目黒と康二から、ある種の“悟り”を開かされるアドバイスをもらってからというもの、阿部亮平の生活は、少しだけ変わった。
クイズの勉強の合間に、アニメを見る時間ができたのだ。
最初は、「これも、佐久間に勝つため…」と、どこか義務感で見ていた。
しかし、康二と佐久間が血眼でオススメしてくる作品は、どれもこれも、面白かった。
作り込まれた世界観、胸を熱くするストーリー、魅力的なキャラクターたち…。
気づけば阿部は、純粋な一人のファンとして、その世界にどっぷりとハマっていた。
そしてついに、その時が来た。
楽屋で佐久間が、阿部がちょうど見終えたばかりのアニメについて、熱く語り始めたのだ。
「いやー、マジで昨日の最終回、神だったわ!あの主人公がさ、最後の最後で覚醒して…!」
(…来た!)
阿部は、心の中でガッツポーズをした。
もう、今までの僕じゃない。
「…分かる」
阿部は静かに、しかし確かな熱量を込めて、会話に入った。
「分かるよ、佐久間。あそこの伏線回収、すごかったよね。特に、第一話でヒロインが落とした、あのブローチが、最後の鍵になるなんて…」
「え…っ!?」
佐久間の言葉がぴたりと止まる。
阿部は畳み掛けるように続けた。
「しかも、あのシーンの作画、〇〇さん(有名アニメーター)でしょ?あの人の描く、爆発のエフェクトと、キャラクターの涙の描き分けは、本当に芸術的だと思う。今回の最終話は、彼のキャリアの中でも、最高傑作と言っても過言じゃない」
それは、ただアニメを見ただけでは出てこない、作り手へのリスペクトと、深い愛情に満ちた完璧な“オタク”の言葉だった。
佐久間は、目をぱちくりさせながら阿部の顔を凝視している。
そして、数秒の沈黙の後。
「…あ、阿部ちゃん…」
その声は震えていた。
「…マジか…。お前、最高かよ…!」
次の瞬間、佐久間は、わーっ!と叫びながら、阿部に勢いよく抱きついた。
その力は、阿部がよろめいてしまうほど、強かった。
「そこまで分かってくれるやつ、初めて会った…!やばい俺、今泣きそう…!」
耳元で、感動に打ち震える佐久間の声がする。
その反応は、目黒が言っていた通りだった。
『自分が負けた時じゃなくて、自分の好きなもので、相手が自分以上に楽しんでくれた時』。
まさに、今、佐久間は、最高の形で「参りました!」と言ってくれている。
(…勝った…)
阿部は、佐久間の腕の中で、静かに勝利を噛み締めた。
長かった戦いが、ついに終わった。
しかも今までで一番、幸せな形で。
しかし。
阿部の、ささやかな勝利の余韻は、次の佐久間の一言で、いとも簡単に吹き飛ばされることになる。
佐久間は、ぱっと体を離すと、阿部の両肩をがっしりと掴み、キラキラと輝く瞳で、こう言ったのだ。
「…決めた」
「ん?」
「阿部ちゃん、俺と、結婚してください!」
「……………はい?」
あまりにも、話が飛躍しすぎている。
いや、飛躍というレベルではない。成層圏を突破している。
「だって!こんなに俺のこと分かってくれる人、他にいないもん!もう阿部ちゃんしかいない!俺を、お嫁にもらってください!」
「いや、ちょっと待って?佐久間、落ち着いて…」
阿部が、完全に混乱しているのを尻目に、佐久間は、楽屋中に響き渡る声で、高らかに宣言した。
「というわけで、俺たちの愛の勝利〜!」
そしていつものように、ちゅ、と阿部の頬にキスをした。
「はい!俺の勝ち〜!」
満面の笑みでダブルピース。
その光景は、今までと何一つ変わらない。
いつもの結末だった。
阿部は、もはや抵抗する気力もなく、
ただ、天を仰ぐ。
どうやらこの男に「勝つ」という概念は、一生通用しないらしい。
でも、まぁ。
頬に残る幸せな感触と、目の前で心の底から嬉しそうに笑う太陽のような笑顔を見ていると。
(…もうどっちが勝っても…いいか)
そんな、最高に幸せな「完敗」の味が、口の中に甘く、広がっていった








