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土曜日の午前11時
駅前の広場は、待ち合わせの人々で賑わっていた。
私は何度もスマートフォンの画面を鏡代わりにして、前髪を整える。
今日のために新調した淡いベージュのワンピース。
気合を入れすぎだと思われないか
でも「彼女」に見えないのも困るし……。
そんな自問自答を、家を出てからもう百回は繰り返している。
「田中さん」
聞き慣れた、でもいつもより少し低く響く声。
振り返ると、そこには黒のサマーニットに細身のデニムを合わせた
驚くほど格好いい高橋先輩が立っていた。
「あ……高橋先輩!お、おはようございます」
「おはよう。……私服、すごく似合ってるね」
さらりと言い放たれた言葉に、心臓が跳ね上がる。
先輩は眩しそうに目を細めて笑うと、「行こうか」と歩き出した。
向かったのは、駅から少し離れた場所にあるお洒落なテラスカフェ。
「まずは、美佐子さんに見せるための写真を撮っちゃおうか。ほら、ここ、背景が綺麗だし」
先輩が自分のスマートフォンを取り出し、自撮りの構えをする。
「もっと寄らないと、仲良さそうに見えないかな」
そう言って、先輩がぐいっと顔を近づけてきた。
(ち、近い……っ!)
先輩の肩と私の肩が触れ合う。
ふわっと漂う、職場で嗅いだのと同じ、でももっと濃密に感じる先輩の香り。
緊張で体が強張る私を察したのか、先輩がくすっと笑った。
「田中さん、顔が硬いよ?…ほら、笑って」
カシャッ、と軽いシャッター音が響く。
画面を確認すると、そこには満面の笑みを浮かべる先輩と
顔を真っ赤にして引きつった笑いを浮かべる私が映っていた。
「あはは、田中さん、嘘が苦手そうだね。…じゃあ、次は俺が撮るから。あっちの噴水の前で立ってて」
撮影という名目で、先輩のレンズが私に向けられる。
向けられる視線、向けられるレンズ。
その一つ一つが「演技」なのだと分かっているのに大切にされているような錯覚に陥ってしまう。
「……うん、いい感じ。じゃあ次は、二人の『手』、撮っておこうか」
先輩がテーブルの上に自分の大きな手を置いた。
「……え?」
「繋いでる風に見える写真。これがあれば、言い逃れできないでしょ?」
促されるまま、私は震える指先を、先輩の手のひらに重ねた。
ごつごつとした、男の人らしい、温かくて大きな手。
その瞬間、先輩の指が私の指の間に滑り込み、ぎゅっと、優しく絡められた。
「……っ」
「…これなら、それっぽく見えるはずだ」
先輩の声が少しだけ、いつもより熱を帯びているように聞こえたのは
私の願望が見せた幻聴だったのだろうか。
繋がれた手のひらから伝わる熱に
私はもう、立っているのがやっとだった。
#ワンナイトラブ