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《NASA/PDCOオペレーションルーム》
壁一面のスクリーンに、
いつもより少しだけ太い文字が浮かんでいた。
『TSUKUYOMI TCM-1
ΔV 計画値:+3.4cm/s
噴射時間:47秒』
「――各系統、ファイナルチェックに入る。」
フロア責任者の声が響く。
「推進系、ステータス。」
『推進系グリーン。燃料圧・温度ともに正常。』
「姿勢制御。」
『全軸姿勢、誤差0.02度以内。ジャイロ・スタート準備完了。』
「通信。」
『往復遅延 1.8秒。回線安定。コマンドアップリンク正常。』
アンナ・ロウエルは、
腕を組んだまま
軌道図を見上げていた。
青い地球の外側を
細い線が伸び、
その先で Fragment B の軌道と
ほとんど重なりそうになっている。
「……ここで、
ほんの“3.4cm/s”。」
自分に言い聞かせるように
小さくつぶやく。
隣の解析担当が、
彼女の方をちらりと見る。
「主任、
IAWNとSMPAGには
“予定どおり実施”と通知済みです。」
「TCM-1 の結果は、
初期解析が出た段階で
速報を流すようにします。」
アンナは頷いた。
「“完璧な成功”なんて
言葉は使わないで。」
「“計画値に対して
許容誤差内”まで。」
「はい。」
スクリーンの片隅で、
小さな数字が点滅を始める。
『TCM-1 開始まで 00:05:00』
新人スタッフが、
少し震えた声で尋ねた。
「……主任。」
「これが、
“世界線を分けるハンドル”なんですか。」
アンナは
一瞬だけ目を閉じてから答えた。
「いいえ。」
「“世界線を分ける可能性に
手を伸ばすペダル”くらいよ。」
「踏んだからって
必ず曲がるとは限らない。」
「でも、
踏まなかったら
永遠に曲がらない。」
新人は、
その言葉を
かみしめるように頷いた。
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンス管制室》
壁の時計は、
日本時間の真夜中近くをさしていた。
眠いはずなのに、
誰の目も冴えている。
大画面には
ツクヨミの機体CGと、
実際のテレメトリが並んでいた。
「日本側、最終確認入ります。」
白鳥レイナの声が、
落ち着いてフロアに響く。
「美星スペースガードセンターからの
直近の観測、反映済み?」
「はい。
Fragment B の軌道解、
誤差楕円がさらに一段狭まりました。」
「CNEOS とも整合取れてます。」
別の担当が続ける。
「ツクヨミの現在位置、
Fragment B に対する
将来の相対位置ズレ、」
「TCM-1 実施前提で
“半径50メートル以内”の
衝突コーンに入る見込みです。」
レイナは、
ホワイトボードに
最後の一行を書き足した。
『今日の目標:
“ちゃんと踏んで、ちゃんと曲がる”』
若手の一人が、
思わず苦笑する。
「先生、
教習所みたいですね。」
「宇宙教習所よ。」
レイナも
少しだけ笑った。
「ただし、
教官は誰もブレーキ踏んでくれない。」
「だから、
今日だけは“怖い”と思っていい。」
「怖いと思ってる人間の方が、
ちゃんと確認するから。」
モニターの端で、
NASAとJAXAをつなぐ回線が点灯する。
『NASA/PDCO ラインオープン。』
アンナの顔が映った。
「こちらPDCO。
TSUKUYOMI TCM-1、
まもなくファイナル・カウントに入ります。」
レイナは
軽く手を振る。
「こちらJAXA/ISAS。
日本側も準備OK。」
「……行きましょうか、アンナ。」
「ええ。」
「“日本の矢を、
世界の矢にするための一歩”よ。」
その一言に、
管制室の空気が
少しだけ引き締まった。
