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「瞳子、今日はいよいよモン・サン・ミッシェルだな」
「うん!やったー!」
翌日。
ホテルで朝食を味わうと、二人は早速1泊分の着替えをバッグに詰めて準備をした。
出かける前にフロントに立ち寄り、念の為、今夜は外泊することを伝える。
そう、今夜はモン・サン・ミッシェルの島内に宿泊することにしていた。
フランス旅行が決まった時、瞳子が1番に行ってみたいと口にしたのがモン・サン・ミッシェル。
大河はそんな瞳子に、島内で1泊しようと提案して、ホテルを予約していた。
わくわくしながら、まずはモンパルナス駅に向かう。
高速列車のTGVでレンヌを目指し、そこからバスに乗り換える予定だった。
TGVの車内では、大河が撮ったたくさんの写真を見返しながら、思い出話で盛り上がる。
「あ、これ、ロワールのシャンボール城よね。フランス式庭園がそれはもう素晴らしかったなあ」
「ああ、そうだな。瞳子がどこぞの国の王女様にしか見えなかった」
「ん?大河さん、お庭の話よね?」
「そうだよ。瞳子の庭のな」
「はいー?」
噛み合わない会話をしつつ、あっという間に乗り換えのレンヌに到着した。
バスの時間まで少し休憩することにして、瞳子はコーヒースタンドのカウンターへ行く。
「Bonjour, Comment vas-tu ? (こんにちは。ご機嫌いかが?)」
「Très bien, merci. Deux cafés s’il vous plaît (元気です、ありがとう。コーヒーを2つください)」
大河の言った通り、いつの間にか瞳子は、よく使う簡単なフランス語はいくつか覚えていた。
「はい、大河さん。コーヒー」
「お、ありがとう」
ホッとひと息つきながら、瞳子は街の様子に目を向ける。
「ここも素敵な所ですね。ちょっと中世の雰囲気が残っていて」
「ああ、そうだな。レンヌは、中世にはブルターニュ公国の首都として栄えた町で、歴史的建造物も多い。ここから少し歩くと、木組みの建物が並ぶ旧市街地に出るよ。行ってみる?」
「え、でも、そしたらバスの時間に間に合わなくなるんじゃない?」
「それならレンタカーに変更だ。ほら、行こう」
大河は瞳子の手を取ると、歩きながら話し出す。
「せっかくの旅行なんだ。気の向くままに楽しまなきゃ、もったいないよ」
「そうですよね。ふふ、良かった。大河さんが、予定調和の旅が好きってタイプじゃなくて」
「旅行はその時のその場の感覚で行動するのが好きなんだ」
「私もです。だからツアーとかは苦手で…。ゆっくり見たいのに、もう時間です!とか言われるとガッカリしちゃう」
「俺もだよ。フラストレーションが溜まるし、旅行した気にならない」
「ですよね」
二人は時間を気にせず、見たい所を好きなだけ回ることにした。
カラフルな木組みの建物が並ぶ旧市街地や、傾いた家が見られるシャン・ジャケ広場など、メルヘンチックな世界が広がり、大河はまた瞳子の写真をたくさん撮った。
「可愛いなあ。瞳子が可愛い女の子って感じで、ほんとに可愛い」
「大河さん…。何回繰り返すの?」
「だってほんとに可愛いんだもん」
「もう、やれやれ」
ニヤニヤと撮ったばかりの写真を見返す大河を、瞳子は呆れたように眺める。
ランチがてら、ブルターニュ地方の名物のガレットを食べると、広大な敷地を誇るタボール公園へ足を伸ばした。
19世紀に建設された庭園には、ローズガーデンやフレンチガーデンなど様々なテーマのエリアがあり、木蓮や、2,000種類を超えるバラが咲き誇っている。
甘い香りを楽しみながら、瞳子はゆっくりと花を観て回った。
