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私は拓也が勤めていた広告代理店の山崎美咲に連絡を取った。当初は彼女と拓也の浮気を疑っていたが、それは疑念に終わった。
会社近くの喫茶店で待ち合わせ、コーヒーカップを両手で握っていると、涼やかなウィンドゥチャイムの音が響いた。ドアが開き、彼女が入ってきた。黒髪を耳にかけ、淡いベージュのコートを羽織った姿は、以前見たときより少し疲れた印象だった。美咲は私を見つけると、軽く会釈して近づき、向かいの席に座った。
「佐々川さん……お久しぶりです」
声は穏やかだが、どこか緊張が混じっている。私はカップを置き、静かに言った。
「突然連絡してごめんなさい。夫のこと……少し聞きたくて」
美咲はメニューを手に取りながら、視線を落とした。
「ええ……私も、きっとお話ししたいと思っていたんです」
気不味い沈黙が2人を包む。スタッフが彼女の注文した紅茶を運んでくる。カップから立ち上る香りが、静かな店内に広がった。
「佐々川さん……佐々木GMとは……ただの同僚でした。プロジェクトで遅くまで残ることが多かったけど、それだけです」
「……同僚」
美咲は息を呑み、私をまっすぐ見た。
「……いえ、私の片思いでした。ごめんなさい。奥様がいらっしゃることは分かっていました。けれど……佐々木GMに惹かれていました」
彼女はカップを両手で包み、ゆっくり続けた。
「ネクタイの香りは、私のものじゃありません。接待で隣に座った取引先の女性のものだったと思います。……でも、佐々川さんが疑う気持ち、わかります」
私は息を吐いた。ネクタイの白檀の香りは田川亜美のものだ。けれど2人は拓也の本命の浮気相手ではなかった。
「今日、山崎さんにお伺いしたいことは、夫の海外出張のことです」
「海外出張?」
私はコーヒーを一口飲んだ。苦みが喉を滑り落ちる中、山崎美咲の顔をまっすぐ見据えた。
「山崎さん……山崎さんもイギリスへ出張されることは多いんですか?」
彼女の瞳がわずかに揺れる。
「気を悪くしたらごめんなさい、イギリスではなくドイツの間違いでは?我が社にイギリス支社はありません」
山崎美咲のティーカップを置く手が止まり、ゆっくりと顔を上げた。安堵の色が一瞬で消え、代わりに困惑と戸惑いが浮かぶ。
「……え?」
彼女は眉を寄せ、記憶を辿るように目を細めた。
「イギリス支社……ないんですか? 夫はいつも『ロンドンスタッフとのミーティング』って言ってました。半年に一度、チームで現地スタッフに同行したこともある……と。……パスポートのスタンプも見た記憶が……」
言葉の最後が小さくなる。山崎美咲はカップを両手で包み、指先が白くなるほど力を込めた。
「でも……確かに、社内の組織図にイギリス支社は載っていません。ドイツ支社はあったけど、広告案件はほとんどないはず……です」
私は静かに息を吐いた。胸の奥で、何かが重く沈む。
「夫はいつも、ロンドンの写真を見せてくれました。霧の街、テムズ川、ビッグベン。本物に見えた。でも……」
私は目を伏せ、掠れた声で呟いた。
「もしかして……嘘だった? あの出張、全部……」
「うちのチームに海外出張はありませんでした」
「……海外出張は……なかった」
再び沈黙がテーブルを覆う。喫茶店のBGMが遠く聞こえるだけ。ウィンドゥチャイムが軽く鳴り、新しい客が入ってきた。私はカップを置いた。
「ありがとう、山崎さん。……これで、すべて繋がった気がします」
山崎美咲は小さく頷き、唇を噛んだ。
「佐々木GM、何を隠してたんでしょう。『現地スタッフ』って、誰だったんでしょうか……」
私は立ち上がり、コートを羽織った。イギリス支社など存在しない。半年に一度の「視察」は、嘘偽りだった。麻里奈さんはイギリスの大学に留学していた。これが答えのような気がした。
Lueurに戻った私は、力なく椅子に腰掛けた。アトリエの窓から差し込む月光が、机上のダイヤモンドをきらめかせる。
私はそれを眺め、ふと目を細めた。胸の奥に、温かな記憶が疼く——拓也と初めてのデートで見た星空のように、輝いていたはずのもの。
だが今は、冷たい光だけ。ダイヤモンドを指で転がし、軽く息を吐いた。『完璧な抹殺』。悲しみは、宝石のように磨けば輝くものだ——そう自分に言い聞かせ、作業を再開した。
#モテテク
#大人の恋愛