《総理官邸・状況室》
大型モニターには、
ツクヨミの軌道図と、
JAXAからのリアルタイム報告画面。
鷹岡サクラ、藤原危機管理監、
防衛大臣の佐伯、
科学顧問の黒川が
テーブルを囲んでいた。
「――まもなく
TCM-1 開始時刻です。」
藤原が
淡々と状況を読み上げる。
「日本時間で午前1時。
噴射時間は47秒。」
「結果として得られる ΔV は
数cm/s ですが、」
「Fragment B との
将来の相対位置を
数百km単位で変える可能性があります。」
佐伯が
腕を組んだままうなる。
「いやはや、
昔は“ミサイルの軌道計算”で
頭を抱えていたのに、」
「今や“隕石の方を押しのけよう”とは。」
黒川が、
少し苦笑いまじりで言う。
「科学的には
“押しのける”というより
“ほんの少しタイミングをずらす”
だけなんですけどね。」
「ほんの少し、
が難しいんだ。」
サクラは、
モニターから目を離さない。
(ここで“成功したからといって”、
明日全部が安心に変わるわけじゃない。)
(でも“何も変わらなかった”世界よりは、
一歩でもマシであってほしい。)
藤原が
静かに続ける。
「総理、
TCM-1 は
完全な非公開作業にはしていません。」
「しかし、
“明け方のブリーフィングで
結果を簡潔に伝える”形にしています。」
「“世界が決まる瞬間”ではなく、
“リスクを少し減らす試みの一つ”として。」
サクラは頷いた。
「ありがとうございます。」
「……“静かにペダルを踏んだ夜”として、
歴史に残ればいいですね。」
誰も
その言葉にツッコまなかった。
《NASA/PDCO & JAXA/ISAS
共同カウントダウン》
時刻表示が
ゆっくりとゼロに近づく。
『TCM-1 開始まで 00:00:30』
「最終姿勢、確認。」
『ロール・ピッチ・ヨー、
全軸目標値内。』
「スラスタ系プレチェック、グリーン。」
「コマンド送信系、グリーン。」
フロアに
短い沈黙が落ちる。
「――TCM-1 ファイナル・カウントに入る。」
「10、
9、
8――」
アンナはモニターをにらみ、
レイナは手元のチェックリストを握りしめる。
「3、
2、
1――」
「スラスタ点火コマンド送信!」
コンソールに
“コマンド送信”のランプが点灯し、
1.8秒後、
「ツクヨミ・メインスラスタ起動確認。」
テレメトリのグラフが、
なだらかにカーブを描き始める。
スラスタの噴射圧、
機体の微妙な揺れ、
加速度。
「……来い。」
誰かが
思わずつぶやく。
「噴射継続、10秒。」
「20秒。」
「姿勢制御、許容範囲内。」
「噴射30秒。」
「推進系、異常なし。」
残り10秒を切ったところで、
レイナは
ほんの一瞬だけ目を閉じた。
(ここから先は、
もはや“任せる”しかない。)
「――噴射停止コマンド送信。」
少しのタイムラグののち、
モニターの噴射圧グラフが
すっとゼロに落ちた。
「スラスタ停止確認。」
短い沈黙。
「ΔV 解析入ります。」
コンソール上の数字が、
高速で更新されていく。
予定値:+3.40cm/s
実測:+3.37cm/s(±0.02)
「……ΔV、
計画値に対して誤差0.03cm/s。」
「姿勢ズレ、
許容範囲内。」
解析担当が
小さく息を吐き、
それでも慎重に言葉を選んだ。
「TCM-1、
“技術的には成功”と判断して
よいと思います。」
アンナは、
ゆっくりと椅子にもたれかかった。
「“技術的には”ね。」
「Fragment B 側の誤差を含めた
最終コリドー更新は、
これから数時間かけて
じっくりやりましょう。」
レイナが、
モニターを見つめたまま
ぽつりと言う。
「でも今の一瞬で、
ツクヨミは“ただ近くを通るだけの物体”から
“本気でぶつかりに行く矢”に
変わった。」
「それだけは、
