テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「夜に沈む日」
🟦←🏺 片思い
4
「オーイ早くしろよ、初心者かぁ?」
つぼ浦は銀行の壁に張り付いたまま中に声を掛ける。犯罪者の元気のいい罵声と、人質の文句が金庫室の方から聞こえてくる。
結局、あの日から青井とはなんとなくギクシャクしてしまい、今日も顔を合わせぬままつぼ浦は街の小型犯罪の対応に明け暮れていた。
無線からは大型対応中の緊迫した声が聞こえてくる。いつものつぼ浦ならうるさいと無線を抜けるところだが、平坦な声で冷静に指揮をする、青井の声を一方的に聞くことができて抜けるに抜けられなかった。
「おせぇなぁ、義務教育でやってねぇのか?金庫の開け方。習うだろ、家庭科で」
「お前の声がうるせぇんだよ!黙ってろ!」
「ア?!犯罪者に手を貸すとでも思ったか?なんなら歌でも歌ってやってもいいんだぜ」
「つーか何でサツが来るんだよ、ユニオン中だろうが!」
「オウ、残念だったな。特殊刑事課を出し抜けると思ったら大間違いだぜ!」
啖呵を切るつぼ浦の真上を警察ヘリが飛び去っていった。ユニオン銀行強盗中は街の中心が戦場になる。大型犯罪が起きているときほど、どさくさに紛れて半グレや新人ギャングが小型犯罪を起こしやすい。おかげで入れ食いのように犯罪者が捕まる。
銀行の外壁に背中を預けたまま、つぼ浦は腕組みをする。無線で聞く限り、ユニオンはまだ金庫内での攻防が続いているらしい。収束まではまだ時間がかかりそうだった。
銀行強盗も初心者なのか手こずっているようで一向に埒が明かない。つぼ浦は壁にもたれたまま今日のご飯のチーズバーガーを食べ始めた。とろけるチェダーチーズが肉厚のパティに絡んで旨味の暴力だった。刻んだピクルスもいいアクセントになっている。しかしその味もいまいち心に響いてこない。
ふと空を見上げると夜明けが迫る空はうっすらと明るく、そこをまた警察ヘリが通過していった。無線の様子から察するに、それが青井のヘリだった。背後にギャングのヘリが張り付いていて、それを振り払いながらとんでもない記憶力で現場の指揮を続けている。
羨ましいな、とつぼ浦は思った。結局自分は地上から青井を見上げることしかできないのだ。
今のつぼ浦は勝手にまな板の上に乗って舟盛りになる鯉だ。それでも何をしても青井の視界には入れない。しかし諦めも絶望も、つぼ浦匠とは最も縁遠い言葉だった。
何口目かのチーズバーガーを半ば義務的に飲み込んだ。その直後、無線から『ヘリアタック!!』という切羽詰まった声が聞こえた。とっさに上空を見上げると白み始めた空をオレンジの爆発が切り裂いた。腹に響く爆音の直後、残骸が地面に落ちる音が遠くから重く聞こえてくる。
呆気にとられたつぼ浦の手から残りわずかなチーズバーガーが地面に落ちた。撃墜されたのは青井のヘリだった。しかし、ダウン通知が来ていない。無線も一瞬戸惑っている。
心臓が動いていない存在にダウンという概念があるのかどうか、つぼ浦はふと気になった。青井は銃で撃たれた程度なら一瞬で回復するし、病院にも久しく行っていないという話を思い出した。その程度ならごまかせても、ヘリで墜落したのにダウンしていないのは流石にごまかしようがない。
「待たせたな、人質の解放条件は……」
「悪ィ、ちょっと用事できた」
やっと銀行から出てきた犯人に背を向けて、つぼ浦はジャグラーに飛び乗る。青井のシグナルを頼りにアクセルをベタ踏みした。
*
煙をくすぶらせるヘリの残骸はすぐに見つかった。道路を半分塞ぐように真っ黒く焦げた姿を晒している。
運転席には誰もいなかった。つぼ浦はあたりを見回すが、たとえ怪我をしていたとしても今の青井は血痕を残さない。マップ上のシグナルを確認すると、車では入れない路地の方に反応があった。つぼ浦が路地に目をやった瞬間、パンッ、と軽い銃声が聞こえた。
不穏な気配を察し、つぼ浦は背中のバットに手をかけながらゆっくり路地に侵入した。空は明るくなり始めても街灯から離れた路地は未だ薄暗い。その奥にしゃがみ込む人影が見えた。
人影は何かを左手に持っていた。それを顔より高く持ち上げる。
「アオセン……?」
それは切り落とされた首だった。服まで濡らして切り口から滴る血を飲む青井の目は血よりも赤い。恍惚と血を貪っている。
まずつま先から恐怖が駆け上ったが、状況を理解してつぼ浦の口角が無意識に上がる。個性のない顔、初期アバターのような服。転がっているのは心無きの死体だった。
