転勤のことを隠していてもしょうがないので次の日、自分に身近な同僚を会議室に数人集めて、いなくなることを言い伝えた。
それと同時に、クラッシャー橘についての対策も一緒に考える。
置き土産になるかはわからないが、引き継ぎのみで立ち去るよりマシだと、自分に暗示をかけながら、本社に行く日までを過ごした。
そんな慌ただしい毎日の隙間に、やっと青年と逢う約束を取りつけた。地元から旅立つ2日前のことだった。
待ち合わせ場所は、青年が住んでいる駅の傍にある、某ファーストフード店にした。夕飯の時間帯だったのもあり、店内が込んでいたのか、彼は店の前に佇んでいた。
やって来る高橋を見つけた途端に、青年はやるせなさそうな表情になる。あからさまに暗く沈んだ気分を、少しでもいいから浮上させたくて、笑顔で話しかけた。
「待たせて悪いね。一緒についてきてほしい場所があるんだ」
楽しげに話しかけた高橋を、青年はちらりと一瞥するなり、仕方なさそうに駆け寄った。歩き出したあとを追うように、ちょっとだけ後方を歩きはじめる。
(肌に感じるうんざりしたこの感じは、牧野に脅されたときの俺と同じか――)
そんなことを考えながら、繁華街に向かった。
「あの、土地勘があるんですか?」
いつもと違う場所を、迷いなく進んでいく高橋に、青年は疑問に思ったことを口にした。
「そうだね。はるくんと同じ大学に通っていたって言ったら、納得してくれる?」
「……同じ大学に通っていたんですか?」
前を向いたまま答えた背中に、ふたたび質問を投げかける。
「ちなみに、いつも待ち合わせで使っていたあの場所は、高校まで住んでいたところなんだよ。今現在、住んでいる場所はナイショ」
青年から訊ねられた質問について、高橋は素直に答えた。
そんな自分の返答を聞き、どんな顔をしているのかを知りたくて振り返ると、猜疑心を含んだ眼差しと視線がかち合う。普段から青年に嘘ばかりついているせいで、信頼されないのは当然のことだと頭で割り切りながら、笑顔を絶やさずに話しかけた。
「ふっ、そんな不安そうな顔をしないでくれ。罪滅ぼしに、いいところに連れて行ってあげるから」
「…………」
「大丈夫だって。今日を最後に、俺たちの関係はお終いなんだ。離れた場所に、転勤が決まってしまってね」
言いながらポケットからスマホを取り出し、手早く操作してから、青年に手渡してやった。画面に表示されている画像は、彼を脅すために撮影したもので、それを見た瞬間に青年の眉間に深いしわが刻まれる。
「それ、削除していいよ。やり方わかる?」
何も言わずスマホの画面を食いつくように見つめると、両手の指先で操作して、素早くそれを削除した。
「石川さん他の媒体に、この写真を記録していたりなんて」
「そんな面倒なことをしちゃいない。誤ってその画像が他人の目についたら困るし、悪用されたら堪ったもんじゃないからね。貸してごらん?」
青年に向かって左手を差し出したら、やんわりとスマホを返された。
高橋の手元と顔を交互に見比べる視線を感じつつ、外部メモリを表示させ、くるりとスマホを反転させて青年に渡した。
「ついでに、はるくんの名前を消してくれ。本名で登録してある。それからスマホ本体に入っている方も」
訝しげな表情を崩さずに、自分のプロフィールをスムーズに削除し終えてから、スマホの検索機能を使って、改めてチェックする慎重な様子を見て、高橋がぽつりと呟いた。
「信頼されないのは当然だよな」
これまでおこなってきた仕打ちを振り返りながら、ちらっと隣を見る。さっきまではちょっとだけ背後を歩いていた青年が、自分の隣にいることを嬉しく思った。そんな感情が優しい口調となって、口から飛び出る。
「俺と違ってこれから逢う人は、安心できるヤツだよ。何かあったら遠慮なく、相談するといい」
自分よりも背の高い青年に手を伸ばして、頭を撫でてやる。突飛な高橋の行動に驚いたのか、青年は目を見開きながら見下した。
「……はるくんにこんなことをしたって、安心感を与えられるわけじゃないのに、何をやっているんだろ」
まじまじと見つめられたせいか、高橋はらしくないくらいに動揺するなり、慌てて手を引っ込めた。頬に溜まっていく熱を感じて俯き、視線を意味なく彷徨わせる。
「あの、これお返しします」
青年が、自分の個人情報諸々をを削除したスマホをそっと差し出すと、手間をかけさせたねと無理やり平静を装って告げてから、スーツのポケットに忍ばせた。
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