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第185話:ノールビバンの展示会場〜ようこそ、美しきエウリアンの巣窟へ〜
帯広駅南口、とかちプラザ。
市民の憩いの場であるはずのその施設の一角に、外界とは完全に隔離された『異空間』が形成されていた。
「……す、すげえ」
一歩足を踏み入れた瞬間、俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)は、思わず感嘆の声を漏らした。
入り口の受付でスマホの予約画面を見せると、満面の笑みを浮かべたスーツ姿の女性スタッフが、うやうやしく俺を中へと案内してくれたのだ。
薄暗く調整された照明。
どこからともなく流れる、高級ホテルを思わせるような優雅なクラシックのBGM。
そして何より、黒いパーテーションで仕切られた迷路のような空間に、スポットライトを浴びて美しく輝く【版画】の数々。
「これが……本物のアートか……!」
俺は、ヨレヨレの黒いテーラードジャケットのポケットに手を突っ込みながら、食い入るように壁の作品を見つめた。
アクリル板の奥で輝く、ファン〇ジ〇文庫で大人気の神絵師が描いた美少女たち。
PCやスマホの画面越しに見るデジタルイラストとは次元が違う。
特殊な印刷技術(ミクスドメディア)によって立体的に浮かび上がる色彩、髪の毛一本一本の繊細なタッチ、そして光の反射具合。
「圧倒的だ……。確かに、これを自社のIPで展開できたら、グッズの売上は桁違いになる……。うめお先生が言っていた『審美眼』の大切さが、今なら痛いほどわかるぜ!」
俺は、完全に『敏腕プロデューサー』の顔になっていた。
腕を組み、時には少し離れて全体を眺め、時にはアクリル板に顔が触れそうなほど近づいてディティールを確認する。
気分はすっかり、ルーブル美術館で名画を品定めする貴族、あるいは次世代のクリエイターを発掘しに来たIT長者である。
(……それにしても、素晴らしい空間だ。スタッフの教育も行き届いている)
俺は、会場内をチラリと見回した。
土曜の昼下がり、会場内にはポツポツと男性客の姿があった。
その男性客一人一人に、受付にいたような『モデル級の美しい女性スタッフ』がピタリと寄り添い、何やら楽しげに会話をしているのだ。
「(なるほど。作品の背景や技法を、あんなに熱心にマンツーマンで解説してくれるのか。さすがノールビバン社、芸術の普及に本気なんだな!)」
俺は、自分の推測に一人で深く頷いた。
だが、この時の俺は、ネットスラングとして恐れられる【エウリアン】という言葉を、全く知らなかった。
エウリアン。
それは、かつて秋葉原などの路上で「絵の展示会をやっています」と声をかけ、密室に連れ込んで高額な版画のローンを組ませる【絵画商法】の営業スタッフを指す言葉。
彼女たちは、純粋にアニメやイラストを愛するオタク層の『自己承認欲求』と『断りきれない気の弱さ』を的確に突き、笑顔で退路を塞ぎ、数百万円の契約書にサインさせるプロのハンター(捕食者)なのだ。
そして今、俺が足を踏み入れたこの『ノールビバンの展示会場』こそが。
地方都市を巡業し、無料のポスターでカモを集める、美しきエウリアンたちの巨大な【巣窟】だったのである。
「(まあいい。俺はあくまで勉強のために来ただけだ。財布の中には千八百円しかないし、間違っても絵を買うなんてことはあり得ないからな)」
俺は自分の圧倒的な【金欠】という名の絶対防御に安心しきり、再び一枚の大きな版画の前に立った。
それは、俺が昔から大好きなライトノベルのヒロインが、桜舞う中で微笑んでいる、息を呑むほど美しい一枚だった。
「いやぁ、素晴らしい。この構図、キャラクターの視線の誘導、そして背景とのコントラスト……。まさに一級品のエンタメだ」
俺が、誰に聞かせるでもなく、プロデューサー気取りでウンウンと独り言を呟いていた、その時だった。
『——お客様、すごく芸術をわかっていらっしゃるんですね』
「……えっ?」
背後から、鈴を転がすような、甘く心地よい声が響いた。
振り返ると、そこには。
タイトな黒いスーツを身に纏い、首元に上品なスカーフを巻いた、女優のように美しい営業スタッフのお姉さんが、俺の目をジッと見つめて微笑んでいた。
『先ほどから拝見しておりました。普通の来場者の方とは、絵をご覧になる視点が全く違うというか……まるで、プロの方みたいです』
「あ、いや……ははっ、プロだなんて……」
『私、こういう展示会で長くご案内をしておりますが、お客様のように【本質】を見抜ける方って、滅多にいらっしゃらないんですよ』
ドクンッ、と。
俺の胸の奥で、昨日うめお先生に褒められた時に膨張した【自己肯定感】が、再び激しく脈打った。
(な、なんだこの綺麗なお姉さんは……! 俺のオーラ(ヨレヨレのジャケット)から、社長としての只者じゃない雰囲気を察知したって言うのか!?)
四十歳の限界貧困オジサンの、単純すぎる自尊心が、一瞬にして天高く舞い上がる。
『よろしければ、この作品の特別な技法について、少しだけ私から解説させていただいてもよろしいですか? もちろん、お時間は取らせませんので』
お姉さんは、上目遣いで、俺のパーソナルスペースへと一歩踏み込んできた。
フワリと、高級な香水の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「も、もちろん! 俺も色々と勉強させてもらいたいと思ってたところなんで!」
俺は、だらしない笑みを浮かべながら、エウリアンの甘い罠へと、自ら頭からダイブしていった。
財布に千八百円しか入っていない男が。
ここからどうやって『三百万のフルローン』を組まされることになるのか。
資本主義の修羅場を潜り抜けてきた(つもりの)社長と、百戦錬磨の美しきエウリアンによる、一方的な虐殺(商談)の幕が、今、静かに上がったのである。
コメント
1件
うわあ…第185話、めちゃくちゃ面白かったです…! 秋谷さん、完全に“エウリアン”の巣窟に足を踏み入れちゃいましたね…(笑) 「千八百円しかないのに大丈夫」って自分に言い聞かせてる時点でもうフラグ立ちまくりで、読んでてこっちがドキドキしました。 美しい女性スタッフの甘い言葉に、単純な自尊心が刺激されてそのまま罠に一直線…っていう流れが、リアルでありながらも滑稽で、でも笑えない怖さもあって。 この後どうやって三百万のローンを組まされちゃうのか…続きが気になりすぎます!ゆうきあきやさんの描く“日常に潜む罠”の描写、すごく丁寧で引き込まれました🖤
まう
104
81
魚卵
75
ゆうき あきや
4,132