流れる血を飲み干し、青井は首を投げ捨てた。口についた血を手の甲で拭い去る。目の色はいつの間にか青に戻っていた。長いため息をついた直後、ようやく人の気配に気づいてつぼ浦へとゆっくり振り向いた。
「アオセン、心無きの血なんて飲んでたんっすか?」
つぼ浦に声をかけられ、青井の目が見開かれる。焦りを顔中に浮かべて首を振る。
「……あ、ちが、これは……っ!!」
「俺以外が来てたらどうすんだよ、輸血パックじゃ足りなかったのか?」
青井はもつれる足で立ち上がった。右手に握りしめていた刀が力なくカランと落ちた。
「つぼ浦、なんでお前ッ、来たんだよ」
「ヘリ落ちるの見えたんすよ。ダウン通知出てねぇし、厄介なことにならねぇように様子見に来たんだぜ」
「それは、……そうか、通知か」
青井は肩で息をしながら震える手で額を押さえている。顔色は死人よりも悪い。口端に残った血の赤のほうがよほど生き生きとしている。
おそらく飢えに駆られ、血が足りずに心無きの血を飲むことになった青井を思い、つぼ浦は少しの悔しさとそれ以上の優越感が込み上げてきた。何しろここには最高の血がいるのだ。青井に飲まれたくてたまらない、最高の血が。
「なあアオセン、もっといい血がここにあるぜ。俺は、いいんっすよ。アオセンなら」
ついに自分の出番がやってきた。つぼ浦は口が笑うのを抑えきれず青井に近づいた。しかし青井は一歩、また一歩とつぼ浦から遠ざかる。
「何考えてんだよ、来んなよ!」
拒絶の言葉が正面から叩きつけられた。それでもつぼ浦は怯まない。今青井を助けることができるのは自分しかいない。先日の誤解も失態も、それで全てが帳消しになると信じ、勇む足は止まらない。
「だって心無きって栄養なさそうじゃないっすか?俺のほうが美味いぜ。今日のご飯はでけぇチーズバーガーだったんだぜ!」
「そんなの、そんなのどうでもいいんだよ。来るなって言ってんだよ!」
「ああ?じゃあNPC殺人切ってもいいっすか?」
「っ、俺がどれだけ……!!」
「俺はいいって言ってんのに、なんで駄目なんすか!!」
「いいから、俺から離れろって!……ッ?!」
つぼ浦から後ずさる青井の足が路地を抜けて大通りにまで出た。その瞬間、ビルの間から差し込んだ朝日が青井の血の気のない横顔を照らした。
青井は思わず空を見上げた。夜の闇を追い払い、白む空を貫く一条の光。
生命そのもののような金色の太陽はあまりにも恋い焦がれた光で、
「あ」
夜の怪物を焼いた。
「ア、アオセン?!」
光の中に倒れ込んだ青井めがけてつぼ浦はもつれる足で駆け寄った。声にならない悲鳴が喉から上がる。
手の震えを抑え込み、つぼ浦は青井の脇に手を入れて日の当たらない場所まで急いで引きずった。
「大丈夫……だよな?灰になんかなんなよ、風で飛んでっちまったら墓も作れねぇ」
軽口に返事はない。容態を確かめようにも呼吸はともかく脈は元々ない。
陽光で死ぬことはないと言っていたのは本当だったようで、幸い青井は灰にも塵にもなっていなかった。安心する暇もなく、つぼ浦は頭の中の吸血鬼の知識を総ざらいした。しかしいくらも考えるまでもなく、やるべきことはわかっていた。
「……なんで俺の血は駄目ないんだよ」
苛立ち混じりに気を失ったままの青井に愚痴をこぼす。電話でもしてくれれば駆けつけた。こんな緊急時ならなおさら、つぼ浦は喜んで手首を切っただろう。
しかし青井は飢えに駆られ影で心無きを惨殺してでもつぼ浦の血だけは飲んでくれなかった。
あらゆる全てへの嫉妬が腹の中に込み上げる。目を逸らしたかった事実がつぼ浦の脳裏で踊る。事ここに至っても、青井の眼中につぼ浦は入っていなかった。
つぼ浦は転がっている心無きの死体を見た。頭に弾丸を一発、そして首がすっぱり切られている。切るのに使われたであろう青井の刀を拾い上げた。それから倒れた青井の横に膝をつき、その顔を見下ろした。ひどくやつれてはいたが、それはつぼ浦がずっと恋い焦がれた青井だった。
「これで元気になれよ。俺を、……せめてアンタの一部にしてくれよ」
さくりと手のひらに切り目を入れた。涙が滲んだのは鋭い痛みのせいだけではない。
声には出せない恋心も、胸に秘めた醜い執着心も、つぼ浦の命そのものが真っ赤な血になって溢れ出す。
溢れた血が指を伝い、青井の薄く開いた口の中にぽたりと落ちた。
*
それは一ヶ月ほど前のこと。
遠くで銃声とパトカーのサイレンが響き渡る中、青井は薄暗い路上に仰向けに倒れていた。
