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「おろせー。あたしは大丈夫だ! 酔ってにゃい」
「おまえ、前もまったく同じセリフを吐いてたぞ」
「吐いてにゃい」
『ファンタジスタ』からの帰り道、瑞奈をおぶり、彼女のアパートへの道を歩いていた。前回とまったく同じだった。違うのはジーンズ姿の瑞奈の服装だけだ。瑞奈はおぶられた足をぴょこんと伸ばし、俺の首もとに鼻先を押しつけている。その足は大吟醸をかぶったため、酒臭かった。
「あー、重っ」
俺は瑞奈をおぶり直す。
「なぬ!」
瑞奈が背でゆさゆさと揺れ始めた。
「聞き捨てならぬ! 乙女に対する狼藉に等しい言動だ。おろせ、おろせぇっー」
「ばか、暴れるな」
「ばかとはにゃにごとだ。ばかとは」
「おまえよく人前で、ばかもの、とか言うだろ」
「ばかもにょ。そんにゃことは言ってにゃい」
言うや瑞奈が無理矢理に足を地面につけた。俺の背から重さが消える。
「はれ?」
気の抜けた言葉とともに、瑞奈の尻が地面に落ちた。
「だったら、立て。歩け。俺はもうおぶらん」
俺は前を向いて歩き始める。
「だいたいおまえ飲みすぎだろう。日本酒を一瓶飲み干すなって。今日はおまえが二ゴール決めての勝利だったから気持ちよく酔えるだろうけど、介抱する俺の身にもな――」
瑞奈がついて来ていなかった。「ん?」と振り返る。
路面で尻もちをついたまま瑞奈が放心していた。
「おまえ、そんなとこで座り続けてると、完全に酔っ払いだぞ」
瑞奈は言い返してこない。だらしなく口と目を開けたままだ。どこを見ているのかさえ分からない。
「瑞奈。瑞奈?」
これは完全に酔い潰れやがったな。瑞奈の方へと歩みだすと、彼女がぽつりと呟いた。
「力が、入りゃにゃい……」
「そりゃそうだろ。酔ってるんだから」
「違うにょ。酔ってるかりゃじゃにゃくて、足が、足が……」
「そういうのを酔ってるって言うんだよ。おまけに呂律も回ってないし」
「違うにょ」
瑞奈が必死な視線を俺に向けてきた。さっきまでの放心していた際の目つきとはまったく意味合いの違う眼差しを俺に投じている。
夏なのに冷風が首もとを掠めていく。瑞奈は真剣な表情で、それこそ酔いが完全に醒めた顔で俺に訴えかけていた。
「足が動きゃないの。足……変」
「試合の疲労か?」声を落として訊いた。「今日も走ったし」
「違うにょ……そういう感じじゃにゃい。動かそうにも足が動いてくれにゃい。あたしの足じゃにゃいみたいに」
地面にへたり込んだまま、瑞奈が必死の目で訴えてくる。
俺も一緒にしゃがんだ。すると、瑞奈が上半身から俺に抱きついた。足に鉛が入っているみたいに、路面に足を投げ出したまま俺に抱きついている。どこか変な姿勢、変な動き、これって……ヤバいのか?
「瑞奈、足見せろ。どこが動かせない?」
「全部。足の付け根かりゃ下、全部」
瑞奈の足を触るも異変を感じられない。腫れてもいない。
「分からない。痛むか?」
「痛くにゃい」
「これは、ちょっと病院行くしかない気がする。捻挫したとか、筋違えたとかじゃないんだろ」
「うん……あ……れ……?」
瑞奈の右足がゆっくりと動いた。
「動いた……」
身体が動くことに瑞奈自身が驚いていた。
「立てるか?」
瑞奈の手を握って助け起こす。手は汗でひどく湿っていた。
「あ、大丈夫そう」
手に伝わる力が緩み、瑞奈がゆっくりと立ち上がった。そうして、二歩、三歩、とリハビリする怪我人のようにゆっくりと歩を進める。
「歩けた」
瑞奈が嬉しそうに振り返った。
「何だったんだ?」
「んー、分からない。でも、力、入るよっ、ほら」
瑞奈がボールを蹴る素振りをした。
「うん。大丈夫」
「明日から実家帰るんだろ? だったら、実家近くの病院へ行ってみろよ、一応」
「う……ん……」
健康優良児の誰しもがそうであるように、瑞奈は病院へ行くことを躊躇った。
「痺れるんだろ?」
「痺れとはちょっと違うんだよね。なんか、足が自分の言うことを聞いてくれない感じ」
「準々決勝までは少し間があくから、ちょっと診てもらえよ。その方が、安心だろ」
「ん。そ……だね。そうしてみる……か。むむむむ」
ようやく頷いた瑞奈が手を差し出してきた。その手を握る。瑞奈が俺の手に鼻をつけ、すーはーと深呼吸した。
「晴翔くんの匂いを身体の中に貯金しておかないと」
瑞奈の吐く息が手にこそばゆかった。
翌日は久しぶりに練習も試合もない日だった。
実家に一時帰省する瑞奈からは、朝、めずらしく電話ではなくLINEメッセージが届いた。キッチンスペースでトースターに食パンを入れながらメッセージを読む。
『行ってくる。しばらく会えないけど泣くな』
絵文字がないざっくばらんな文章を打つのにどれほどの時間を要したのか。瑞奈からメッセージを受け取ると失笑してしまう。キーボードや、文字入力画面を前に固まる瑞奈が容易に想像できるのだ。
サッカーボールをあんなにも器用に蹴り、転がし、トラップできるのに、どうしてパソコンやスマホなどの情報端末や電化製品になると不器用になるのか。
にやつきを抑えられずにスマホを見ていると、スマホが振動した。瑞奈の名前が表示されている。
「おはよ」
送話口から瑞奈の声と一緒に駅の喧噪が聞こえてきた。
「ああ、おはよう。これから新幹線か?」
「うん。三日で帰ってくるから」
「もっとゆっくりしてこいよ。拓真さんには上手く言っておくから」
「ばかもの。練習休んだら下手になる」
「おまえはちょっとぐらい下手になった方がいい」
「またそうやってひとをおだてて。狙いは?」
「……ちゃんと病院へ行けよ」
昨夜のことが気になっていた。思えば、あんなことは昨夜だけでなく、最近は度々あった気がする。
「ん」
「声、小さ」
「帰ったら、居残り練習付き合ってね。休んだ分を取り返す」
まったく、こいつは。
「分かった」
電話の向こうで発車メロディが鳴りだした。駅のアナウンスが、瑞奈の実家方面を告げていた。
「ごめん、これに乗るの」
「気をつけてな」
「うん。大好き」
「へ?」
瑞奈が女らしい言葉を吐いたので俺は一瞬、言葉を失った。
「何よ。やっぱ言うんじゃなかった! ちくしょー、憶えてろ」
負けた悪役みたいな捨て台詞を残し、瑞奈が電話を切る。ぷつりと断絶された回線音を耳にしながら、俺は笑い転げていた。食パンの焦げた匂いが気にならないほど。