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#恋愛
ばたっちゅ
20,092
#誓い
耀聖(ようせい)
381
第107話 大丈夫じゃない日
あの日、すべての約束を叶えた。
朝の駅を見に行った。
昔と同じ場所で写真を撮った。
ありがとうを伝えた。
そして、最初に出会った場所にも戻った。
もう、思い残すことなんてない。
琴葉は、そう思っていた。
――少なくとも、昨日までは。
「……琴葉?」
隣を歩いていた律の声に、琴葉は顔を上げた。
「え?」
「さっきから、静かだから」
「そう?」
「うん」
いつものように笑ってみせる。
「大丈夫だよ」
その言葉を口にした瞬間。
律の足が、ほんの少しだけ止まった。
「……琴葉」
「なに?」
「今の、ほんとに?」
その聞き方が、優しかった。
責めるわけでもない。
疑うわけでもない。
ただ、本当に知りたいという声だった。
琴葉は返事をしようとして――やめた。
昔なら、きっと笑って終わらせていた。
大丈夫。
平気。
なんでもない。
嫌われたくなくて。
心配をかけたくなくて。
面倒な人だと思われたくなくて。
ずっと、そうやって自分の気持ちを隠してきた。
でも。
「……大丈夫じゃ、ないかも」
声にした瞬間、胸の奥が少し震えた。
律は何も言わなかった。
ただ、琴葉の隣に立った。
「そっか」
それだけだった。
「……それだけ?」
琴葉が少し笑うと、律も小さく笑った。
「何か言ったほうがいい?」
「ううん」
「じゃあ、隣にいる」
その言葉に、琴葉の目が少し熱くなった。
昔もそうだった。
何かを無理に聞き出すわけでもなく。
答えを急かすわけでもなく。
ただ、隣にいてくれた。
だから琴葉は、ゆっくり息を吐いた。
「……昔のこと、全部思い出したでしょ」
「うん」
「楽しかったことも、嬉しかったことも、嫌だったことも」
「うん」
「全部思い出したから……なんか、今になって怖くなった」
律は静かに聞いていた。
「また、失ったらどうしようって」
その言葉を口にした途端、
琴葉の目から涙が一粒落ちた。
「せっかく全部取り戻したのに……また何かなくなったらって考えちゃう」
「……そっか」
律は少しだけ考えてから言った。
「俺も、同じかもしれない」
琴葉が顔を上げる。
「律も?」
「うん」
律は前を見たまま続けた。
「思い出せたことが嬉しい。でも、思い出したからこそ……もう失いたくないって思う」
少しだけ間を置く。
「だから、怖い」
その言葉を聞いて、琴葉は泣きながら笑った。
「……律も『大丈夫じゃない』って言えるんだね」
「琴葉が先に言ったから」
「なにそれ」
「一人だったら、たぶん言えてない」
律も笑った。
二人とも、昔とは少し違っていた。
傷がなくなったわけじゃない。
怖さが消えたわけでもない。
ただ――
怖いと言えるようになった。
助けてほしいと言えるようになった。
「ねえ、律」
「ん?」
「これからも、こういう日あるかな」
「あると思う」
迷いのない答えだった。
琴葉は少し驚いて、それから笑った。
「即答なんだ」
「だって、たぶんあるよ」
「そっか」
「でも」
律が琴葉を見る。
「そのときは、大丈夫じゃないって言えばいい」
「……うん」
「俺も言う」
「うん」
二人はゆっくり歩き出した。
もう、過去に戻るためじゃない。
失ったものを探すためでもない。
これから先に進むために。
その日の帰り道。
琴葉のスマホに、一枚の写真が表示された。
今日撮ったものではない。
もっと昔の写真。
二人がまだ、
自分たちの本当の名前さえ知らなかった頃。
写真の端に、手書きの文字が残っていた。
――『大丈夫じゃない日も、一緒に帰ろう。』
琴葉はしばらく、その文字を見つめた。
そして隣を歩く律に、画面を見せる。
「……これ、約束に入ってなかったよね」
律は写真を見て、少し笑った。
「じゃあ」
「うん」
「今日からの約束にしよう」
琴葉は頷いた。
「大丈夫じゃない日も、一緒に帰る」
その言葉は、今までのどんな約束よりも近く感じた。
過去を取り戻すための約束じゃない。
未来を一緒に歩くための約束だった。
コメント
1件
第107話、すごく沁みました……。 「大丈夫じゃないかも」って言えた琴葉ちゃんの勇気と、それを押し付けずに「そっか」「隣にいる」って返した律くんの距離感、本当に優しくて。 思い出したからこそ怖くなる感情、すごくわかる気がした。 最後の「大丈夫じゃない日も、一緒に帰る」って約束が、過去を取り戻す話じゃなくて、未来を歩む約束になってるのがもう……ずるいです、泣けました🥀 連載中にまたこんな深い回を持ってくるクラリスさん、ほんと尊敬。