腹に開いた穴から潰れた果物のように赤い血が流れ出ていた。静かに血の抜けていく身体が末端から熱を無くしていく。
世界から切り離されるように命が燃え尽きていく。空には大きな月が不気味なほど綺麗に輝いていて、その冷たい銀色の光だけが死にゆく青井の身体を見つめていた。
よくあることだった。この街ではダウンしても蘇生処置されれば何事もなく立ち上がれる。しかしこの日のダウンは様子が違った。
送り出す血をなくした心臓が拍動を弱めていくのがわかった。呼吸はとっくに肺へと届かず、穴の空いた風船のように身体から命が抜けていく。
まるで本当の死のようだった。経験したことのない人生の終わりがそこにあった。最後まで残った青井の意識を闇が飲み込もうとした。
奈落が顔のそばまで迫ったその瞬間、唐突に体の感覚が復活した。ピクリとも動かなかった指が動き、吸い込んだ酸素が肺を満たす。しかしすべてが水の中から見ているようで、音も、景色も、世界は歪んで遠い。
青井は半信半疑で腕に力を入れ、身体を持ち上げた。アーマーを貫通して服にも穴が空いているのに、身体に傷はない。しかし身体を動かしている自覚はあるのに、相変わらず世界が妙に遠い。
ふと気になってあたりを見た。アスファルトを濡らしていた血はどこにもなかった。手にこびりついていたはずの血も、まるで黒いすすのようにバラバラと風に吹かれて消えていった。
青井は恐る恐る胸に手を当てた。少しして手首を、そして首に触れる。
どれだけ脈を確かめようとしても、心臓はピクリとも拍動していなかった。
ヘリの音がして青井はゆっくり立ち上がった。白い服に赤いヘリ、青井のダウンの通知を見て駆けつけた救急隊員だった。別の現場をはしごしてきたためか、白い服にはべったりと血がついていた。
それを見た瞬間、青井の喉が鳴った。明らかに異常な欲求だった。
歩けるから大丈夫、通知は誤報だったんだよ、青井は適当なことを言ってなんとか救急隊員を追い返した。
───おいしそう。
喉の渇きが収まらない。
路地裏に駆け込み、夢中でペットボトルの封を切って口をつける。腹に入っていく水はまるでただの革袋に詰めているかのようで、渇きは少しも収まらない。
震える手からボトルが落ちた。地面に水を吐き出すボトルを踏みつけ、自分のものではないような身体を引きずり路地の奥へと歩き出した。
視界がどんどん黒く狭くなっていく。焦燥だけが足を動かす。
きっと今の自分は人間に会ってはいけない。先程の欲求の正体に青井は薄々感づいていた。
それなのに目の前を人影が横切った。それは無警戒に歩き、目が合うと聞き取れない暴言を吐く存在。
「……あ」
心無きの命は、体を苛む飢えよりも軽かった。
青井はまず瞑想を試した。しかし補填も瞑想も何度やっても変わらず、次に市長に助けを求めた。
翌日、返答が来た。青井の身体には前例のない歪みが起きている。人の身体を動かす燃料が血液なのだとしたら、その血液そのものに何らかの異常が起きている。しかし解決法は今のところわからない、と。
きっとダウンの仕方がおかしくて歪んだのだろう、と青井は考えた。これはダウンしても勝手に蘇生してしまうという歪みだったのだろう。だからもう一度”ちゃんと”ダウンすれば、治るに違いない。
それが地獄の幕開けだった。何をやっても死ぬことができないのだ。
自分が不死であると確信するためには、本当に死んでしまう以外の全ての死に方を試すしかない。
そして青井はそれを試した。頭を撃ち抜いても首を切り落としても吊っても海に飛び込んでも車に潰されても炎に焼かれても、死が身体に爪をかけた瞬間、意識を失ってしまう。そして気づいたときには青井は無傷で、周囲には血を飲み干された心無きの死体が転がっていた。
この身体はただ不死なわけではない。青井が死にそうになると青井を生かしている「なにか」が自我を乗っ取り、勝手にそこらの人を襲って身体を維持しようとする。
青井を蝕んでいるのは血を代償に死を拒む「なにか」だった。強いて言えば生態は吸血鬼に近いだろうが、青井に偽りの命を与えているのはもっと冷たく不気味なものだった。
散々試した結果、惨殺された無数の心無きの死体の山の上で我に返ったときに、青井は死のうとするのをやめた。
そして確信した。自分は、ありえない蘇生と引き換えに死ぬことのできない人外になってしまったのだと。
心臓の止まった冷たい身体は、かろうじて自我だけを残された歩く死体そのものだった。
コメント
1件
