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「え……?」
いや………。 いやいや、さすがに空耳だろう。
こんな時間に、過去の怪奇譚など振り返っていた所為で、道行く人の話し声をそんな風に取り違えたんだ。
そういう事にしておこう。
あまり、深く考えてはいけないような気がする。
よし、寝る。 寝よう。
「待っとうせ…………」
「………………っ!」
今度こそ、たしかに聴いた。
「………………」
現実逃避をあきらめ、声の出所をさがす。
「待っとうせ…………」
カーテンの向こう。 うちの庭か?
引き寄せられるように、窓辺へ向かう。
そっと階下を確認すると、あの女がいた。
逆立ちこそしていないが、あの日と同じように質素な和服を身につけ、せっせと何かを組み上げている最中だった。
「待っとうせ……。 じき拵えますさけの…………」
光源と言えば、ポーチライトの頼りない明かりがあるのみで、視界は極めて悪い。
そのため、彼女の手元をじっと見定めてみても、それが何なのか判然としない。
いや。 私は早くも理解していた。
理解した側から、信じたくない気持ちが先んじて、有耶無耶にしようと躍起になっていた。
「待っとうせ……。 じき拵えますさけの…………」
弱々しい声音を吐きながら、女が必死に組み上げているもの、それは簡素な棺だった。
時代劇で見るような、樽形のものだ。
考えたくはないけど、私を入れるつもりなのか?
それにしても、なぜ?
なぜ、今になって現れた?
だって、もう解決したはずだ。
そもそも、あれは木の根っ子で………
「待っとうせ…… 待っとうせ……」
こちらの混乱を余所に、女は細い手指を忙しく働かせ、物恐ろしい品物を組み上げてゆく。
たまらず後退った私は、窓辺に据え置いた机の角に、腰の辺りをぶつけてしまった。
机上に飾った置物が強かに揺れて、間もなく落下の憂き目をみた。
これを慌てて取り留めようとするも、生憎と、昔から反射神経には自信がない。
指先を意地汚く逃れた置物は、床に敷いた薄手のカーペットに至り、ゴツンと鈍い音を立てた。
「待っと…………」
女の手が、ピタリと止まった。
町の喧騒は無く、虫の声もない。
暫時、息が苦しくなるような沈黙の間が過ぎていった。
その末に、女は首から上だけを、キリキリと静かに動かした。
まるで、生き人形を思わせる生気の無さだ。
───目を合わせてはいけない!
事態を悟った私は、咄嗟に目を伏せようと注力した。
しかし、どうにも思うように行かない。
金縛りにでも遭ったように、身体が言う事を聞いてくれない。
自分の体じゃないみたいだ。
倦ねる内に、こちらを見上げた女は、窓辺に立ち尽くす私の顔を、目を皿のようにして見つめた。
「じき拵えますさけの…………」
さらに、うすい唇を波打つように動かして、迷惑千万を唱える。
───これは不味い。
いよいよ事態を危ぶんだ途端、先の硬直がウソのように、身体が自由を取り戻した。
そのまま一歩・二歩と、竹馬にでも乗っているような覚束なさで、ドアを目指し後退する。
手探りでノブの在処を突き止め、たどたどしい足取りで廊下へ出る。
直後、窓の向こうから細々と聞こえる錆声が、ひときわ甲高いものに様変わりした。
「でけた…… でけた…… 待っとうせ…… 待っとうせ……」
身の危険を感じた私は、泡を食って駆け出した。
転がるようにして階段をくだり、家の裏手に設けられた勝手口を目指す。
幸か不幸か。 本日、我が家にいるのは私だけ。
そのため、自分の身を優先することができる。
ともかく、逃げの一手だ。