────トラブルは、その日の夜に起きた。
自分たちの仕事の時間を終え、ヒルデガルドとイーリスはカジノへやってきていた。クレイグに『時間があれば』と誘われて遊びに来たのだが、彼の姿はまだ見当たらず、しばらくは二人でふらふらと見て回った。
「本当にカジノというのは騒がしいな。耳が痛くなりそうだ」
ギャンブルに興味のないヒルデガルドには居心地が悪い場所に感じる。イーリスは、少し興味があるのか、ルーレットを見てワクワクしていた。
「……駄目だぞ、今日は金を持ってきてないんだから」
「わ、わかってるよ!? ボクもそんなに馬鹿じゃないよ!」
もし持って来ていれば絶対に遊んだに違いないと呆れた。
「それにしても、クレイグの奴、遅いな。すれ違ったか?」
広いうえに大人数が行き交うのでは、見失った可能性も高い。外見的に甲冑姿のクレイグは目立つが、逆にヒルデガルドたちは魔導師らしいローブを着ていても、派手な貴族たちの衣装の中に溶け込んで目立ちにくい。相手が気付かずに通り過ぎてしまったとしたら、と思い、カジノの入り口付近で待つことにした。
「イーリス。……なんだか妙じゃないか」
「うん? 何か気になることでもあった?」
「ああ。さっきから胸騒ぎがするんだ」
ヒルデガルドの直感はよく当たる。特に悪い方面には。これまでも旅の中で、そうやって危機を切り抜けることもあった。もしかすると、何かあったのかもしれない。クレイグはまだデッキにいるのでは? そんな想像が頭を過った──直後。
カジノの灯りがぶつんと音を立てて全て消える。ざわつく中、ヒルデガルドだけが冷静に周囲を警戒する。何か起きないかと、いつでも杖を手にする準備があった。だがほどなくして灯りは元通りになり、ただの小さなトラブル程度だったのだろうか、と騒ぎが収まりつつあった頃に、入り口の二枚扉を勢いよく開いた冒険者が叫んだ。
「ワ、ワイバーンの群れだ! かなりの数がいるから雇われてる冒険者はデッキに集合してくれ! 奴ら、飛空艇の結界をぶちぬきやがった!」
何人かの冒険者は残って乗客の避難を始める。我先にと押し合いになっている中、ヒルデガルドたちは即座にデッキを目指す。
「安全な航路での運行って聞いたんだけど、どういうこと?」
「さあな。結界が破られたのなら考えるのはあとだ」
急いでデッキに出てみれば、数十から百はいそうなワイバーンの群れが飛空艇を取り囲んでいる。薄い膜のような結界は既に破壊され、船体に打撃を受けないよう冒険者ギルドの魔導師たちが、必死に結界を張り直そうと試みていた。
「どうする、ヒルデガルド? 結界を張り直した方が……」
「いや、ワイバーンは獲物を捕えるまで追跡する貪欲な連中だ。数が多すぎるから、いくらか減らしてからのほうが良いだろう」
いざというときに結界を強化するはずの専属魔導師の姿もデッキには見当たらず、艇内へ避難する乗客たちの中にでも紛れたんじゃないかとヒルデガルドはひどく呆れた。どちらが三流かは、考えるべくもない。
「ヒルデガルドさん! 応援に来て頂けましたか!」
「クレイグ。乗客の避難は済んだか?」
「はい、これで我々も防衛に専念できます」
空を飛び交う小型の龍種であるワイバーンは、一体ずつがそれなりに強力で、ゴールドランクの冒険者たちが数人がかりでやっと一匹倒せるほどだ。強靭な鱗に守られた皮膚、鉄さえも引き裂くような鋭く分厚い爪。さらには火球まで吐くので、魔導師でもないかぎり、空での戦いは彼らに分がある。
しかし、魔導師でも簡単に倒せないうえ、今回に限っては大勢の乗客を守らねばならない。防戦一方の状況で、飛空艇の操舵室から船長らしき男が顔を出して「あんたら、こんな状況で悪いが、少しでも時間を稼いでくれ! 飛空艇が連中の攻撃で傾かねえように俺たちがなんとかする!」と、声を張り上げた。
「フ、頼りになりそうな男じゃないか」
「ええ、まったくです。しかし、どうしましょうか」
空を見上げて、クレイグはため息をつく。
「俺たちではとても、この数は相手にできません。俺も既に何匹かは落としたんですが、負傷者も出ています。このままでは落ちるのを待つだけです」
ヒルデガルドは状況を把握しながら、イーリスに手を差し出す。
「君の杖を貸してくれるか。すぐに済ませる」
「ボクの杖、安物だけど大丈夫?」
「問題ない。ワイバーン程度ならな」
杖を受け取り、魔力を込めて飛行するワイバーンに振りぬく。先から放たれた雷撃が瞬く間に頭部を直撃し、何匹かを落としてみせる。その光景を目の当たりにした冒険者たちも呆気にとられるほどの驚きだった。
「ヒ、ヒルデガルドさん……。あなたはいったい……」
「今はそんな話をしている場合ではないだろう、クレイグ」
続けざまに強力なワイバーンたちを雷撃が狙い撃つ。既に彼女ひとりで、たった数分と経たない間に十匹以上を落としていた。
「あと何匹いるか知らんが、早くに仕留めて────」
次のワイバーンを狙った瞬間、空から降って来る影に杖を向ける。放った雷撃が撃ち落としたのは、大きな戦斧だ。
「……ハッ。いったいこれはどういうことだ?」
飛空艇に飛び降りて来たのは、二匹の巨大なコボルトロード。状況の飲めない異常事態に、流石のヒルデガルドも僅かに動揺した。これは何者かの仕業だ、と。
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