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火曜日、水曜日、木曜日……
黒木係長は素知らぬ顔で、契約者の保障内容確認や更新書類の承認欄に「ぽん、ぽん」とハンコを捺している。
「係長、お願いします」
「あぁ、今立て込んでいるから、その棚に入れておいて」
「はい」
係長のワークデスク脇の棚、上から三段目(未処理)の引き出しに、クリップで留めた書類の束を入れる。
チラリと横顔を見ても、黒木係長の目は書類から一切離れない。
来週の月曜日まで、私の心の中も(未処理)のままだった。
(全然、気にならないんだな……)
廊下ですれ違っても、退勤のエレベーターが同じでも、黒木係長の態度は平常運転。
私はあの唇が気になって仕方ないというのに、何事もなかったように振る舞われると、なんだか癪に触る。
(ちょっとは私の方を向いてくれてもいいのに!)
いつの間にか、私は黒木係長の姿を目で追うようになっていた。
それを目ざとく見つけたのは、やはり寿だった。
金曜日の退勤後、金沢駅構内のスターバックスに「集合」と、オタマジャクシの付箋がノートパソコンに貼られていた。
(……寿、侮りがたし)
寿はオーダーの行列に並ぶ私を見つけると、大きな身振り手振りで「ここ、ここ!」と一番奥のソファテーブル席に招き寄せた。
「なに、なに、なに、どういうことよ? ん?」
火曜日には「家の近くのコンビニまで送ってもらった」と端折って話しただけだった。
そのときは「ふーん」と不満げだった寿が、今日は完全に根掘り葉掘りモードだ。
キャラメルフラペチーノの生クリームをズズッと啜りながら、目をキラキラさせている。
「なに、瑠璃ちゃーん、あんたどうしたの」
「どうしたのって?」
「黒木係長のことばっか見てるじゃん」
「え、未処理の書類が気になって……」
「そんなんいつものことでしょー? ん?」
「なにもないって!」
「あるね」
寿は手のひらを私に向けて差し出した。
「正直にお言い。でなきゃチキンとカレーのお代金、いただくわよ」
「え、それ奢りでしょ!?」
「失恋に悲しむ者にだけ与えられし物なり」
「ひ、酷っ!」
「こーの、幸せ者が!」
「なにがよ」
「黒木係長に愛情ダダ漏れじゃん」
「そ、そんな事ないし」
「あるね!」
寿はフラペチーノのストローをズボッと抜くと、いきなり私の鼻先に突きつけた。
ベタベタするじゃない、もう。
「あんたが黒木係長に愛情ダダ漏れで、黒木係長はあんたに二年間もゾッコンらーぶー♡やっぱり月曜の夜、なんかあったんでしょ」
「な、ないわよ」
「あるね!」
上目遣いで睨みを効かせる寿は、何気に怖い。
しばらく押し問答を続けたが埒が明かないので、コーヒーが冷める頃に全て白状した。
「どひゃー! なにそれ!」
「し、静かにしてよ」
「あんたって本当に腹立つ草食動物ね。サバンナの草木を食い尽くすつもりでしょ」
「なに言ってるのよ」
「告白されて、キスされて、交際申し込まれたダァ、許せんな」
「……」
「で? どう?」
「なにが」
「係長の唇の感触ってどんな感じなの?」
やめて、恥ずかしい。
「しっとりして……煙草の匂いがした」
「あれ、係長煙草吸うんだ。マジでキスしたんだ!」
「し、静かにして。会社の人だっているんだから」
「あんた、気を付けなさいよ」
「なにを」
「背中からブスーっと殺られるわよ、黒木推し女子勢に」
「え、いるの?」
「たりめーじゃん。これだから草食モテ系は!」
私のせいじゃないし。
「でもね、建と同じ匂いがしたの」
「匂い?」
「整髪料の匂いが同じだったの」
「だから何さ、そんなん上書きよ、上書き! くだらない男は上質な男で上書きしちゃいな!」
「う、上書きって……」
「でも、ベッドの中で間違えて『建』とか呼んじゃ駄目だからね!」
「う、うん」
寿の目が、いつものオタマジャクシのLINEスタンプみたいに見開いた。
「なに、あんた係長とベッドに入るつもりなの!?」
「や、そういう訳じゃなくて……」
「あぁ、もう月曜日の答えはYESね。おめでとう!」
結局その日は、スターバックスのワッフルを追加注文して寿に奢ることになった。
私、あの夜のキスで黒木係長に陥落しちゃったのか……単純すぎ。
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