「綺麗だなー、バラと瞳子のコラボ。もう最高!」
後ろから聞こえてくる興奮した大河の声に若干苦笑いしつつ、瞳子は美しいバラに目を細めた。
最後に、天井のステンドグラスが美しいサン・ピエトロ大聖堂に寄ってからレンタカーを借りて、いよいよモン・サン・ミッシェルを目指す。
「良かったよ、国際運転免許証持って来ておいて。やっぱり車はいいな」
「ええ。とーっても気持ちがいいです」
窓から見える景色に夢中になり、時々気に入った街で寄り道したりもしながら、二人はドライブを楽しんだ。
「わあ、見えた!モン・サン・ミッシェル!」
やがて前方に、本や写真集でよく見た海に浮かぶお城のような景色が見えてきて、瞳子は目を輝かせる。
「なんて素敵なの…。橋を渡れば島に入れるのよね?」
「ああ。ここからは一般の車は入れない。シャトルバスか馬車で橋を渡るんだ」
「馬車?!」
「そう。せっかくだから、馬車にしようか」
対岸の街でレンタカーを返却すると、島へ渡る馬車の乗り場へ行く。
「わあ、お馬さん!めっちゃ可愛いやん!」
興奮すると言葉がおかしくなる瞳子は、なぜだかフランスでも関西弁になっている。
「馬車やなくて、お馬さんに乗って行きたいわー」
「なんでやねん!」
突っ込む大河も、つられて関西弁になる。
「馬術部やったから、お馬さん乗れるねん。久しぶりに乗りたいわー」
「瞳子、それはまた今度な」
シャトルバスがあっという間に走り去るのに対して、馬車はのんびりゆったりと橋を進む。
「ひゃー!お馬さんの後ろ姿越しに見えるモン・サン・ミッシェル、めっちゃ風情があるわー」
長い髪をふわりと風に揺らしながら、綺麗な笑みを浮かべる瞳子を、大河は真剣にパシャパシャと撮影する。
「がんばれ!お馬ちゃん。待っててなー!モン・サン・ミッシェル」
妙な関西弁をまくし立てているとは思えないほど、瞳子の美しい横顔とモン・サン・ミッシェルは絵になる1枚だった。
サン・マロ湾に浮かぶ孤島、モン・サン・ミッシェルは、708年、司教オベールの夢に大天使ミカエルが現れ、山上に聖堂を建造するよう告げられて建立されたことに始まる。
小さな島全体が修道院として利用され、巡礼の地として広く知れ渡るようになった『孤高の修道院』は、14世紀の百年戦争では難攻不落の城塞として、また18世紀のフランス革命では、監獄として使われたこともあった。
そんなモン・サン・ミッシェルは、潮の満ち引きで大きくその姿が変化する。
満潮時には海に浮かぶ島が水面に鏡のように映し出され、その幻想的な美しさと数奇な歴史から『西洋の驚異』とも称されていた。
大河と瞳子は、観光客で賑わう時間は、メインストリートのグランド・リュでお土産を見たり、名物のオムレツを食べたりしてのんびり過ごす。
島内に1泊することにしたのは、静かな時間帯にモン・サン・ミッシェルをじっくりと巡りたい為だった。
ホテルにチェックインして、窓から潮が満ちる様子をうっとりと眺める。
日帰りツアーの観光客がいなくなると、二人はホテルを出て夕暮れに染まる島を散策した。
「綺麗ね…。空の色がグラデーションで、なんて美しいのかしら」
「そうだな。自然の美しさには敵わない」
刻々と変化する空の色合いを背景に、天空に向かってそびえ立つ修道院。
歴史と自然が織りなす荘厳な風景を、二人は肩を寄せ合って言葉もなく見つめる。
いつの間にか陽は沈み、ほのかにライトアップされた様子もまた、美しかった。
誰もいない静かな西のテラスから夜景を眺めている時だった。
「瞳子」
「はい」
ふいに呼ばれて、瞳子は大河を見上げる。
「瞳子と一緒にここに来られて、本当に良かった。改めて、俺と結婚してくれてありがとう」
「大河さん…」
思いも寄らない言葉に、瞳子は胸が詰まる。
