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「読んだだけで、全部わかる」
その資料は、
花子の机の上に偶然置かれていた。
印刷済み。
ホチキス留め。
タイトルなし。
あるのは、
内部コードと、
やたら丁寧な注釈だけ。
花子はそれを、
コーヒーを淹れる間に
半分読み、
マグを持ったまま最後まで目を通した。
1
「……あー」
それが、
最初の感想だった。
怒りでも、驚きでもない。
理解したときの声だ。
・遅延=異常
・意味=使用回避
・中期指標=禁止
・判断開始点不明=危険兆候
花子は、
紙の端を指でトントン叩いた。
「なるほど。
壊れたんじゃなくて、
壊してる途中ね」
2
隣の部屋から、
ハヤトが顔を出す。
契約更新は、
もう三回見送っている。
更新されていない彼は、
それでもここにいる。
最適化もされず、
削除もされず、
ただ残っている。
「それ、何ですか」
「本部の安心セット」
花子は即答した。
3
ハヤトは資料を覗き込む。
専門用語が多い。
定義が多い。
逃げ道も多い。
「……難しそうですね」
「難しくしてるだけ」
花子は言った。
「要するにね、
考え始める前の一瞬が
怖くなったの」
4
花子は、
自分のマーカーを取り出し、
一行に線を引く。
判断開始点が特定不能
「ここ」
ハヤトは頷く。
「ここで、
“人”が出ちゃった」
5
花子は椅子に座り直す。
「更新って、
判断を速くすることでしょ」
「はい」
「でもね、
速さって、
選択肢を減らすことで
達成してる」
ハヤトは、
何も言わない。
更新されていない彼は、
花子がこういう話をするとき、
邪魔をしない。
6
「α-7ってさ」
花子は、
まるで日常会話のように言う。
「成果が落ちないまま、
意味が増える数値でしょ」
ハヤトの目が、
一瞬だけ動いた。
彼も、
その単語を知っている。
ただし、
もう参照しない。
7
「これ、
本部から見たら地獄だよ」
花子は笑う。
「だって、
失敗してないのに
成功とも言えない」
「……だから“完成”を
復活させたがる」
「そう」
花子は頷いた。
「完成って、
考えなくていい状態だから」
8
ハヤトが、
少しだけ間を置いて言う。
「じゃあ、
月影さんは……」
「見たわね」
即答だった。
「しかも、
見たって言ってない」
9
花子は、
資料を閉じる。
「これね、
もう詰んでる」
「本部が?」
「ううん。
二択が」
削除か、更新か。
その二つしか
用意していない時点で、
答えはもう外れている。
10
「じゃあ、
どうするんですか」
ハヤトは、
契約者としてではなく、
ただの同居人として聞いた。
花子は、
少し考えてから言った。
「使う」
「……何を」
「全部」
11
花子は、
もう一度、資料を見る。
「“遅延”って言葉、
異常にしたでしょ」
「はい」
「じゃあ、
遅れる人間を
前提に組めばいい」
ハヤトは、
ゆっくり瞬きをした。
12
「更新されない人間と、
更新された人間と、
その中間」
花子は指を折る。
「それ全部、
使える現場にすればいい」
「……本部は嫌がりますね」
「嫌がるでしょうね」
花子は、
まったく困らない顔で言った。
「だから、
更新しないの」
13
ハヤトは、
小さく息を吐く。
「僕、
更新されてなくて
よかったですか」
花子は、
少しだけ考えた。
「うん」
即答ではなかった。
でも、
迷いもなかった。
14(締め)
花子は、
資料を裏返しにして
引き出しにしまった。
「これ、
そのうち“事故”って呼ばれる」
「今日のことが?」
「いいや」
花子は立ち上がる。
「理解されたことが」
本部はまだ、
それを知らない。
だが、
更新されなくなっても
契約している人間がいて、
最適化されても
遅れる人間がいて、
そして――
一読で
構造を掴む人間がいる。
それだけで、
もう十分だった。