生きている!? 我が不死の軍勢は、不眠不休で貴様を貪り尽くしたはずだ!」
「…マルガザル。君の戦術は確かに嫌らしかったよ。おかげさまで、私のスケジュールは大幅に遅れた」
エルカは冷淡な歩調で、一歩、また一歩と玉座へ近づく。彼女の長剣の刀身には、怒りの量に比例した禍々しいまでの白と紅の魔力が、高密度で圧縮されていた。
「君が私から奪った睡眠時間は、合計で八十四時間。これを私の時間単価に換算すると、金貨にして約二千枚の損失になる。……この損害賠償、君の命で払ってもらうから」
「ふざけるな! 私は魔王軍四天王が一人。不死のマルガザルだぞ! 貴様のような小娘に――」
「戦闘だけじゃなくて、話まで長い。君、よく周りから嫌がられない? これ以上、私の退勤時間を引き延ばさないで」
エルカの姿が消えた。
次の瞬間、マルガザルの視界は真っ白な光に包まれた。
彼女が放ったのは、[崩壊]の術式を全方位に炸裂させる、容赦のない一撃。
魔王軍四天王という誇りも、彼が何百年もかけて築き上げた死霊術の城も、その一瞬で、ただの黒い砂へと還元された。あとに残ったのは、マルガザルの核であった巨大な魔力結晶だけだ。
戦闘が終わると、砂漠に冷たい夜風が吹き込み始めた。
エルカは、床に転がっているマルガザルの魔力結晶を拾い上げると、無表情にそれを眺めた。
「純度の高い闇の魔力……。うん、これは良い燃料になりそう」
彼女は火属性の微小魔法を指先から放ち、その結晶に点火した。
通常なら大爆発を起こすはずの魔力結晶だが、エルカの精密な魔力制御によって、まるで薪のようにパチパチと穏やかな音を立てて、暖かな紫色の炎を上げ始めた。
「……温かい。私の睡眠を邪魔したんだから、これくらいのサービスは当然だよね」
エルカは炎の傍らに座り込み、リュックから里の干し肉を取り出して齧った。
四天王の一人を倒したというのに、達成感などは微塵もない。あるのは、これで次のエリアへ進めるという事務的な安堵感だけだ。
「魔王軍四天王……要するに、魔王っていう大企業のミドルマネージャーってことか。上からの命令で、現場に無茶な残業を押し付けてくる、一番迷惑な存在。……だったら、やっぱり大元を早急に引きずり下ろして、この会社自体を倒産させるのが一番の手っ取り早い解決策だね」
十四歳の少女は、紫色の炎に照らされながら、手帳に魔王討伐までの残りの工程を書き加えた。
彼女の最強の防御魔法である[虚無の殻]は、こうしてどうしても布団で寝たいという執念から誕生した。世界を救うための力は、彼女の徹底した自己防衛と労働環境への抗議の結晶だったのである。
「……明日は、絶対に十時間寝る」
エルカは静かに目を閉じ、今度こそ、誰にも邪魔されない温かな眠りへと就いた。
2
#ドライ
1,898
#勇者
りな
120
コメント
1件
「眠いから最強の防御魔法を作りました」って、エルカの執念がすごすぎて笑ったw 睡眠不足でイライラしながらも、ちゃっかり完全無敵のシェルを開発するところ、まじで天才だわ……。しかもマルガザルに「私の有給休暇を盗んだ罪」って請求するところ、彼女のキャラがブレてなくて好き。でもその裏で、十四歳の子が一人で二週間も寝かせてもらえなかったって考えるとちょっと切なくなる。次の目標は魔王討伐か…エルカの「定時退社」ライフ、応援したくなる🥀