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消失の翌朝、
ナコハはいつもより少し早く目が覚めた。
目覚ましが鳴る前だった。
理由はない。
ただ、起きてしまった。
台所に立ち、棚の奥から輪っぱの弁当箱を取り出す。
蓋を外したとき、木の匂いがふっと立った。
冷蔵庫の一角に、
ずっと“特別な時用”として眠らせていた米袋がある。
魚沼産の、やけに重たい名前のついたコシヒカリ。
今までは使わなかった。
「みんなで食べるなら、ブレンド米でいいよね」
「どうせおかずで味つくし」
「一人だけ良いの、なんか気まずいし」
理由はいくらでもあった。
今日は、袋を開けた。
米を研ぐ音が、やけに大きく聞こえる。
水を含んだ粒が、指の間でころころ転がる感触がはっきりわかる。
炊き上がりの湯気は、
いつもより甘い匂いがした。
おばんざいは、地味なものばかりだ。
ひじきの煮物、焼き鮭、少しだけのだし巻き。
「米に合うかどうか」だけを基準に選んだ。
輪っぱにご飯を詰める。
白が、きれいすぎるほど白い。
ナコハは、一瞬だけ手を止めた。
――誰に遠慮してたんだろう。
もう、
分け合う相手はいない。
匂いを気にする人も、
「それ高いやつ?」と笑う人もいない。
会社に着くと、フロアは相変わらず無音だった。
昼休みになっても、チャイムの意味は薄い。
いつもの席に座り、
輪っぱの蓋を開ける。
湯気が、ひとり分だけ立ち上る。
一口目のご飯は、
驚くほど素直な味がした。
美味しい、というより、
ちゃんと、ここにいる 味だった。
ナコハは噛みながら、少しだけ笑った。
「……なんだ。
最初から、これでよかったんだ」
それは反抗でも、贅沢でもない。
誰かを見返すための行為でもない。
ただ、
遠慮する相手が消えた世界で、
自分に戻るための小さな動作だった。
そしてナコハは、このときまだ知らない。
この輪っぱの弁当が、
彼女が「残された側」から
「自分で選ぶ側」へ移る、
最初の合図になることを。