「これは、瞳子への誕生日プレゼント」
「えっ?!」
大河が差し出した小さなケースに、瞳子は目を見開く。
「そんな、だって…。プレゼントはこのフランス旅行でしょう?」
「そうだな。誕生日プレゼントに何が欲しい?って、何度聞いてもいらないって言うから、そういうことにしておいた。けど、俺が瞳子にこれを贈りたいんだ。受け取ってくれる?」
そう言って大河は、ジュエリーケースをそっと開いた。
中には、煌めくひと粒ダイヤのネックレス。
まるで目の前に広がる星空から、星が一つ落ちてきたようだと瞳子は思った。
「こんな素敵なネックレスを?大河さん、私、受け取ってもいいの?」
「当たり前だろ?瞳子の為に選んだんだから。瞳子の美しさには、オーセンティックなジュエリーが本当によく似合う。毎年瞳子の誕生日には、俺が贈りたいものをプレゼントしたい。それとも欲しいものをリクエストしてくれる?」
「いえ。私、欲しいものなんてなくて…」
「それなら、瞳子にプレゼントを選ぶ楽しみを俺にくれる?」
「えっと、はい」
「良かった」
大河は優しく微笑むと、ケースからネックレスを取り、そっと瞳子の首に腕を回して着けた。
「よく似合ってる。瞳子は俺の一等星だな」
瞳子は胸に輝くダイヤモンドに手を触れて、目を潤ませる。
「大河さん、ありがとうございます。こんなにも私を大切にしてくれて。私、本当に幸せで、胸がいっぱいで…」
「俺の方こそ、瞳子に幸せにしてもらっている。ありがとう、瞳子」
そう言って大河は、両腕で瞳子を胸に抱きしめた。
「誕生日おめでとう、瞳子」
「ありがとうございます、大河さん」
大河は少し身体を離して瞳子を見つめると、たくさんの愛を込めてそっとキスをする。
満天の星達が、そんな二人をいつまでもキラキラと彩っていた。
ホテルで少し遅めの夕食にしたが、ここでも大河は瞳子の為に、花束とケーキを用意していた。
スタッフや周りの人にも祝福され、瞳子は感激のあまり、また目を潤ませる。
部屋に戻ると、大河は瞳子をギュッと腕に閉じ込め、たくさんのキスを贈った。
一晩中うっとりと夢見心地で大河に抱かれた瞳子は、明け方にふと大河の腕の中で目を覚まし、窓の外に広がる朝焼けを見た。
(なんて美しくて、なんて幸せなの。私、この景色を一生忘れない)
夢のように美しい世界。
信じられないほどの幸福。
愛する人の温もりの中、瞳子は胸いっぱいに、涙が溢れそうになるくらいの幸せを感じていた。
翌朝。
朝食を食べ終えると、二人はまだ静かな修道院をゆっくりと観て回った。
11世紀から16世紀にかけて建てられた、ロマネスク様式とゴシック様式が融合した美しい造りの修道院。
神秘的な教会や、回廊と中庭が見事な『ラ・メルヴェイユ』と呼ばれる居住区。
他には誰もいない静かな修道院は厳かで神聖な気持ちになる。
まるで中世にタイムスリップしたように、どこを切り取っても絵になる街で、大河は誰にも邪魔されずに、思う存分瞳子の写真を何枚も撮った。
後ろ髪を引かれる思いでパリに戻り、たくさんのお土産と忘れられない大切な思い出を胸に、大河と瞳子は、必ずまた来ようと約束してフランスを発った。
(楽しかったなあ、フランス。だけどその分、すごく寂しい)
帰りの飛行機の中で瞳子がじっと窓の外を眺めていると、大河が優しく肩を抱き寄せて微笑んでくれる。
(そうだ、私のそばにはいつだって大河さんがいてくれる。私の1番大切な場所は、大河さんの隣なんだ)
そう思った途端、瞳子の心はじんわりと温かくなった。
大河を見上げてにっこり微笑むと、大河は瞳子の頭に腕を回して自分の肩にもたれさせる。
ポンポンと頭をなでられて、瞳子は身体中に幸せを感じながら大河に身を寄せていた。