テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
満月が中天にかかる頃、アパートのベランダで僕らはお月見していた。葵が作ったお団子と花屋で買ったすすきを飾り、テーブルには熱い緑茶を用意して。外の空気はひんやりとしていて、都会の喧騒も少し遠のく夜だ。
「見て。あそこの雲の切れ間から、きれいな月が出てきたよ」
葵の指先を辿ると、確かにそこだけ夜空が切り取られたように澄んでいて、満月が静かに微笑んでいる。銀色の光が彼女の横顔を照らし出し、いつもの優しい笑みを一層輝かせている。
「不思議だね。いつも見上げてるのに、今日だけ特別な気がする」
そう言う葵の言葉に、僕はうなずいた。
確かにそうだ。月は毎日姿を変えながら空に浮かんでいるのに、この十五夜の満月は特別だ。何か神聖なものに触れられるような気持ちになる。
「昔からお月様って人々に親しまれてきたんだよね。平安時代の人たちは、こんな風に集まって詩を詠んだりしたのかな」
「そうかもね。今より月が近く感じられた時代だから、もっと身近だったのかも」
月明かりの下で交わす他愛もない会話。それが何よりも贅沢に感じられる時間だった。しかしその時──突如として異変が起きる。
「あれ? 直樹くん、なんか月……大きくなってない?」
葵の不安げな声に振り返る。すると確かに、満月がゆっくりとこちらに向かってくるように見えた。まるで巨大な銀の盆が空から落ちてくるかのように。
「え? いや……そんなわけ……」
だが次第に、その錯覚は確信へと変わっていった。月が本当に近づいてきているのだ。街の灯りをすべて飲み込んでしまう圧倒的な存在感。そして恐怖。
「逃げよう! 葵!」
僕は咄嗟に彼女の手を掴み、部屋の中に駆け戻った。後ろを振り返ると、もう月は目の前に迫っていた。
ガラス越しでも感じる圧力。鼓動が狂ったように早まり、全身から冷たい汗が噴き出す。
「もうダメだ!」
叫び声とともに飛び起きる。額からは冷たい汗が流れ落ちていた。視界には、満月が煌々と輝いている。
「大丈夫? 直樹くん……すごい汗だよ」
心配そうな表情で覗き込む葵の姿があった。柔らかい髪が肩にかかり、月の光に照らされて淡く輝いている。あの月に捕まらずに済んだという事実が、徐々に現実味を帯びてきた。
「夢……だったんだ……」
深く息をつきながら呟く。あまりにもリアルだった。あれが現実でなくて良かった。本気でそう思った。
「うなされていたから起こしちゃった。ごめんね」
葵は申し訳なさそうに言いながら、僕の額に手を当てた。温かくて小さな手。その感触が、急速に落ち着かせてくれる。
「ありがとう。ちょっと怖い夢を見てたみたい。でも葵がいてくれて良かった」
そう言って微笑むと、葵もほっとしたように目尻を下げた。
「ほら、月はちゃんと遠くにいるよ。私たちを見守ってくれてるわ」
相変わらず空には美しい満月が浮かんでいた。今はもう威圧感など全く感じない。ただ優しく、柔らかな光を地上に注いでいる。
「うん。本当だね。月って不思議だね。時には恐ろしく見えることもあるけど、こうして眺めるとやっぱり綺麗だ」
葵の肩を抱き寄せると、彼女もそっと寄り添ってきた。二人でベランダに並んで座り、再び月を見上げる。怖い夢を見た後の反動か、今のこの瞬間が幸せに感じられた。
「ねぇ直樹くん」
ふと、彼女が名前を呼ぶ。首を傾げると、少し恥ずかしそうに目を伏せて言った。
「キスしていい?」
思いがけない言葉にドキリとする。彼女の真剣な眼差しを見て、すぐにうなずいた。
「もちろん」
そう答えると同時に、唇が重なる。最初は軽く触れるだけだったけれど、次第に深く、情熱的に。月明かりの下での口づけは、いつもより甘く感じられた。
「あの月のせいかな? なんだか今日は君がすごく愛おしくて仕方ないんだ」
キスの合間に囁くと、葵は顔を赤らめながらも嬉しそうに微笑んだ。
「私も同じ気持ち。不思議ね。こんなにロマンティックなお月見初めて」
月は遠くから僕たちを見守り続けている。夢の中ではあんなにも恐ろしく感じたのに、今はただ優しく輝いているだけだ。
「葵」
名前を呼びながら彼女を強く抱きしめる。細い身体を腕の中に収めると、世界中の何よりも大切な宝物だと思えてくる。
「ずっと一緒にいてね。怖い夢を見るときは起こしてあげるから」
「うん。約束するよ」
月の光に照らされながら、僕らはお互いの存在を確かめ合う。怖い夢も幸せな時間も、全部月の下で起きている出来事。それはきっと、これからも続いていく僕らの物語なのだろう。
サブくま@目指せ週1更新!
1,801
羽海汐遠
12,218
#ヤンデレ
コメント
1件
読ませてもらいました🌙 満月の描写がすごく綺麗で、最初は穏やかなお月見の雰囲気なのに、急に異変が起きてドキドキしました…。夢オチかと思ったら、その後の葵との温かいシーンがすごく印象的で。月明かりの下でのキス、すごくロマンティックでじんわりしました。怖い夢も、大切な人がそばにいてくれるだけでこんなにも変わるんだなって。クマさんの文章、優しくて好きです。次も読ませてください🤍