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「いい芝。やっぱ天然芝はいいね。弾力があるっていうか柔らかい」一足先にピッチ入りした瑞奈がスパイクで芝上をびょんぴょん跳ねている。「ああ最高。ピッチの匂いもいい」
天然芝を保護するためにスパイク裏を消毒液に浸した俺も、芝のピッチを踏みしめるや瑞奈と一緒に跳び跳ねたくなった。
普段は砂利や人工芝のピッチでサッカーをするため、天然芝のピッチに立つとテンションが上がる。ましてや今日は快晴だ。水をまかれた芝が太陽の光を受け、エメラルドが敷き詰められたように輝いていた。
「いい顔」
「え?」
「晴翔くん、今、凄くいい顔してたよ。生きてるーみたいな。まあ、きっとあたしも同じなんだろうけど」
「犬顔か?」
「違うよ。んー」瑞奈が考える仕草を見せた。「ズルい顔」
「何だそれ」
「気分がいい時の晴翔くんの顔って――」
君たち駄目だよ、試合以外でピッチに入っちゃ、芝でのアップは禁止だよ、と厳めしい表情を浮かべたサッカー場の係員が俺たちに注意を促した。瑞奈はぺろりと舌をだす。「ごめんなさーい」今度は俺に向き合い、さらりと言った。「ズルいほどカッコいい顔になるんだよね」
*
「ああ、女が女に惚れそうよ」
四回戦の試合後、『ファンタジスタ』で、マスターの薫さんが、コップから升に大吟醸を盛大に零しながら、うっとりと言った。
瑞奈は既に升とコップに手が伸びている。舌を口からちろりと出していた。
「おまたせ」
瑞奈がコップではなく升から直接ぐびりと飲んだ。
「うはあー、美味しいよコレ」
瑞奈は腕で口もとを拭う。拭ったそばから再び升に顔ごと口をつけていた。
「瑞奈ちゃんの二得点も凄いけど、何よりも朔太郎君を殴ったのが痺れる話ね」
「殴られたんじゃじゃくて、引っ叩かれたんですよ。情熱が足りないって」
朔太郎がもじもじと言い返した。
「まあ、同じもんよ」
マスターはさらっと受け流し、「やっぱり肝心な時は女の出番よね」と瑞奈の升に再び大吟醸を注ぐ。瑞奈が「うわおっ」と歓喜した。
「ゆっくりやってちょうだい。勝利の宴を」
大吟醸をテーブルに置いたマスターが瑞奈にウインクをする。アイシャドウの青色が蛍光灯の明かりを受け、少しだけ淫靡な輝きを放った。
「全部あげるわ、御褒美」
「キャー!」
興奮した瑞奈が、かたじけにゃい、とカウンターへ戻って行くマスターに舌足らずな口調で最敬礼した。拓真さんが立ち上がった。
「よし、まあ、なんだ。改めてみんなで乾杯するぞ」
既に泣く兆候が見られる拓真さんが中ジョッキを掲げる。
「次は準々決勝だ。ちょっと期間あくけど、次も勝負だ! 優勝して、絶対に天皇杯に出場しよう」
すかさず幸成が「乾杯!」とジョッキを高々と持ち上げた。
「「「乾杯っ!」」」
テーブルのあちこちで疲労を感じさせない声があがる。中ジョッキの瓶どうしがぶつかる硬音がはじける。瑞奈が升を手に立ち上がった。既に目の下が赤く染まっている。
「汗臭いみんにゃ、情熱飲みだからね。サッカーも情熱! 情熱出して天皇杯! お酒も情熱! 忘れんにゃよー」
チームメイトを煽ろうと升の中の酒を飲み干そうとした時だった。
がくり、と瑞奈の膝が折れ、悲鳴をあげる間もなく瑞奈がくずおれた。
床に膝をついた瑞奈は、自分の身に何が起きたのかが分からずに目と口をぽっかりと開けていた。穿いているジーンズは大吟醸まみれだ。一瞬の静寂が店内を満たした。
瑞奈を介抱するため、俺は瑞奈の方へと歩く。
「瑞奈、もう酔ってるー!」
幸成が瑞奈を指さし、手を叩いてはしゃぎ始めた。幸成の笑い声が伝染するように、チームメイトも次々と手を叩きながら笑いだす。
「瑞奈、役者だな!」「みんなコケんなよ」「笑いに身体張ってるよ。マジ凄え」
やがて、瑞奈もその声に応えるように、しゃがんだままくつくつと笑い始めた。
「コケろ、コケろぉ! 笑いにも情熱だあ!」
瑞奈が升に残っていた大吟醸を喉に流し込むと、「晴翔との愛も、情熱だあ!」と誰かが囃したてた。
「ぶっ」
瑞奈が、俺に向けて口にふくんだ酒を吹き出した。
大爆笑に俺達は包まれる。