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#ファンタジー
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第16話【アレス編】世界が優しいのは、言葉が通じないから。闇の勇者と禁断の翻訳魔法
「アレス様、異種族間のコミュニケーションにお困りのようですね……」
魔王軍の広報官兼、言語学者であるナブーは、新入りのアレスが魔獣たちの咆哮にビクついているのを見て声をかけた。
滑らかなスキンヘッドと、きっちりと切り揃えられたあご髭。そして、右目にはめられたモノクルが知的な光を放つ。
「……闇の勇者たるもの、配下の魔物の咆哮からその真意を読み取れねばなりません」
アレスが魔物たちと意思疎通が取れず浮いていることを気にかけていたのだ。
「我が秘術〝翻訳魔法(ユニバーサル・トランスレート)〟を授けましょう。これで貴方は、全生物の言語を理解できます」
「本当ですか!さすが魔王軍、福利厚生がすごい!これで僕も、魔物たちに慕われるリーダーになれるぞ!」
『……嫌な予感しかしないわね』
ナブーの魔法が耳に流れ込んだ瞬間、アレスの聴覚は一変した。
まず目の前を通り過ぎたのは、三つの頭を持つ巨犬ケルベロスだった。中央の首が「グルルル……ッ」と威嚇するような唸り声を上げると、その頭上に膨大な文字が流れる。
「さあ、何を叫んでいるんだ?『お前の命を食らい尽くしてやる』か?それとも『死の淵を見せてやろう』か!?」
『(……あー、左の首、昨日から口内炎できてて超痛い。なのに右の首のやつ、さっきから無神経に骨とか噛み砕くから、響いてマジ最悪。)』
「……へ?」
『(真ん中の俺が一番苦労してんだよな。だいたい、寝る時も首の置き場が定まらなくて肩こりエグいし。魔王軍、低反発の三頭専用枕とか支給してくんないかなぁ……)』
「ケルベロスさん、魔王様の番犬としての誇りは!?三つ首で地獄の門を守る使命感はどこに行ったの!?枕の心配!?」
『真ん中で板挟み……文字通りの〝中間管理職〟ね』
アレスは「きっと聞き間違いだ」と、自分に言い聞かせながら廊下に出た。
次は壁に張り付いていたガーゴイルが、石像のように固まりながら「……ギィィィ」と短く鳴いた。
『(……立ち仕事、きっつ。俺、石のフリして24時間監視とか言われてるけど、ぶっちゃけ15時間を過ぎたあたりから意識飛んでるんだよね。)』
「……気のせい、気のせい……」
『(あ、闇の勇者が来た。面倒くさいけど、鋭い目つきしとくか。……お腹空いた。今日の社食、魔界ナポリタンだといいなぁ……粉チーズ多めで)』
アレスは壁に向かって叫んだ。
「仕事して!監視役なんだから意識飛ばさないで!あと、ガーゴイルが粉チーズナポリタン待ってるとか、イメージ崩れるからやめて!?」
『ナポリタンくらい食べさせてあげなさいよ』
次にアレスは、巨大な一つ目の青い巨人サイクロプスの前に立った。巨人たちは棍棒を振り上げ、大地を揺るがすような激しい咆哮を上げる。
『(……ねえ聞いて。昨日の夜、隣の檻のキマイラがいびきうるさくて。私、今日クマがひどいと思うの。これじゃ魔王様に顔向けできないわ。ねえ、良いコンシーラー持ってる?!)』
「女子かよ!!」
『乙女心に種族の壁なんてないのよ』
アレスが絶叫しながら走っていると、不意に突き当たりで魔王ユピテルと鉢合わせした。魔王は冷徹な面持ちで、アレスを見下ろす。
「アレス。……なぜ、そんなに騒がしい。静寂こそが闇の——……ん?」
魔王は言葉を切り、アレスの顔をじっと凝視した。そして、おもむろに「コホン、ンンッ!」と威厳たっぷりに咳払いをした。その重厚な音を、翻訳魔法が非情なまでの精度で言語化する。
『(……アレス。お前、鼻毛出てるぞ。一本だけ、自己主張の激しいやつが。指摘するか?いや、魔王が「鼻毛出てるぞ」はキャラ崩壊か……。誰か代わりに言ってやれよ……)』
アレスは両手で顔を覆い、その場に突っ伏した。
「……ナブーさん……今すぐ消して……この字幕、今すぐ銀河の彼方へ消し飛ばして……!!魔王様の優しさが、鋭利な刃物のように僕の心を切り裂いていくんだ……!!」
『……ドンマイ』
「おや、宇宙の声は残酷でしたか?」
「……魔物の言葉は、分からないままでいいです……。知らなくていい真実が、この世には多すぎました……」
魔法を解除した瞬間、城の中は再び「ギャオーン」「ギギギ」という、意味不明で平和な咆哮に満たされた。
ヒュドラがアレスに向かって「ギャオォォォン!」と吠えた。
以前なら恐怖を感じていたその声が今のアレスには「なんて純粋で、慈悲深い響きなんだ……」と聖母の歌声のように聞こえたという。
「……アレス。なぜヒュドラの咆哮を聴きながら、そんなに晴れやかな顔で涙を流しているのだ(鼻毛引っ込んだか、よし)」
「……世界が、優しいからです……魔王様……」
『……やれやれだわ』
世界が優しいのは、言葉が通じないから。
アレスはその〝翻訳されない恐怖〟に、心から安心したという。