胸を張っていいと思う。」
管制室のあちこちで、
小さな拍手が起こる。
大声で叫ぶ者は
ひとりもいなかった。
ただ、
静かに手を打ち鳴らす音だけが
重なっていった。
《総理官邸・状況室》
JAXAからの速報が届く。
藤原が、
短くまとめて読み上げた。
「――TCM-1、
予定どおり実施。」
「ΔV は
計画値に対して誤差0.03cm/s。」
「“技術的には成功”との報告です。」
佐伯が
小さくうなる。
「……やったか。」
サクラは、
少しだけ息を吐いた。
(“やったか”じゃない。
“やれることはやった”だ。)
「IAWNとSMPAGには?」
「JAXA・NASA連名で
“TCM-1 実施報告”が発出されました。」
「数時間以内に
Fragment B のコリドー更新が
共有される見込みです。」
中園が
タブレットを開く。
「一般向けには、
“ツクヨミの進路微調整が
予定どおり行われた”とだけ
速報で流します。」
「“結果”は、
数字が出てから。」
サクラは頷いた。
「……今はまだ、
“ペダルを踏んだ”だけ。」
「“曲がったかどうか”を
焦って口にするのはやめましょう。」
窓の外は、
まだ夜の色をしている。
(この暗さの向こうを、
あの矢が飛んでいる。)
(“生きたい”と願う人たちのほうへ
ほんの少しでも
コースを傾けられていますように。)
《深夜のコンビニ休憩スペース》
店内のテレビに、
ニュース速報のテロップが
静かに流れた。
〈第二の矢ツクヨミ、
予定どおり軌道修正を実施〉
〈落下リスク低減へ向けた“第一歩”〉
夜勤明けの青年が、
缶コーヒーを片手に
それを見上げる。
「……終わったの?
もう何か変わったのかな。」
隣の席で、
タクシー運転手らしい男が
首を振る。
「すぐに“何か変わりました”って
ニュースになる話じゃねぇよ。」
「ハンドルちょっと切っただけだ。」
「でもさ。」
青年は
空になった缶を弄びながら言う。
「“誰かが
ちゃんとハンドル握ってる”ってだけで、
少しマシな気はする。」
「今まで、
誰も握ってなかったんだろ。」
男は、
ふっと笑った。
「そうだな。」
「ずっとノーブレーキの
暴走列車に乗ってる気分だったけど、」
「少なくとも
運転席に人間がいるなら、
まだ文句言える。」
二人とも、
目はテレビから離さなかった。
《黎明教団・オンライン配信》
天城セラの配信は、
いつもより
少しだけ暗い照明だった。
「――今、
彼らはツクヨミという矢の
ハンドルを切りました。」
「“世界を守るため”だと
彼らは言うでしょう。」
「けれど、
そのハンドルは同時に、」
「“本当は終わるはずだった世界”を
無理やり延命させるための
ペダルかもしれません。」
コメント欄が
一気に流れ始める。
〈やっぱりそうだ〉
〈終わるはずの世界、か〉
〈延命なんていらない〉
セラは、
静かに続けた。
「私は、
暴力をすすめません。」
「ただ――」
「“本当に自分が望む世界”が
どんな形なのか。」
「ハンドルを握れない私たちこそ、
問われているのだと思います。」
その言葉は、
表向きは穏やかだった。
だが、
それを聞いた一部の人間の胸には、
別の形の“決意”が
静かに芽生えてしまうかもしれない。
Day27。
オメガ予測落下日まで27日。
第二の矢ツクヨミは、
120メートルの Fragment B に向けて
初めて本格的に「ハンドルを切り」、
数cm/s の小さな蹴りで
何十万km先の世界を
少しだけずらそうとした。
技術的には成功。
だが、
その“成功”が
どこの空を救い、
どこの空を救えないのか――
それを知るためには、
まだ少しだけ、
時間が必要だった。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.