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「……ふぅ」
自席に戻り、パソコンのモニターを見つめるふりをして、私は深呼吸を繰り返した。
右肩には、まだ先輩の手のひらの熱が残っている気がする。
『俺、彼女と付き合ってるんです』
先輩の口から出たその言葉が、脳内で何度もリピート再生される。
たとえ嘘でも、美佐子さんの前でのあの堂々とした宣言は、私の心をかき乱すには十分すぎた。
「田中さん、ちょっといいかな」
背後から声をかけられ、椅子がガタッと鳴るほど驚いて振り向く。
そこには、仕事を終えたのか、ジャケットを腕にかけた高橋先輩が立っていた。
「あ、高橋先輩!お疲れ様です」
「お疲れ様。……さっきの続きなんだけど、ちょっと作戦会議しない?」
「作戦会議…ですか?」
「うん。美佐子さん、さっき俺のデスクの横を通るときに『今度、二人でデートしてる写真でも見せてよ』なんて意地悪なこと言っていってさ」
私は絶句した。
さすが美佐子さん、疑い深さが一級品だ。
でも、写真……? ということは。
「だからさ、今度の土曜日。本当に二人で出かけない? 写真を撮るっていう名目だけど……もちろん、田中さんの都合が良ければ」
「……! はい、もちろんです。空いてます!」
食い気味に答えてしまい、慌てて口を押さえる。
先輩は「良かった」と楽しそうに笑った。
「じゃあ、土曜の11時に駅前で。……あ、一応これ。連絡先、交換しておこうか。恋人なのにLINEも知らないのは不自然だろうからね」
先輩が差し出してきたスマートフォンの画面。
私は震える手で自分のスマホを取り出し、憧れていたそのアカウントを友だちに追加した。
表示された【高橋徹】の文字が、現実味を帯びて迫ってくる。
その夜。
家に帰った私は、クローゼットの前に立ち尽くしていた。
「これって実質デート……いや、違う。作戦会議のための、写真撮影…よね」
自分に言い聞かせても、顔がにやけてしまう。
先輩は「ベタベタしなくていい」って言っていたけれど
恋人に見える写真なら、手を繋いだり、距離を詰めたりしなきゃいけないんじゃ……?
想像しただけで、ベッドに倒れ込みたくなるほどの気恥ずかしさが襲ってきた。
これはあくまで、先輩を助けるための『お仕事』の延長。
そう、私は立派に「偽装彼女」を演じきらなきゃいけないんだ。
でも、スマホの画面に届いた『土曜日、楽しみにしてるね』という先輩からの短いメッセージに
私の決意はいとも簡単に崩れ去った。
───私だけが本気で、私だけが幸せな、残酷で甘い週末が始まろうとしていた。
#ワンナイトラブ